3. 六華の里で
カランカラン
いつもの小気味よいドアベルの音と一緒に、深煎りの焙煎香がふわりと揺れた。
六華の里の空気は、今日も落ち着いている。
「いらっしゃい。……って緑子ちゃんか。変装のつもり?」
「こんにちは。ちょっとだけ、ですね。あ、いつもので」
ジョギング後でも私服でも何度も来ているが、この店で変装が通った試しはない。
「エチオピア産の豆で、特に酸味が強い豆とかってあるんですか?」
「ん? ハラーとかグジなんかは酸味が明るいね。そういえば、前にハラーを飲んでたでしょ」
涼音ちゃんの地元の珈琲店で使われていた浅煎り用の豆。
確かに酸味がめだっていたが、あれは上から押さえつける感じではなく、ワインの様な果実感を伴う酸味だった 。
じゃぁグジ? いや、あれも昔飲んだ気がする。
個性が強いから、飲めば気づいていたはずだ。
「同じ産地でも、酸味の“方向"は変わりますか?」
「変わるさ。ロットや加工方法でもね。緑子ちゃんにいつも出してるのはイルガチェフェ、ガロ農場のナチュラルだけど……」
マスターは棚から袋を取り出しながら続けた。
「ここに試験的に加工されたガロのレッドハニーがある。試してみるかい?」
勧められるがまま、エスプレッソのダブルショットで飲み比べてみる。
香りはどちらもベリー系。
ただ、レッドハニーの方は、発酵感のある甘酸っぱさが主体だ。
酸味は強いが、香りの道筋は素直に上向きに伸びていく。
焙煎香というより、オーク樽で仕込んだワインのような甘みの軌道だ。
それに対して、いつものはナッツ感が強く、焙煎香と合わさって、香ばしさがもう一段上昇する軌道になっている。
「ずいぶん違うものですね。シングルでも加工で表情を変えるんですね。……なるほど、ブレンドだと構造式そのものが変わっちゃうんだ」
「年代が異なれば更に……だね」
マスターの言葉に私は深く頷いた。
収穫年で質が変わるのはコーヒー好きなら知っておいてほしい知識だけれど、こだわらない人には届きにくい。
「ああ、これってそういうことなのかい?」
常連のおじさんが、件のSNSのコメントを指さしながら言う。
「まだわかりません。違和感があっただけですね」
「ふ~ん、そうかい。じゃ、マスター俺はここで……」
「早いな。……まいどあり」
おじさんは風のように帰っていった。
「さて、どう報告しようかな」
ひとまず、違和感の置き場所だけでも渡しておこう。
詳しいことは専門家に任せればいい、私は指さすだけでいいのだから。
その日の夜のうちに宮内さんには報告した。
すぐに返信がきて、感謝の言葉と共にすぐに調べることが書かれていた。
翌々日、宮内さんから連絡がきた。
『新藤さんと一緒に調査に付き合って欲しい』とのことだった。
早ければ早いほどいいということで、明日の朝一で、実施している三店舗を回るらしい。
「明日はオフだったけど、特に予定はなかったし良いかな」
私は一緒に向かう旨のメールをCCにサエさんも入れて宮内さん宛に返信した。




