第22話 勉強にならない勉強会②
水田さんにバニーのコスプレをさせて……。
いやいや、その先があるわけないだろ。
ただ彼女は、自分を変えるきっかけをくれ、VTuber活動にも助言してくれる僕に感謝しているだけだ。
それ以上の意味はないはず。
「ところで、一つ気になってることがあるんですが」
「はい……?」
「あの動画で着てたビキニのことです。あれ、どうして買ったんですか」
水田さんの性格を考えれば、海で遊ぶために買ったとはどうしても思えなかった。
しかも、一般的なビキニと比べても、露出度は明らかに高かった。
「あ、そ、それは……」
水田さんが、落ち着かなげに指先を絡ませた。
「ああいうのを着た写真を、ネットに上げようかなって……」
「えっ!?」
「ち、違いますぅ……! 考えてみただけですぅ……!!」
彼女が慌てて両手を前に突き出し、大きく左右に振った。
どうやら裏垢を持っているわけではないらしい。
そりゃそうか。
VTuber用のツイッターアカウントすら作っていなかった彼女が、裏垢だけ持っているはずもない。
「私、スタイルには自信があるから、え、エッチな服を着た写真をネットに上げたら、注目されるかなって思ってぇ……」
やっぱり水田さん、承認欲求が強いんだな。
ひとまず、変な方向へ進まずに済んでよかった。
「水田さん、念のため言っておきますけど、絶対にそれだけはしないでくださいね」
「わ、分かってますぅ……! 小町さんにだけ見せますからぁ……」
そのひと言に、僕の肩がびくりと跳ねた。
え、なに今の。どういう意味?
ごくりと生唾を飲み込んだ。
誤魔化すように、ゴホンと咳払いをした。
「それじゃあ、もう本当に勉強しましょう」
「は、はいぃ……」
僕はもう一脚の椅子を引っ張ってきて、水田さんと並んで机に向かった。
勉強のためとはいえ、肩が触れ合うほどの距離だ。
隣から、ほのかに甘いシャンプーの香りが漂ってきた。
思わず横顔を見つめていると、水田さんがびくりと肩を震わせた。
「あ、あのぉ……」
彼女は不意に髪をひと房すくい上げ、僕のほうへ差し出した。
「か、嗅ぎたいなら嗅いでもいいですよぉ……?」
「え? いやいや、急に何言ってるんですか」
「え? だって小町さん、私の髪の匂い嗅いでるみたいだったから、もっとよく嗅げるようにって……」
いや、僕そんなに露骨にシャンプーの匂いを嗅いでいたか?
それとも無意識に、くんくん鼻を鳴らしてた?
急にめちゃ恥ずかしくなってきたんだけど。
「今の私の髪は、小町さんにきれいにしてもらったようなものだから、こ、小町さんならいつでも、い、いいですよぉ……」
「いやいや、僕はそんな変態じゃないですから」
「え、遠慮しなくていいですよぉ……! 私、エロゲーで見ました。女の子の髪も男の子を興奮させる要素なんだってぇ……!」
「だからエロゲーで常識を学ばないでください」
それに、その言い方だと水田さんが僕を興奮させたがってるみたいに聞こえるんだけど。
本当にそういう意図ではないんだろうけど。
「そ、それともやっぱり、私みたいな女の髪なんて触りたくもないですかぁ……」
「いやいや、そういう意味じゃなくて」
「はっ、もしかして私、く、臭いですかぁ……!? 寝る前にちゃんと綺麗に洗ったのにぃ……!?」
「いやいや、全然嫌な匂いなんてしませんよ」
「そ、それじゃあいい匂いしますかぁ……?」
「ええ、もちろん」
水田さんがとろけるような表情を浮かべた。
「えへへ、そうなんですねぇ……。それならやっぱり遠慮せず私の髪、好きに触っていいですよぉ……」
なんだかうまく誘導されている気がする。
断れば臭いって認めることになる、みたいな感じで。
「……でも、どうして僕が匂いを嗅いでたって分かったんですか」
僕、そんなに大きな音で鼻を鳴らしてたかな。
