第24話 新しい日常
あれから数日が過ぎた。
水田さんは律儀に毎朝僕を起こしに来てくれて、約束通り一緒に登下校する日々が続いている。
驚いたのは、世の中のナンパ男の多さだ。
少し目を離した隙に、彼女は呆れるほど声をかけられまくっていた。
「ふえぇ……。絶対に離れないでくださいぃ……」
「あ、いや、すみません……というか、トイレは仕方ないじゃないですか」
「私、トイレまでついていきますぅ……」
「僕か水田さん、どっちかが逮捕されそうなんですけど」
高い確率で僕だろうけど。
一方で、余計なことをしてしまったのではないかと、少し申し訳なくもなった。
こんな不慣れなことに彼女を巻き込んだのは、元を辿れば僕の提案がきっかけだったから。
「水田さん、もし日常生活が不便すぎるなら、元に戻ってもいいですよ」
あるいは、普段は以前のようにして、カメラに映る時だけおめかしする手もある。
けれど、水田さんはすぐさま首を横に振った。
「で、でも、小町さんが可愛いって褒めてくれたじゃないですか。も、もしかして、私のことが面倒に……」
「いやいや、絶対そんなことないですよ」
「小町さんの迷惑にならないなら、このままでいたいですぅ……。わ、私だって女の子っていうか……。可愛く見られたくてぇ……」
なるほど、それもそうだ。
ナンパは面倒でも、可愛いと言われること自体は、悪い気がしないのだろう。
とりわけ水田さんには、容姿を理由にいじめられていた過去があるのだから。
僕は小さく笑って答えた。
「全然迷惑じゃないですよ。それじゃあ、一人のときでもナンパをうまくあしらえるように、対策を考えてみましょうか」
「え、ええっ……? そんなの、可能ですかぁ……?」
「さっきのトイレもそうですけど、僕が24時間ずっとそばにいられるわけじゃないですからね。それに、VTuberをやっていれば、悪質なリスナーに絡まれることもあるでしょうし」
「あ、悪質ですかぁ……?」
「ええ。さりげなく住んでいる場所を探ろうとしたり、セクハラまがいのコメントを書き込んできたり。そういう相手に、いちいちおどおどしてちゃ駄目ですから」
「た、確かにぃ……!」
企業勢や大手なら、モデレーターや担当スタッフがついていることもある。
だが、たとえ担当者がいたとしても、ライバー本人が悪意に振り回されないよう、気を強く持つ必要がある。
「一度頑張ってみますぅ……! で、でも、しばらくは少し離れたところから見守っててほしいんですけどぉ……」
「あ、はい、もちろんです。僕だって急に崖から突き落としたりしませんから」
「で、できればずっと抱きしめててほしいんですけど、へへ……」
水田さんは時々、すっごくずるいことを言う。
◇
僕の日常に訪れた変化は、登下校だけじゃなかった。
昼休みに現視研の部室で一緒にご飯を食べることも、今ではすっかり日課になっている。
僕の弁当まで水田さんが作ってきてくれることも含めて。
「小町くん」
「はい」
現視研の部長が目を細めながら腕を組んだ。
いや、正確にはその豊満な胸を下から押し上げるようにして。
吸い寄せられそうになる視線を、僕は必死に引き戻した。
「確か私たちは取引をしたよね。部員になってくれる代わりに部室を貸すって」
「はい」
「それでも毎日はちょっとやりすぎじゃないか!!」
……確かに部長の言う通りだった。
数日に一度ならまだしも、昼休みごとに僕と水田さんだけで部室を占拠するのは、やはり迷惑だ。
それに、VTuberの話をしなくても、いつの間にかここへ来るのが当たり前になっていたし。
「すみません、明日からは本当に必要な時だけ借りることにします」
「いや、私も追い出そうってわけじゃないんだよ」
部長がニヤッと笑いながら、水田さんの方へ顔を向けた。
「芽生ちゃんが入部してくれたら、大目に見てあげてもいいけどね!」
「……」
つまり幽霊部員をもう一人確保するための口実か。
まあ、結衣も同じ条件で入部していたのだから、特に不思議でもない。
水田さんが僕のシャツの裾を掴みながら、怯えた小動物のように答えた。
「ゆ、幽霊部員になるのは構わないんですけどぉ……。それ以外に何かされたりしないですよねぇ……?」
「そうだね。部室を使うたび、芽生ちゃんの胸を揉ませてもらうくらいは、見返りとして要求してもいいんじゃないかな?」
部長が両手の指をわきわきと動かしながら、ゆっくりと水田さんに迫った。
すると、水田さんがブルブルと身を震わせた。
