第19話 勢いはいいけれど
水田さんが毎朝僕を起こしに来てくれるって?
思いもよらない提案に、僕はただ言葉を失った。
そういえば、ラノベやアニメにもそんな幼馴染キャラがいたような気がする……。
「あの、その……。なんて言うか、それってちょっと負担が大きすぎませんか?」
毎朝、僕より早く起きて、わざわざ同い年の男の部屋まで来てもらうのだ。
親しくなったとはいえ、幼馴染のように気の置けない仲かと問われれば微妙なところだ。
かえって互いに気まずくなるだけじゃないかと思うんだけど……。
「え? そ、そうですよねぇ……。小町さんからしたら、朝起きて最初に見るのが私の顔だなんて、死んでも嫌ですよねぇ……」
「いやいや、全然そんなことないですよ。むしろ嬉しいくらいです」
「え? そ、そうですか……? 本当にぃ……?」
「ええ、水田さんみたいに可愛い子に起こしてもらえるなんて、嫌なわけないですよ。朝から目の保養になるっていうか」
意図とは裏腹に受け取られたらしく、慌てて打ち消しの言葉を重ねる。
勢い余って、少しばかり言い過ぎてしまった気もするけれど——
「へへ、へへへ……。私、生まれて初めて言われました。お世辞でもすっごく嬉しいですぅ……」
水田さんは頬に手を当て、照れくさそうに笑っていた。
よくわからないが、喜んでくれたならそれでよかった。
「だから僕が言いたいのは、水田さんが大変じゃないかってことですよ」
「全然ですよぉ……? むしろ、これが自己管理にも役立つと思うんです」
「え? そうなんですか?」
「私、実は一度寝たらなかなか起きられないんです。何か、はっきりした目的がないと……。でも、小町さんを起こすっていう目的があれば、ちゃんと起きられるんじゃないかと思って」
ああ、なんとなく分かる気がした。
水田さんにとって、学校はさほど楽しい場所じゃない。
だから、早起きする理由にもならないんだろう。
それでも遅刻だけはしたくないから、いっそ徹夜でゲームをして、そのまま朝を迎えていたのかもしれない。
「だ、だから、小町さんが嫌じゃなければ、私が責任を持って起こしに行くのはどうかなって……」
「僕としては大歓迎ですよ」
現実ではありえない幼馴染イベントを、水田さんがわざわざやってくれる。
僕としては、断る理由なんてない。
それも相手は、今や誰もが認める美少女なんだし。
「それじゃあ、父さんに前もって言っておきますね」
「あ、は、はいぃ……! そういえば、小町さんのお父さんにもご挨拶しなきゃいけないですねぇ……」
「まあ、そんなに重く考えないでください。ごく普通のおじさんですから」
でも、人見知りの激しい水田さんからすれば、不安が先に立つはずだ。
僕が少しフォローしてやるべきだろう。
「じゃあ今日、一緒に帰るついでにうちで夕飯を作って、その流れで父さんにも挨拶してみますか?」
「え? きょ、今日いきなりですかぁ……?」
「ええ。僕がそばにいたほうが安心じゃないですか? 朝、いきなり一人で鉢合わせるより」
「た、確かにぃ……! たぶん私、一人で急に鉢合わせたら、間違えて押しちゃいましたって何度も謝ってから逃げ出す自信ありますぅ…… 」
それ、事実上ただのピンポンダッシュじゃないか……。
僕は小さく笑いながら、冗談めかして言った。
「僕も今度、水田さんのお母さんにご挨拶しますね。その時は、水田さんがフォローしてくださいよ?」
「は、はいぃ……!」
水田さんが指先を弄りながら、もじもじと呟いた。
「な、なんだかお互いの親に紹介し合うのって、その……。へへ、えへへ……」
うっかり勘違いしてしまいそうな独り言だった。
◇
放課後。
昼休みに交わした約束通り、僕は鞄を手にして席を立った。
そのまま水田さんの席に向かおうとしたんだけど——
「水田さん、水田さん。今日なんか予定ある? 一緒にカラオケ行かない?」
「水田さん、ラインやってるっしょ? 交換しない?」
「水田さん、なんかめっちゃ剣道強そうだけど、剣道部の体験入部どう?」
またしても、彼女の周りに人だかりができていた。
しかも今度は、他のクラスの連中まで混ざっている。
というか、この状況で部活勧誘を始めるやつは一体何なんだ。
(今日は大人しく身を引こうか)
水田さんにとっては、僕以外にも新しく友達を作るチャンスだ。
本来の目的であるナンパ撃退も、これなら問題ないだろう。
そう思った矢先、ポケットの中でスマホが震えた。
今朝とまったく同じように。
『助けてください』
「……」
送り主も内容も同じだった。
ここでまた自分で解決しろと送り返しても、朝と同じオチになるだけだろう。
水田さんの席へ歩み寄り、わざと少し大きな声で呼びかけた。
「水田さん、帰りましょう」
「あ、は、はいぃっ……!」
そう、あれこれ説明する必要もない。
ただ先約がある、と。
それだけ伝わる空気を作れればいい。
だが——
「なんだよ、お前。いきなり何割り込んでんだよ」
「え、水田さん、小町くんとどういう関係?」
「もしかして付き合ってるとか?」
「嘘! 全然似合ってないじゃん」
いつの間にか、僕がサンドバッグにされる羽目になっていた。
僕も基本は陰キャだから、こういう時は困るんだけどな。
どう言えば丸く収まるのか。
そう悩んでいたときだった。
「あ、あのぉ……!」
水田さんがばっと立ち上がって、僕の隣にやってきた。
「わ、私、きょ、今日は小町さんと一緒に帰る約束をしてるので、す、すみませんっ……!!」
勢いよく直角にお辞儀をすると、彼女は僕の袖を掴んで逃げるように教室を飛び出した。
まさかの強行突破。
案外、水田さんには勢いに任せて突っ走るところがあるらしい。
「うぇぇっ……」
だが2分も走らないうちに、しかも下駄箱にすら着いていないのに、水田さんは壁に手をついてえずいた。
……どうやら本当に運動音痴らしい。
「すみません、あんまり役に立てなくて」
「本当に力不足だったんですねぇ……」
「ええ、まあ。僕も一応、陰キャなんで」
へへへ、と水田さんがくすぐったそうに笑った。
「こういうの、初めてです。なんだか、小町さんと一緒にいると、初めてのことばかりですね」
「そうですか?」
「はい。毎日が新鮮です。正直言って私、今が人生で一番楽しい気がします」
もしかすると、それは僕も同じかもしれない。
結衣の件で沈んでいた僕の心を救い上げてくれたのは、間違いなく水田さんだった。
ところが、水田さんは「あ……」と呟いた途端、急に顔を真っ青にした。
「どうしたんですか?」
彼女は、ちらちらと僕の顔色を窺いながら言葉を続けた。
「鞄、教室に置き忘れてきたみたいですぅ……」
「……」
勢いはいいけれど、肝心なところで抜けている。
これこそ、水田さんという人を言い表す一言なのだろうと思った。




