第32話 母娘の借金
何とか土下座をやめさせてから数日後。
手頃なカメラといくつかの機材をネットで購入し、水田さんのパソコン周りに設置した。
水田さんは、まるで見知らぬ部屋に迷い込んだかのように、きょろきょろと辺りを見回した。
「なんだかすっごく増えましたねぇ……。これは照明ですかぁ……?」
「ええ。顔出ししないにしても、あると何かと便利ですからね」
「これは何ですかぁ……?」
「あ、それはストリームデックです。よく使う機能を登録しておけば、ショートカットみたいにボタンひとつで呼び出せるんですよ。たとえば、差分の切り替えとか」
「ふえぇ……」
少々値は張るが、配信では何かと重宝する機材だ。
正直、水田さんレベルの底辺VTuberにはオーバースペックかもしれないが、どうせやるならちゃんと揃えたかった。
「数日間、これで練習しましょう。あ、万が一の事故に備えて、僕の方ですぐに配信を切れるようにもしておきました」
「え? そ、そんなことできるんですかぁ……?」
「はい。ウェブソケットという仕組みを使えば、できるんですよ」
少なくとも実写カメラを使う配信中は、僕がつきっきりでモニタリングするつもりだった。
妙なコメントに水田さんが振り回されないよう、こっちでも目を光らせておかないと。
「これ、全部でいくらかかったんですかぁ……?」
「まあ、これくらいです」
指を立てて、大体の金額を教えた。
正直、当初の予想より少し高くついたが、特に後悔はなかった。
水田さんは僕の指を見るなり、目を丸くした。
「だ、だんだん洒落にならない額になってきてますぅ……! このままだと私、借金返せなくて売られちゃいそうですぅ……!」
「いや、普通に返すことだけ考えてください」
もっとも、僕だって本気で返済を迫るつもりはないのだが。
へへ、と小さく笑いながら、水田さんは指先をもじもじと絡ませた。
「で、でも小町さんに売られるなら、それはそれで悪くないような気もしますしぃ……」
一体どういう意味で言っているんだろう。
以前少し話題に出ていた、異世界ものの奴隷ヒロイン的なノリだろうか。
こういうことを言われると、うっかり本気にしてしまいそうになる。
「僕のところに売られてきたら、めちゃくちゃこき使いますよ?」
「奴隷メイドだから、やっぱり過酷になるんですねぇ……!」
水田さんは両脚を擦り合わせながら言葉を続けた。
「よ、夜のご奉仕なんかも含めて……。うへへ……」
「……」
最近つくづく思うのだが、水田さんのエロへの執着は、もはや男子中学生並みなのではないだろうか。
一体彼女の本当の中学時代はどうだったのか、今となっては到底想像もつかない。
「あ、そういえば小町さん」
「はい?」
「今日お母さん、早く帰ってくるって言ってました」
「そうですか」
僕に少し早めに帰ってほしいということか?
しかし、そんな僕の予想を打ち消すように、水田さんは言葉を続けた。
「それでお母さんがですね、小町さんに一度直接会ってみたいって」
「……え」
「だ、大丈夫ですぅ……!」
水田さんは両拳をぎゅっと握りしめた。
「私にだってできたんだから、小町さんならもっと上手くやれますぅ……!」
うちの父と会った日、玄関の前で固まっていた水田さんの気持ちが、今ならほんの少しだけ分かる気がした。
◇
数時間後。水田さんと一緒に夕食を作り、二人並んで食卓についた。
向かいには、今日初めて顔を合わせた水田さんのお母さんが座っていた。
「ごめんね〜。本来なら私が作ってあげなきゃいけないのに」
「いえ」
「し、正直、お母さんに作らせるより私たちが作った方がずっと美味しいし……」
「芽生、今何て言った?」
「う、ううん、何でもない……」
水田さんは母親に睨まれると、すぐにしっぽを巻いた。
……この二人の力関係が、だいたい分かった気がする。
これでよく、VTuber活動の許可が下りたものだ。
「ええと、確か名前は小町くんだったわね?」
「あ、はい。すみません、ご挨拶がまだでしたね。小町翼と申します。水田さん……いえ、芽生さんとは同じクラスです」
「いいのよ、いいのよ〜。礼儀正しいわね」
水田さんのお母さんはにっこり笑うと、おかずをつまんで口に運んだ。
一口食べて、途端に目を丸くする。
「あら、本当に美味しいわね。芽生ったら、ことあるごとに小町くんは料理もそれ以外のことも何でもできるって褒めてたけど、それも納得だわ」
「いえ、そこまでは……」
「ふふ、謙遜しちゃって」
それにしても水田さん、家族に僕のことをあれこれ話しているのか。
正直、少し恥ずかしいんだけど。
水田さんも肩をびくっと震わせて顔を赤らめた。
「お、お母さん、そういう話は……」
「あら、芽生ったららしくもなく恥ずかしがっちゃって。毎日、小町さん、小町さんって言ってるくせに」
「うぅ……。せめて私が小町さんのことで変な妄想してることだけは言わないでよぉ……」
いや、今まさに自分で暴露してるじゃないか。
それより、僕のことで変な妄想って何だ?
