2-7 奪還作戦(3)
両手で剣を構え、地を走る蜘蛛に似た動きで飛び掛かる。脳天を割る勢いで繰り出された一撃を、相手は振り向きざまに掲げた刃で受けた。生物が鳴らすものとは思いがたい、硬い音が通路に響きわたる。
「ギ……ッ」
標的は二つの頭で歯を食いしばり、刃を振りぬいてすぐに後方へと跳んだ。不可視の壁の側では戦えない、と判断するだけの知能は残っているらしい。不利を察し、退路を求めて扉を斬りつけるものの、呪いめいた切れ味の右腕を振るってなお道を拓くことはできなかった。
斜めに切断された扉の一部が外れるが、そこからは土と砂利がざらりと流れ込むのみ。先に広がるはずの通路は見えない。
ジンリンがその隙を見逃すはずがなかった。続けざまに繰り出した横薙ぎが、とっさに屈んだ標的の頭頂を掠める。飛び出した毛髪の束と、シエロの長髪の一部が切り離され、宙を舞った。
「ガ、ァ、アア゛、ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!!」
標的は吼えながら地に這いつくばり、三本の腕を使って立ち上がりつつの一撃を繰り出す。心臓を狙った攻撃は身のこなしによって躱されるが、続けざまの動きによってジンリンの左腕を切り裂いた。とっさに剣で弾いていなければ、片腕を持っていかれていたはずだ。
イゾラはなおも床を踏みしめ、次は頭から相手のもとへと突っ込んでくる。狙いは剣を手にした右腕だった。刃と化している髪の束――〈刺赫〉は斬り落とされたが、まだ鋭い牙――〈咬業〉がある。
しかし大きく開いた口が噛みつくより早く、ジンリンは前脚による蹴りを繰り出していた。がっしりと筋肉のついた異形の脚が、標的の胸へと力強く爪を立てる。飛び出した肋骨の隙間を縫い、心臓は外しながらも確かに肺を刺し貫いた。
「うぶっ……いたい、っひ、なか……あ、ああ、いた、い」
シエロは血を吐き散らしながら呻く。焦点のあっていない双眸が瞼に半ば潜り、正気を失う苦しさを訴えるように震えていた。
早く終わらせてほしい。モーリェは己の出番を待ちながらひた願った。シエロが『痛い』と訴える様子が、いつものような冗談めかしたものではないことが、容赦なく胸を抉る。この場で悠長に行うべきではない思考をこじ開けてくる。
切実な眼差しを背に受けながら、ジンリンは剣を大きく振りかぶり、叫ぶ。
「戮しなさい! 剣装の仔蜘蛛ッ!!」
魂を叩きつけるような叫びと共に繰り出された斬撃は、イゾラの〈斬讐者〉によって受け止められる。
その瞬間、主の叫びに呼応するかのように、血赤色の剣が真っ二つにぱかりと分かれた。『折れた』ではなく、刀身を縦に裂いて確かに『分かれた』のだった。
ジンリンは二振りとなった得物を即座に持ち直し、二刀流の構えを取る。そして軽く仰け反ってイゾラの攻撃をかわした後、その刃の下に潜り込む形で剣を突き立てた。
一振りを右胸へ。そしてもう一振りで、剣へと変じている右腕の付け根を切断する。できたての断面と、その側に作られた深い傷から血が溢れるが、すぐに新たな肉に覆われて止まった。
「ア゛……ア、ヴアアアアア゛ア゛ア゛ア゛!!」
右腕が床に叩きつけられる硬い音に、苦しげな絶叫が重なる。生じた隙をジンリンが見逃すはずもなく、続けざまの一撃で左腕の〈決奪者〉を刎ね飛ばした。
凶器はまぜこぜにされていたシエロの手と共に転げ落ち、さらにいびつな姿に形を変え始める……が、モーリェがその変容を観察する余裕はなかった。
「あと、すこし……っ」
ジンリンは顔から大粒の汗を垂らし、とどめと言わんばかりに、一対の剣で二人の胸を刺し貫いた。
肺と心臓を破壊し、行動を停止させるために、突き立てた武器を動かして傷を広げてゆく。
瞬時に再生されてしまわぬよう、念入りに。整った顔に血のしぶきを浴びながら。
