4. 二つの箱、三つの天井
翌日。
Moon Backs Coffee本社の近くで、宮内さんの運転する車にピックアップされた。
2人きりの空間でフタを外していない紙カップの上に、沈んだ香りが薄く留まっている。
新藤さんは、先に最初の店舗で調査をしているらしく、そこで合流予定だという。
「SNSの動きは追えてます。新藤さんに味の整合を相談中で、そこへ琥翠さんのメール。すぐ転送して軌道の落ちを確認してもらいました」
交差点でウィンカーが鳴る。
宮内さんは前を見たまま、短く続けた。
「新藤さんの一次見立てです。――イルガチェフェ基軸の設計に対して、シダマ産の別ロットヘ“代替"が入ってます。全国展開なのでロット確保不能時は”新藤指定の同等品”に限り可、とルール化していましたが……拡大解釈の可能性があるみたいですね」
スマホが震え、宮内さんが画面を一瞥する。
赤信号で止まってから、新藤さんからの返信を読み上げた。
「『トップが落ちるのは理屈通り。今回のロットは条件を外れている。現地で豆袋ラベルと在庫票、抽出手順を順に確認して』」
「私が行った店のだと、”上向きの香り"が消えてました。店舗では軌道だけ見ます」
宮内さんは小さく頷く。
「吉永からは猫山商事へ抗議を並行で、との指示。契約不履行の可能性があるので、社内法務も既に共有済みです。でも先に現場の一次確認を」
フロントガラスの向こう、朝の空気は澄んでいるのに、カップの上の香りは上がらない。
私は息を細く吐いて、やることだけを並べた。
「確認は四つ。抽出マニュアル遵守、豆袋のラベル、ストック室のロット票、配送伝票。――味は、最後に」
車は最初の店舗へ向かった。
今日めぐるのはSNSで違和感のコメントがあった店舗だけでなく、都内をまんべんなく移動する。
店に到着し、店舗の裏口から入る。
待ち構えていた新藤さんと店長さんが出迎えてくれた。
「お待ちしていました。こちらへどうぞ」
店長さんが応接室へ通してくれる。
そこには、新藤さんが試飲したであろうコーヒーが置かれていた。
焙煎香が漂う。 ただ、酸味の壁があるような気がした。
「店側のオペレーションには問題はありませんでした。やはり豆の感じが違います。ブレンドエ場の生産ロットはMB26AAMDK01」
新藤さんが事前に調べてくれたチェックシートを渡された。宮内さんが手元のタブレットで資料を出して見比べる。
「琥翠さんから報告があった店へ配送されたロットと同じですね。関東では他にMB26AAMDJ02が出てます。全ての実施店舗にレビューが付いているわけではないので、未確定ですが不評のレビューはK01が配送された店舗にしかついていません」
「ほぼ決まりですかね。次の店舗へ行きましょうか」
新藤さんの心にある熱が高い。職人の仕事にケチをつけられたのだからしょうがないのかもしれない。
3人で車に乗り次の店舗へ向かう。
「次の店舗はどちらのロットも配送されています。どちらも残っていれば飲み比べできますよ」
宮内さんの運転で向かったのは、下町情緒がある観光地の大型店だった。
集客が多いため、私が店舗の作業を直接見ることはできず、スタッフ休憩室で待つことになった。
まだK01が出ていないだけかもしれないが、気付かずに飲んでこんなもんかとなっているなら、これまでの苦労を考えると少しいが、大衆店の客層なのである程度しょうがないのかもしれない。
「やっぱり本部の人はすごいな。初動がはえ一」
「だよなー店長に言っても取り合わなかったのに……って、緑子ちゃんじゃん」
休憩の時間なのだろう、スタッフが2人入ってきた。
「バカ! すいません。気づかずに、本部の方とご一緒だったんですか?」
「はい。あ……試飲会のスタッフさんですよね」
「え……あ、はい。覚えてくれてたんですね。ありがとうございます」
この2人は試飲会でスタッフとして働いていた人達だった。ということは、試飲会で正規の物を飲んでいるはず、さらに言えば運営スタッフとして入ったということは腕が良いということでもある。
「先ほどの話なんですが……」
「あ一、聞こえて……ましたよね。まあ、あの時に飲んだ物と違うから店長に問い合わせるように言ったんですけど、気のせいだろと言われてしまったって愚痴です。今回本部の方が来たので何とかなるだろうって話をしてたんですよ 」
「そうそう4箱中1箱が特に違うくて、今はマシな方を提供してるんっすよ」
「え、マシな方……ですか? ちなみにその事は私と一緒に来た2人には伝えましたか?」
「いえ、店長が対応しているので……」
正規の物を飲んだ2人が、2種類あってどちらも異なると言っている。
これはどういうことかを調べるために2人に話を聞く事にした。
状況としては、大型店の為在庫に余裕を持たせるために1箱4ダースを4箱入荷。1箱目を開けて試飲したところ、酸味が強く出すぎたため、さすがにそっちは店長もいったん提供するか迷ったのだが、別のスタッフが注文を受けたため開けている1箱目に気づかず、2箱目を開封し提供。特に問題がなかったため、自分たちも試飲したが異なる味だったとのこと。