「あ、私、実は耳がちょっと敏感っていうか、人よりよく聞こえるみたいで」
「え? そうなんですか?」
「はいぃ。だから人の息遣いとか鼻息とかがよく聞こえるんです」
全く予想外の特技だった。
いや、なんでこれをこの前の自己紹介の宿題に書かなかったんだろう。
本人にはそれが特技だという自覚がないからだろうか。
「人によって息遣いが少しずつ違うんですけど、今日、登校中にナンパしてきたあの男の息遣いは、本当に最悪でしたぁ……」
「ああ、生理的に無理ってやつですか」
「そ、そうですぅ……! 視線もずっと私の胸に釘付けで……」
おそらく、かなりタチの悪い奴に絡まれたらしい。
「しつこくされませんでした? よく振り切れましたね」
「必死に走って逃げました。できるだけ大声で叫びながら」
「叫んだ?」
「はいぃ……。助けてください、変なことされてますって、ありったけの声で」
「……」
いやまあ、水田さんからすれば一大事なんだろうけど、一瞬でナンパ男を犯罪者扱いしてないか。
思わず、苦笑が漏れた。
「分かりました。そんな目に遭わないように、少なくとも登下校中は僕がしっかりそばにいますから」
考えてみれば、僕が水田さんを垢抜けさせたせいで、こんなことになったんだ。
だったら、これは一種の責任ってやつだろう。
「は、はいぃ……! よろしくお願いしますぅ……!!」
水田さんがもう一度、髪をひと房つまみ、僕に差し出した。
「だ、だからこれは、そのお礼の一つということでぇ……」
「いや、なんでお礼になるんですか」
「小町さん、黒髪ロングが好きで、私の匂いが好きならお礼になるんじゃないかなってぇ……」
僕、いつの間にか匂いフェチってことにされているんだけど。
「も、もしかして、全然お礼になってないですかぁ……?」
「いやいや、十分なってますよ」
ここで否定すれば、せっかく取り戻しつつある自信が、また地の底まで沈んでしまいそうだった。
……もっとも、その自信のつき方は、僕の想定とは少し違っていたけれど。
結局、僕は観念して、水田さんの髪をひと房手に取った。
女の子の髪って、こんなに柔らかいんだな。
「へへ、えへへ……」
目の前で、水田さんは膝をもじもじと擦り合わせながら、頬を赤らめた。
「小町さんに私の髪を嗅がれるの、なんだか少し気持ちいいですぅ……」
「まだ嗅いでないですけど」
彼女はなぜか期待に満ちた眼差しで僕を見つめてきた。
一体なんだ、この状況。
頭がおかしくなりそうだ。
覚悟を決め、手の中の髪をそっと持ち上げ、鼻先へ近づけた。
「ど、どうですかぁ……?」
「いや、なんというか……」
ここで下手なことを言えば、本物の変態になってしまいそうだった。
いや、すでに変態か?
ええい、もうどうにでもなれ。
どうせここにいるのは僕たち二人だけ。
水田さんも喜んでいるみたいだし、正直に答えよう。
「いい匂い――」
僕が答えようとした、その時だった。
「おい、翼!」
部屋の外から、聞き慣れた中年男の声が飛んできた。
僕が反応するより早く、ドアが勢いよく開け放たれた。
「取引先から結構いい牛肉をもらったから、今日はすき焼きを――」
そう。
うちの父さんだった。
僕も水田さんも、その場で凍りついた。
もちろん、父さんも。
「あ、いやこれは……」
「言わなくても分かる」
父さんは大げさに片手で目を覆い、もう片方の手をこちらへすっと突き出した。
「息子が一人前になったのを見届けられて、父さんは嬉しいよ。邪魔者はこのまま退散する。牛肉は冷蔵庫に入れとくから、二人で食べな。それじゃ、アディオス」
「何がアディオスだよ!!」
「あ、でもまだ年齢が年齢だから、避妊だけは必ず――」
「そんなんじゃないから!!」
この時の僕は、まだ気づいていなかった。
水田さんが「ふえぇ……」と口を半開きにしたまま、魂が抜けかけていることに。