「ひいいっ……! だ、駄目ですぅ……!」
「そうか、駄目か。駄目なら仕方ないね」
「部長、意外とあっさり引き下がりますね」
もう少ししつこいかと思ったのに。
「だって同意がないと犯罪だからね」
「え、部長にそんな常識あったんですか?」
「失礼だね! 私は紳士だよ!」
「レディじゃなくて紳士だったんですね」
「ふふ、腐女子ってのはね、心の中に架空の大きくて立派な棒を持っているものなんだよ!」
初耳なんだけど……。
まあ、僕は腐女子じゃないから、分からなくて当然か。
「とにかく芽生ちゃん!」
「は、はいぃ……?」
「誰相手なら胸を揉ませてあげられる?」
「部長、それも十分セクハラだと思いますよ」
どうして今日に限って、ここまで水田さんに執着するんだろう。
やっぱり僕たちが部室を占領しすぎていることへの当てつけじゃないだろうか。
水田さんが顔を赤く染めながら、少しうつむいた。
「そ、それは……。こ、小町さんならぁ……」
「え? ぼ、僕ですか?」
思わず目を丸くし、素っ頓狂な声を上げてしまった。
気づけば、相変わらず自己主張の激しいその胸に、目を奪われていた。
水田さんがこくりと頷きながら言葉を継いだ。
「そ、その代わり、優しくしてくださいぃ……!」
「いやいや、しませんから」
部長が一仕事終えたという表情でニヤッと笑った。
「小町くん、女の子が勇気を出したのにその態度は何だ! いただきます、と両手を伸ばし、右へ左へ、斜めへと、自由奔放に!!」
「セクハラ部長、さっさと退場お願いします」
結局、僕は部長の背中を押して部室から追い出した。
◇
二人きりになった部室で、僕らはいつものように水田さんの手作り弁当を食べた。
「お、美味しいですかぁ……?」
「ええ。どんどん料理上手になってますね。この調子なら、そのうち僕を追い越しそうです」
「へへ、やりがいがありますぅ……!」
水田さんの弁当を食べながらこんな会話を交わすことも、今ではすっかり日常になった。
実のところ、僕の褒め言葉は毎回似たり寄ったりだ。
それでも、そのたびに彼女が嬉しそうに笑ってくれるから、こちらまで少し照れくさくなる。
弁当を食べ終えると、水田さんが恐る恐る尋ねてきた。
「私、最近発声とかどうですかぁ……? だいぶ良くなりましたか?」
「あ、はい。確実に前より声が前に出るようになりましたよ」
「よ、よかったぁ……!」
まだ改善の余地はあるが、少なくとも今では、配信越しでも水田さんの言葉をきちんと聞き取れるようになった。
「じゃあ、次のステップは何ですか……?」
「うーん……。やっぱり少しでも露出を増やすことでしょうね」
「ろ、露出ですかぁ……?」
「あ、そういう意味じゃないですから」
底辺VTuberが伸びにくい最大の理由は、実のところ、配信の面白さ以前の問題にある。
そもそも、新規リスナーがなかなか入ってこない。
チャンネルの存在自体が、世間にほとんど知られていないのだ。
「結局、今のメインプラットフォームはユーチューブじゃないですか」
「はいぃ……」
「配信のアーカイブだけでは限界があります」
底辺VTuberの長いアーカイブを、わざわざ探し出してまで見ようとする人はごくわずかだ。
「切り抜きが必要ですね」
「き、切り抜きは有名にならないとできないんじゃないですかぁ……?」
「まあ、本来はファンが作ってくれるものですからね。でも、必ずファンが作らなきゃいけないって決まりはないんですよ」
切り抜きのメリットは多い。
まず、短いから視聴のハードルが低い。
面白い部分だけを切り出してぎゅっと凝縮できるから、バラエティ番組のように密度の高い動画に仕上がる。
「個人でできる宣伝手段としては、切り抜きほど効果的なものもそうありません。だから、底辺の個人勢はセルフ切り抜きも結構やってるんですよ」
「そ、そうなんですねぇ……」
もちろんデメリットもある。
下手をすればキャラの魅力が一気に消費されるし、切り抜きのテンポに惹かれて来た人が、いざ本配信を見てギャップにがっかりする可能性もある。
だが、今の水田さんにとっては、まず人の目に触れる機会を増やすことが何よりも優先だった。
「で、でもそのセルフ切り抜き、誰がやるんですかぁ……?」
「それは当然――」
僕は水田さんに向かって手を差し出しながら言葉を継いだ。
「水田さんですよ」
「えええっ――!?」
水田さんの声が、かつてないほど響き渡った。




