第34話 小さな声もすべて
水田さんのお母さんと、ひょんなことから挨拶を交わしてから数日後。
「こ、小町さぁん……」
まどろみの中、耳元をくすぐるような声がした。
寝ぼけたまま、その声を追うように首を向け、ゆっくりと瞼を開いた。
すると、視界いっぱいに水田さんの顔が飛び込んできた。
ああ、今日も起こしに来てくれたんだな。
「おはようございます」
「お、おはようございますぅ……」
それにしても、今日の水田さんはやけに顔が赤い。
いや、それよりなんでこんなに顔が近いんだ?
まるで僕のすぐ隣で寝ているみたいに。
(いや、マジでなんで僕と添い寝してるんだ?)
寝る時は確かに僕一人だったのに。
気がつけば、水田さんはまるで最初からそうしていたかのように、僕の隣で横になっていた。
これ、誰かに見られたら100%誤解されるやつだ。
「あの、水田さん……」
「は、はいぃ……?」
「……どうして僕と一緒に寝てるんですか?」
起こしに来たはいいが、眠気に負けてつい寝てしまった――というのなら、まだ理解できる。
だが、今の水田さんに寝起き特有のぼんやりした気配など微塵も感じられなかった。
「そ、それは私が勝手に入ったからですぅ……?」
「どうして勝手に入ったんですか?」
「これからも、たまにはこんなふうに起こしてもいいですかぁ……?」
いや、事後承諾かよ。
「一応言っておきますけど、僕、そこまで寝相が良くないですよ。寝返りも打ちますし」
「そ、そうなんですねぇ……。もしかして、寝ぼけて抱きついたりはしないんですかぁ……?」
「……それはないですね」
「そ、そうなんですねぇ……」
なぜか水田さんは少しがっかりしたような表情を浮かべた。
僕の気のせいだろうか?
「それで水田さん、本当にどうして僕の布団に入ってきたんですか?」
「そ、それが……」
彼女は僕の顔色をチラチラとうかがいながら、ためらいがちに答えた。
「小町さんの寝息とか、心臓の音とか、聞きたくてぇ……」
「え……?」
なんで?
そういえば、人より耳がいいとか言っていたっけ。
いや、だとしたら普通はむしろ煩わしくて、距離を置きたくなるんじゃないか?
どうしてわざわざ近くで聞こうとしたんだ?
頭の中が無数の疑問符で埋め尽くされた。
「そ、その代わりってわけじゃないですけど、小町さんなら私の匂い、いくらでも嗅いでいいですよぉ……!」
「いや、僕、匂いフェチじゃないんですけど」
「で、でも、この前は私の髪の匂いを好きそうに嗅いでたじゃないですか」
あれだって、どちらかといえば水田さんに押し切られたようなものじゃなかったか。
結局僕も応じてしまったから、何も言えないんだけど。
「ち、ちゃんと変な匂いがしないように、お風呂は朝に変えましたからぁ……!」
「いや、一体なんのアピールですか」
確かに今日の水田さんからは、いつもより甘いシャンプーの香りがふわりと漂って、鼻先をくすぐった。
しまった、無意識に嗅いでしまっていた。
案の定、彼女は勝ち誇ったようにニシシと笑った。
「へへ、へへへ……。小町さんから聞こえてくる音は、どれも心地いいですぅ……」
朝からだらしなく頬を緩ませる水田さんを至近距離で見るのは、男としていささか刺激が強すぎる。
◇
その後は二人で朝食を作ってから、いつも通り登校した。
そして今日のLHRでは、再来週の遠足に向けて五人一組の班を作り、班ごとに計画を立てるよう担任から指示された。
(……僕、こういうのあまり好きじゃないんだけどな)
正直、僕も友達が少ない。
このクラスで友達と呼べるのは、山本と水田さんくらいしかいない。
僕としては、いっそ先生がくじ引きか何かで適当に班を決めてくれればいいのに、と思っていた。
(水田さんは大丈夫かな)
僕以上に陰キャだから。
そっと彼女の席に目をやった。
すると、バッチリ目が合った。
……どうやら、班決めの話が始まってから、ずっと僕を見ていたらしい。
(とりあえず、僕から誘うべきだろうな)
どうせ水田さんも、このクラスには僕しか友達がいないだろうし。
ひとまず、僕と水田さん、山本の三人で組めばいい。
残りの二人は、山本が適当に見繕ってくるはずだ。