ターゲットである二人を確実に殺すためには、手足や大きな肉片を極力飛ばさぬよう、致命傷を与える必要がある……と、残されたメンバーは考えていた。
切断個所を減らすのは後の肉片処理のため。そして致命傷を与えるのは、二人を取り戻すため。
真の標的は、ずたずたに刺し貫かれたイゾラたちの胸部から現れた。拳大の血の塊が飛び出したかと思うと、ジンリンの喉へと飛びつき張りついたのだった。
「う……っっ」
呻き、腕でこそぎ落とそうとするが、赤い塊はしぶとく肌に纏わりついて顔へ登ってゆく。
色こそ一昨日と変わっていたが、忘れるはずがない――モーリェたちを苦しめた、あのスライム状の殲獣。ジンリンに飛びついた塊はその親玉であるらしく、小さな体から確かな巨殲獣の気配を発していた。
スライムは手近な穴から侵入を試みる。耳、口、鼻、眼窩、そのどれでも構わないらしく、粘体を意のままに変形させそのすべてに潜りこもうとしていた。
ジンリンは剣を捨て、侵入者を食い止めようと抵抗を続けながら倒れ込む。そしてモーリェに向かって力の限り叫んだ。
「やって!!」
絞り出された声により、モーリェの意識は自身の手元へと引き戻された。
ただ圧倒されている場合ではない。躊躇している暇もない。できるなら床に叩き落したものを相手取りたかったが、そうもいかなくなってしまった。
「ごめんっ!!」
そう言わずにはいられなかった。少年は指示された通りに、火炎瓶の先端に火をつけ、数歩踏み込んで巨殲獣のそばへ――ジンリンの眼前へと叩きつけた。
「い゛…………っ」
瓶が割れ、ジンリンの悲鳴を呑みこんで火の手が上がる。近距離からの投擲は狂いなく行われ、巨殲獣に油をぶちまけての炎上が起こった。
油の臭い、スライムを焼く際の異臭、そして髪と肌が焼ける臭い……それらが混ざり合ったものが漂い、すぐに壁面の消火装置によって覆い隠された。
粉末状の消火剤を吸って咳きこみながら、モーリェはとめどなく涙を流す。自らを立たせていた最後の気力が、仲間の顔と共に燃え落ちてしまいそうになっている。
しかしそれでも自らの使命を果たすべく、目をこすり前を見据えた。そして意識を集中させ、巨殲獣の気配を探る。
「……ない……」
先ほどまで感じていた圧が、ない。闘人なら誰もが感知できる、意識を吸い寄せられるような存在感が、確かに消え失せていた。
討ち果たしたのだ。あの厄介な巨殲獣を、この場で、確かに!
「……っ、ジンさん! イゾラさんシエロさんっ!!」
しかし勝利の余韻に浸るには早かった。視界が開けると同時に、残された問題たちが、消火剤の白化粧を纏って浮かび上がってくる。
巨殲獣の支配から解き放たれたはずの二人は混ざり合ったまま。切り落とした腕はまだ蠢いているし、一番の功労者であるジンリンは、焼け爛れた顔を両手で隠しながら痙攣している。とても指示を仰げるような状況ではない。
作戦会議の様子を思い出す。とにかく、イゾラとシエロを殺しきることを最優先に――と、ジンリンは繰り返し言っていたはずだ。
確実に目的をこなせるであろう場所へ向かうため、モーリェは歪な仲間の足を掴む。力いっぱい引きずると、死生匣が作り出した安全圏の中へと引きずり込むことができた。
姿こそめちゃくちゃにされてはいるが、この二人は確かに殲獣から闘人に戻ったのだ。システムに裏付けされた事実を噛み締めると、また涙が溢れた。
「……ぅ、ぐ……っ」
脱力した大人の体、それも二人分が混ざったものはひどく重く、思うように運ぶことができない。
再生によって質量を増しつつあるそれを必死に担ごうとしていると、急いた足音が封鎖されていない通路から聞こえてきた。
「やったか!? やったんだな!!」
息を弾ませたシュテルンだ。通路の封鎖役を務めて締め出されたために、それなりの距離がある迂回路を全速力で駆けての合流だった。
動ける仲間の登場に安堵し、少年は思わずその場に膝をついてしまう。