ものすごく気になったが、ひとまずスルーすることにした。
(それはそうと、水田さんの見た目はお母さん譲りなんだな)
目元も鼻も口元も、つい目を奪われる豊満な胸元に至るまで、母親と瓜二つだ。
どうやら父親譲りなのは、あのボサボサの髪だけらしい。
もっとも、縮毛矯正でまっすぐになった今では、その名残すらほとんど見当たらないが。
「小町くんのおかげで――あら、これだとお隣の小町さんと紛らわしいわね。翼くんって呼んでもいいかしら?」
「あ、はい、もちろんです。そういえば、うちの父と会ったことあるんですか?」
「一度だけね。小町さんがわざわざいらしたのよ。翼くんがうちの芽生にお世話になってるって。本当は逆なのにね〜。ね、芽生?」
「う、うん……」
しかし、水田さんの返事にはどこか元気がなかった。
今の母親の言葉に、何か引っかかるところでもあったのだろうか。
水田さんは子供のように唇を尖らせ、ぽつりと続けた。
「お母さん、ずるい……。私だって小町さんのこと、一度も下の名前で呼んだことないのにぃ……」
「あら、じゃあ呼べばいいじゃない?」
「うぅっ……。陽キャのお母さんには分からないだろうけど、陰キャにとって下の名前で呼ぶのはすっごくハードルが高いんだよぉ……!」
「それじゃあ私だけ翼くんって呼ばせてもらうわね」
くすくすと、水田ママは娘をからかった。
今日は水田さんの知らない一面をずいぶん見られた気がする。
「そういえば翼くん、芽生にお金を貸してくれたんだって?」
「あ、はい。そこまで大金じゃないですけど」
「そう? 芽生から聞く限り、普通の高校生には決して小さくない額みたいだけど?」
水田さん、本当に細かいところまでお母さんに話したんだな。
「まず、これだけは言わせてね」
そう言うと、水田さんのお母さんは僕に向かって頭を下げた。
僕は思わず目を見開いた。
「うちの芽生を変えてくれてありがとう」
「え? ぼ、僕は特に何もしてませんけど……」
「ううん。芽生ね、前は学校にこそ通ってたけど、それ以外は、ほとんど引きこもりみたいなものだったの。学校のことも何も話してくれないし、いつも楽しくないって言ってて……。このまま不登校になるんじゃないかって、親として本当に心配だったのよ」
水田さんは反論せず、ばつが悪そうに頬を掻いた。
転校してくる前は、僕の想像以上にぼっちだったのか。
水田さんのお母さんが封筒を一つ差し出した。
「これ、芽生が借りたお金の一部よ」
「あ、はい。ありがとうございます」
封筒の中身をざっと確かめると、貸した総額には二千円ほど足りない。
……どうしてこんな半端な額だけ返してきたんだろう。
僕が首を傾げていると、水田ママが「芽生」と呼んで手招きした。
水田さんが席を立って母親のそばへ寄ると、母親はその耳元で何事かを囁いた。
「う、うん……! 私、頑張ってみるぅ……!」
「きっと、あなたの人生を変える大きなチャンスになるわ。ちゃんとやるのよ? せっかく受け継いだもの、しっかり活かしてね」
この母娘、一体何の話をしているんだろう。