十中八九、女の子だろうけど。
席を立ち、水田さんの席へ向かった。
声をかけようとした、その時――
「水田さん、水田さん。まだ班決めてないよね? 私たちと組まない?」
「やっぱりこういうのは、女子同士の方が気楽じゃない?」
「そうだよ、男子! やたらと水田さんにちょっかい出さないでよ! 水田さんが迷惑してるじゃん。あ、水田さん、下の名前で呼んでもいいかな?」
ここ最近は平穏を取り戻していたはずなのに、水田さんの机の周りにはあっという間に人だかりができていた。
この前と違うのは、男子より女子のほうが多いことくらいか。
水田さんにとっても同性の友達を作るチャンスだし、このまま身を引いてもいいんじゃないかと一瞬思ったけれど……。
(ずっと僕ばかり見てるな)
人だかりの隙間から向けられるその視線が何を訴えているのか、今の僕ならだいたい察しがつく。
……どう見ても、助けを求めるサインだった。
この前みたいにまた無駄に牽制されるんじゃないかと思ったが、それでも一応声をかけてみた。
「水田さん――」
僕が名前を呼び終えるより早く、彼女はぱっと顔を輝かせ、勢いよく席を立った。
そのまま僕のもとへ一目散に駆け寄ると、ぴたりと僕の背中に身を隠した。
僕を盾にして顔だけをチラチラとのぞかせながら、自分の机の周りに集まったクラスメイトたちに言った。
「ご、ごめんなさい、わ、私は絶対に小町さんと班を組むのでぇ……」
集まっていた女子たちは、きょとんと顔を見合わせた。
そのまま水田さんは僕の背中をぐいぐい押し、半ば強引に僕の席まで避難した。
「よかったんですか? せっかく同性の友達ができるチャンスだったかもしれないのに」
水田さんは僕の問いに、ふるふると首を横に振り、小さな声で答えた。
「なんというか……。あの人たちの息遣いが、ナンパしてくる男の人たちと似ていたのでぇ……」
あ、生理的に無理ってやつか。
それにしても、本当に耳がいいんだな。
ずっと話しかけられていてかなり騒がしい状況だったのに、さほど大きくもない僕の声にすぐ反応したんだから。
後ろの席から、山本がにやにやしながら口を挟んだ。
「みんな、水田さんを気遣ってるふりばっかりだな。ちゃんと見てりゃ、小町と組むに決まってるって分かるのに」
必ずしもそうとは限らないと思うけど……。
まあ、少なくともこのクラスでは、僕が水田さんと一番親しいし、彼女のことも誰より理解しているつもりではある。
「山本、お前も僕たちの班に入るだろ?」
ところが僕の問いに、水田さんが真っ先に反応した。
「えっ……? こ、小町さんと二人きりじゃないんですかぁ……?」
「いや、さっき先生が言ってたじゃないですか。五人一組だって」
「ふええ……。それじゃあ私たちの他に、あと三人いなきゃいけないんですかぁ……」
最近は学校で居眠りすることもなくなったが、どうやら先生の話は右から左へ聞き流していたらしい。
授業はともかく、HRくらいはちゃんと聞いておいてほしいものだ。
山本が頷きながら答えた。
「そのつもり」
「残りの二人はお前が適当に見繕ってこいよ」
「相変わらず小町、お前は俺にだけ厳しいな」
「お前くらいなら、二人見つけるのなんて造作もないだろ」
「まあ、それはそうだな」
この自信、根拠があるからこそ余計に腹が立つ。
それでもその直後、山本は席を立って同じクラスの二人に声をかけた。
……案の定というべきか、二人とも女子だった。
時々思うが、こいつも同性の友達は僕しかいないんじゃないだろうか。
「ほら、連れてきたぞ」
「山本くん、コースどうする?」
「やっぱり遊園地行きたいよね、山本くん?」
二人の女子は、さりげなく山本の手に触れたり、腕に身を寄せたりしていた。
相変わらずのモテっぷりをまざまざと見せつけられる。
その時、不意に水田さんが僕の手の甲に人差し指をちょこんと乗せてきた。
「あ、あのぉ……」
「はい?」
彼女は上目遣いで僕の顔をチラチラとうかがうと、意を決したように口を開いた。
「お、おっぱいは私の方がずっと大きいですからぁ……!」
「……え?」
一体なんの話をしているのか、さっぱりわからなかった。




