2-8 断たれぬ決意
死生匣が闘人たちに与えるミッションにはいくつかの種類がある。
最も多いものは、巨殲獣を狩る『討伐』。続いて指示された物品を入手する『探索』。これらは達成時に種子蟲を得ることができるため、遂行が戦力の増強へと繋がった。
そして討伐や探索の合間に時々挟まれる、制限時間が数日の短いミッションが存在する。仲間同士での戦闘を求められる『試合』。達成条件も報酬も存在しない『休息』。その他にもごく稀に、食事や性交が達成条件となる奇妙なミッションを与えられることがあった。
モーリェが召喚された際に行われていた試合は、おおよそ一年に二・三回行われるものであるらしい。死生匣は年という概念を持ち合わせていないが、先達たちが三六〇日を一年とする暦を別途定めたため、みなそれに倣っていた。
罠だらけの施設でのひと騒動を終え、空間跳躍を前にした先輩たちは、そろそろ試合が来るのではと口にしていた。
その予想は的中することとなり、殲獣のいない地への空間跳躍を果たした彼らは、幾度目とも知れぬ仲間同士での殺し合いに励むこととなった。
武器を向け合うメンバーに、ひとりの新人を加えて。
雷光が走った瞬間に勝敗が決した。
刺し違えたに見えたが、共倒れとはならなかった。ジンリンが繰り出した突きはイゾラの心臓を捉えられず、左の脇を切り裂くに留まっている。その一方で、イゾラの〈斬讐者〉はジンリンの喉を正確に刺し貫いていた。
「……、っ……」
声は出ない。遅れて届いた雷の音が、悔しさを代弁するように鳴り響いた。
「惜しかったなァ!」
イゾラは煽るように笑って剣を引き抜く。そして大きくよろめいた相手の胸めがけて、更なる突きを繰り出した。
刃は肋骨の隙間を縫い心臓を穿つ。熱い生命が溢れ出し、腹を血で染め上げた。
ジンリンは瞳を潤ませながら血の塊を吐き出す。喉を潰されていなければ、とびっきりの嬌声を聞けたかもしれない、と思わせる表情だった。
その後ろに見えるのは黒々とした雨雲と、戦いにはおあつらえ向きの、闘技場跡と思しき景観。……と、転がる死体、死体、死体。
シュテルンは胴体に複数の穴を開けられ失血死。フォグは頭の半分を失い、切断面からとろりと脳をこぼして絶命している。
シエロは大掛かりな再生を二度果たしたところで戦闘を諦め、「購買網覗いてくる」と言い残してその場を去っていた。先の奪還作戦でFを大量に消費したために、物資の調達を少しでも安く済ませなければと気にかけているらしい。
「じゃ、また後で、な」
イゾラは獲物の紅潮した頬に軽く口付けると、足を踏みしめ、腕を大きく振るってジンリンを投げ捨てる。そして頭上から降ってきた大きな水の塊をかわし、飛び掛かってきたモーリェの攻撃を軽くいなした。
剣はあっけなく弾かれ、石造りの床を滑る。襲撃は失敗に終わった。
「上手いこと隠れてたじゃないか、初めてにしちゃあ上出来だ」
「……っ、うん……」
少年は荒く息を吐きながらその場に膝をついた。血と泥にまみれた服がさらに汚れ、激しさを増した雨に押さえつけられて肌に張り付く。
脇腹の傷は、先ほどシエロと対峙した際に与えられたもの。決着がつく前に横槍が入ったため、混乱に乗じて死にかけたふりを決め込み、ひそやかに雨を集めていたのだった。
水を浴びせて不意を突けば、かすり傷のひとつぐらいは与えられるかもしれない。そう願って繰り出した攻撃は失敗に終わった。
万策尽きた少年は、甘く疼く傷を手で押さえながら、憧れの男の瞳を見つめる。
「早く、一発ぐらい、当てられるようになりたい」
「おう、楽しみにしてるさ。だが今日はまだ残念賞だ……どこに欲しい?」
いつもより低い、官能を帯びた声が、雨音を掻い潜りモーリェの脳をくすぐる。イゾラは爪先でモーリェの身体を小突いて倒すと、地に膝をついてその腰に跨った。
「ぁ……」
洩れる声は上ずっており、これから行われる処刑への期待を孕んでいた。
