3. 高地トレーニングとワックスの匂い
メキシコシティは約2,240mの標高にあり、多くのスポーツ選手たちが持久力を付けるために滞在している場所だ。
チヤプルテペック森林公園は、近隣の一般人ランナーも多く走つており、今回はムーンバックスサポートの下、ソペという専用トラックも利用可能とのことだ。
まずは、街並みを眺めながら外周を一周走る。
ボブとジェシカも並走してくれる。
日本だとサエさんは原付に乗って並走してくれることもあるが、海外だとそうはいかないので、ホテルでお留守番だ。
(とは言っても、仕事してるんだけど)
現地人で大会のケアスタッフでもあるジェシカがペーサーとして並走、ボブはもちろん護衛としてだが、体を動かすのがうれしいのかニコニコしている。
「Ms. Green, when we stop at that light up ahead, let me go in front of you.」
(緑子、前方の信号で止まる時、僕を前に行かせて)
「Yes. Understood.」
(わかりました。)
ボブから警護される側のレクチャーを受ける。
それと、私の名前「琥翠」も「緑子」も発音しにくそうなので、ミズグリーンと呼んでもらうことになった。
「コウスィイ ミィドゥリィコウ」だと、コチラも反応に困る。
ジェシカはカタコトだが日本語も話せるマルチリンガルなのでまだマシだが「コスーイミドrrリ コォ」と巻き舌になってしまう。
レクチャーも終わり、簡単なウォーミングアップ後、ジェシカがおすすめだというコースを走り始めた。
基本的には私の隣にジェシカ、ボブは後ろから不審者がいないか目を光らせながら付いてくる。
高地トレ一ニング初日の為、今日は慣れるために軽く走るだけだが、4日後の本番までにはいつもの調子で走れるようにはなっていたい。
メキシコの街並みは高層ビルや商業施設なんかも見え都会の雰囲気がある。
「ココはPolancoダカラ、栄えテルよ。Reforma方向にランするから背の高いbulldingが見えてキマス」
説明によると、北側に面するポランコは高級ブランドの店やレストラン、バーなどがある繁華街で、南側のレフォルマ通りはメキシコシティのメインストリートで、場所自体が歴史的に重要であるし、他にも文化財など観光名所が多い一方オフィス街やホテルなど高層ビルが立ち並ぶエリアとなっているらしい。
実際に走ってみて楽しかったのはレフォルマ通りだ。ここは本番でも通るので地面の感じも試してみたが、東京とそう変わりはなさそうだった。
それよりも高地で走るのは、想定以上にキツい。
肺に膜があるような感覚で呼吸がしづらいのだ。
それに反して感覚が研ぎ澄まされる感覚もあり、後で利用させてもらったソペの感触はとても楽しいものだった。
(ああいうの、東京にもないのかな? 調べてみよう)
トレーニングを終え、サエさんと合流する予定の時間まで少しあったので、目についたコーヒースタンドを指さす。
「That store… coffee drink?」
(あの店。コーヒー飲む?)
「Yeah, sounds good. | love coffee. Hope they have a chicken sandwich too.」
(いいね。コーヒーは大好きなんだ。チキンサンドがあるといいんだけど)
「あのストアはsafetyo Nicechoiceね 」
屋台などでは衛生的な問題で健康被害が起こりやすいが、ケアスタッフのお墨付きを得ている店というのは安心度が高い。
店に入ると、立ち飲みスタイルのコーヒーバーもしくはコーヒースタンドといった感じのお店だった。
私はエスプレッソを注文し、ボブは店の名前の入ったコーヒーとサンドイッチ、ジェシカはジンジャエールを注文していた。
「ココ、Ginger aleが おいしいよ」
視線を感じたジェシカがそうバツが悪そうにそういう。
たしかに、ジェシカの飲む生姜を生で摺り卸したジンジヤエールは美味しそうだ。
さて、現地で飲むコーヒーの味はどうかな……。
果実を感じさせる甘酸っぱい味と共にベリーの香り。けど高さは中程度、焙煎香は程よく高め。
後味にワインのうな複雑な感じがするが、雑味が混ざっている。
これは、ワックス? ……うん、ワックスの香りが混ざってる。
ベリーの香りが中程度なのはコレのせいか……。
「This… little wax smell. ln Mexico… it's normal?」
(これ、少しワックス匂いする。メキシコでは普通?」
「Really? l didn' t notice that.」
(えっ、本当に?気づかなかったよ)
ボブがコーヒーカップを鼻の高さまで持ち上げて匂いを嗅ぐ。
「Hmnl… yeah, that's really faint. Honestly, l wouldn' t have noticed it. And since this is my first time outside the States. I'm not sure what' s normal here. Sorry, Ms. Green.」
(ん~、これは気づかないレベルだな。僕はステイツを出るのが初めてだから、これが普通なのかはわからないよ。ごめんね、緑子)
ジェシカの方を見て反応を待つが、またバツの悪そうな顔をしている。
「Solo entre nosotros、 ワタシ、コーヒーあまリスキじゃないね」
いくらコーヒーの産地の人間といえど、好き嫌いは人間だからしょうがない。
しかし、わからないとなるとこのまま飲んでいいのかわからない。
「そうだ、Ms.Green、 こんな話はシッてる? ヒミツのモリのRed Berry historia(赤い実の物語)」
お詫びのつもりなのか、ジェシカは面白い話を語つてくれた。
都市伝説の類ではあるのだが、興味深い話だった。
要約すると、
一メキシコの何処かの 森の奥に、ヨーロッパで追害を受けた宗教の信者たちの集団が移り住んでいたらしい。
その集団は赤い実を大切に育て、出来が良いものを供物として神に捧げていた。
赤い実とはコーヒーチェリーで豆を挽いて飲むためではなく、実を食すために育てていたのだそうだ。
そして最近、その集団の畑へ迷い込んだという人が現れたらしい。なにやら化け物に襲われかけて逃げ出し、気づいたら家にいたんだそうだ。
「面白い話ですね。it's fun.」
私はそう言いながらも、昨日の夢で見た光景と重なる気がしていた。