「うん、仕留めた……でも、ジンさんが、焼けて」
「ことが済んだらすぐに担ぎ込もう。まずはこいつを運ぶ、動いてる肉も持ってきてくれ」
「わっ、わかった!」
新人に指示を出してくれる者のありがたさが沁みる。モーリェはすぐさま立ち上がり、切り離された〈斬讐者〉と〈決奪者〉のなれの果てを掴んだ。刃はぐにゃりと形を変え続け不安を煽るが、その変質は破壊が容易になったことをも示している。
肉塊を抱える方法に難儀している間に、シュテルンはイゾラたちを四本の腕と持ち前の筋力で抱き上げていた。
「急ごう」
頷いてすぐに後を追う。向かった先は同じく安全圏内のほど近い場所だった。
ここに直接巨殲獣をおびき出せたらよかったのに、と悪態をつかずにはいられないような仕掛けが、途中に古い血痕を抱いた通路に存在している。
凶悪な罠の存在により、闘人たちはこの通路の通行を断念していた。しかしその罠が今では役に立とうとしている。
「うおらああああああああッ!!」
シュテルンが仲間の身体を力いっぱい通路へと放る。モーリェもそれに倣い、抱えてきた刃と肉塊を放り込んで、きつく目を瞑った。
しかし予想に反し、四角い通路はただ沈黙を保っている。残された者たちは顔を見合わせた。
「作動しない」
「あー、もっと動かないとダメなのか!?」
シエロの体を跡形もなく潰しきったことがあるというこの装置は、投げ込まれただけのものが相手では発動しないらしい。
しかしあと一歩というところで訪れた窮地を前に、モーリェの思考は意外なほど凪いでいた。
「……ぼくが作動させる」
「待っ」
そうすることが決まっていたかのように、自然と足を踏み出していた。シュテルンは慌てて手を伸ばし引き留めようとしたが、思うところがあったのか、すぐにその手を引っ込めてしまう。
そして困ったような顔で、モーリェの背に一言だけを贈った。
「……二人を、よろしくな」
「うん。フォグも待ってるかもしれないし、大丈夫」
そう告げて、モーリェは笑った。彼なりの精一杯の強がりで。
フォグが受け持った役割は、大広間に残されたシエロの肉片を破壊すること。巨殲獣と入れ違う形であの部屋に入った彼は、確実に任務をこなせただろうか。
この場に合流していないことを見るに、策のひとつであった、肉片と寄生スライムを巻き添えに自爆という選択に至ったのだろう……と思うことにした。体内に入りこまれ、自我を失う羽目にはなっていないと信じたかった。
少年は覚悟を決めて駆ける。ギギギ、と鈍い音が壁の向こうから響き、罠の作動を知らせた。
今から引き返せば、あるいは駆け抜ければ道連れを逃れられるかもしれない。しかしモーリェはそうはせず、床になげうたれた者たちに寄り添い、彼らを力いっぱい抱きしめた。
飛び出した肋骨が胸に食い込むが構いやしない。モーリェは二人の頭を近づけるように抱え、その間に自らの顔を埋めて、震える声で告げた。
「ぼくもいる」
この二日間、彼らを差し置いて自分だけが助かったことを悔やんだが、それも今でお終いだ。お終いにするんだ。その願いを込めて、懺悔の言葉は呑みこんだ。
最期の瞬間に、ふと、イゾラと目が合った。うっすらと開いた目は、いつもの彼の色を宿しているように見えた。
血まみれの唇が、かすかに動く。
「あ、り――」
その後に続く言葉は、話者の死をもって断たれた。
通路の壁がせり出し、凄まじいパワーと質量をもって三人を押し潰したのだった。
イゾラの言葉をかき消した音が、自らの頭蓋骨が割れる音だったのか、それとも臓腑を押しつぶされる音だったのかはわからない。体じゅうのあらゆるものが引き伸ばされ、飛び出し、原形を失った。
激痛を感じたのは一瞬のみで、喘ぐ間もないままに意識が途絶えた。
ぐちゃぐちゃにすり潰された三人は、分かたれるために一度混ざり合って、境界を失った。