「たまには雨ん中でってのも乙なもんだな」
イゾラはサディスティックな笑みを浮かべ、爪の先で少年の首からへそまでをなぞった。着潰すつもりで選んだ服はやすやすと切り裂かれ、その下の肌に赤い線が描かれる。モーリェはその様子をまじまじと見つめ、うっとりと蕩けた表情を浮かべた。
「イゾラ、さん」
「ああ。どうした?」
「……聞いてほしいことが、あるんだ」
熱に浮かされたような心地で言葉を継ぐ。ここのところ伝えたくてたまらなかったものを。
「ぼくは……『モーリェ』になる前のぼくは、M7って名前だった」
「っておい、なんだ急に」
「正確には、交雑個体ミシェル07。人間同士で戦わせるために作られたのに、飼い主の……〝耳ありって奴らの都合が変わって、戦うこともできなくなった、何のためにいるのかわからないもの、だった」
突然身の上を語りだした後輩に、イゾラはぽかんと口を開けたままの、理解が追い付いていない顔を晒した。
闘人たちには守るべき貞節がない。誰かひとりの特別な存在になるための儀式に、身体を許すという行為を使うことができなかった。
そこで共同生活の中で彼らが作り出したのが、身体の代わりに名を操として使うという文化だった。モーリェはすでにその習わしを知った上で名を明かしてきた。名を純潔として捧げるだけでなく、忌むべき過去をも曝け出して。
「みしぇ、る?」
「それはぼくの〝種〟の名前で、1から7までいて。えっと、兄弟が。たぶん、みんな処分されたけど……ぼくだけここに来て生き残って、何もないぼくに手を差し伸べてくれたのがイゾラさんで、ここならいていいんだって……たぶんその時から、もっと、いつだってイゾラさんのそばにいたくて、ぼくは」
勢い任せのたどたどしい告白だった。胸の内で膨れる想いを荒々しくぶつけるだけの、駆け引きとは縁遠いもの。それが今のモーリェにとっての精一杯である。
突然の語りに一瞬呆けていたイゾラは、我に返り表情を引き締めて応えた。
みぞおちの下を爪で抉り、いくつかの臓腑を傷つけるという暴力で。
「っぐ、ううううう!?」
モーリェは血を吐いて呻く。伝えきれなかった思いが、遡ってきた血と混ざって喉につかえた。
「気持ちは嬉しいが、そいつはもう少し大事にしまっとけ。切り札は慎重に使うもんだし、お前さんにはもっと……長く傍にいれそうなやつもいる」
「でも! こない、っぶ、だ、学んだん、だ! みんな、いつ何が、あってっ、ふ、いなくなるか、わからないって……待ってなんて、られない!! イゾラさんじゃ、なきゃ、やだっ……イゾラさんの、一番に、なりたいっ!!」
呼吸をぐずぐずに乱しながら、決死の思いで訴える。イゾラはどこか困ったような顔でその様子を見下ろしていた。
ずるい、と思う。せめて冷たい眼で見降ろしてくれれば、突き放してくれれば、ひとまず退くことができるのに。
彼はジンリンが言っていた通り、これからも全ての仲間と同じような距離を保って生きてゆこうとするのだろう。今は亡きかつてのリーダーから与えられた、皆を率いるという役目に殉じるために。
「……そうか。確かに、聞き届けた」
それだけ言って、イゾラはモーリェの首筋に右腕の刃をあてた。
真剣な話の最中だというのに、身体は無遠慮に悦びその先を期待する。肌を、骨を、頸動脈に気道・食道・脊髄を、一瞬で断ち切られる快感を得ようと神経を昂らせて待っている。
「悪ぃな、俺にできるのはこれだけだ。今日のところは諦めて気持ちよく逝ってくれ。……いい夢見ろよ」
イゾラが凶器を振りかぶる。死を前にしているからか、目に映るものがやけにゆっくりと動いて見えた。
刃が彼の微笑みを横切って振り下ろされる。モーリェの首は音もなく刎ねられ、残された身体は交接する虫のように震えた。
ぐるりと視界が回る。脳を灼く快感の奔流を浴びながら、意識が絶える瞬間まで、心の内で叫び続けた。
――ぼくは諦めない。いつかその胸の奥に、必ず食いついてやる!!