しかし店長は、2人の気のせいということで1箱目の報告しかしていなかったのだそう。
「で、自分、試飲会の時に写真撮ったんすけど、ここ拡大してみてくださいよー。ロットが違うんっすよね」
「MB26AAMD101……」
その時、ドアが開き宮内さんと新藤さんと店長さんが入つてきた。
店長さんは人数分のコーヒーをトレイで運んでいる。
「こら、琥翠さんに迷惑かけるなよ」
「迷惑なんかかけてねーっすよ。試飲会の時の話してたんっすよ」
「ええ、それで宮内さんと新藤さんにも2人の話を聞いてもらいたいんですよ」
私は試飲会の時のロットはMB26AAMDI01、 店舗へ発送された酸味が強いMB26AAMDK01と 、試飲会より味が落ちるMB26AAMDJ02のことを2人に話すように促す。
そして、2人の話を聞いた新藤さんは、店長さんが運んできたコーヒーを手に取リー回。
「ん……たしかに、違う」
私も手に取って匂いを嗅いでみる。
焙煎香に違和感はない。しかしベリーの香りが上がってこない。
一口飲んでみる。
わずかに酸味が強い。だが許容範囲ではある。しかし酸味と一緒に上がってくるはずのベリーの香りが薄い。なにより香の上昇が一拍遅れるため天井まで上がりきらない。
ミドルも完全に絞りきれておらず細い感じはするが、試飲会の物よりは太い。
「提供レベルではありますが、今回の商品設計からは外れてますね」
宮内さんが最初に感想を言った。
マズくはない。しかし私コラの商品ではないということだろう。
「私に言わせれば提供させたくないレベルですね。宮内さん、店舗巡りはやめて工場の方へ案内していただくこと
はできますか?」
新藤さんは職人としてNGを出したか。それに、工場まで行くってことは徹底的にかかわる気だ。
「私もこれは、オススメできませんね。コンセプトに寄ってはいますが、上がり切れず、細くなりきれていない。ちなみにお二人はどう感じましたか?」
私たち3人の意見は一致した。
確かな舌をもつスタッフの2人にも感想を聞いてみる。
「そっすね―。こっちはミルクとシロップを入れれば美味いっすよ。でも酸味が強かった方はどうにもならなかったっすねー」
「日本では酸味の強いのはあまり人気無いですからね。試飲会で今回のオススメコーヒーは酸味系でも違うぞって方向でポップ作ろうと思っていたので、このままだといつも通りフラッペ系を推すポップになっちゃうかと考えていました」
それぞれの視点から意見をもらう。
少し気になったので、ミルクを入れて飲んでみる。
豆のベリー感が戻り、日の中に広がっていく。
香りの高さは相変わらずだが、ベリーミルクの甘酸っぱさが広範囲に味覚を広げていく。後味が鼻に残り爽やかな感覚になる。
「これ、ラテとしての完成度高くないですか?」
「シロップいれたらミルクと一緒に甘みが強くなるっすよ」
すかさず宮内さんが、ミルクとシロップを入れて飲む。
「ラテ用として上級。むしろラテ専用として取り扱いたいレベルですね」
「ミルクが軌道をマイルドにしてるのがむしろプラスになってますよね」
宮内さんは悩んだあと吉永さんへ連絡し、新藤さんを工場へ連れていくことになった。
私は付き添わず、吉永さんと話をすることにした。
一旦Moon Backs Coffee本 社へ行き、2人と別れロビーで吉永さんと合流し会議室へ通される。
「今回はご迷惑をかけて申し訳ございません。それに情報提供助かりました。まだ大事になる前にせき止めることができます」
「いいえ、私にも影響あることなので……。こちらこそ密に連携できてよかったです」
吉永さんはこれからの展開を説明してくれた。
現時点からプレ販売を停止。
『在庫切れ』と説明するように通達をしたとのこと。
本当に在庫と言えるのは試飲会で使用した101だけで、そちらは本社に少しあるだけで店に配布するほどの量はなく、だから『嘘はついてない』そうだ。
工場に追加製造はまだ行っておらず、プレ販売の売れ行き次第でコラボの生産数を計算する予定だったとのこと。
K01は回収を決定。工場での調査結果しだいでJ02はラテ用メニューとして利用できないか検討予定だという。
「故意かどうかは猫山商事さんに聞き取りが必要ですが、故意だったとしても津田さんを切り捨てるでしょうね。我々としては、猫山商事にひとつ貸しです。そして、我々は琥翠緑子さんとAcoustic Roasters(アコスタ)さんに借りができた状態です。なにかありましたら言ってください」
「業務的なことはマネージャーを通して欲しいですね。そうだ、要望というか、お願いなんですが……」
私はひとつ提案をした。
条件付きの限定的な提案だが、成功すればこのコラボはより成功するだろう。
そんな気がした。




