2-2 悪意の地(2)
「な、なん、何これ」
「落ち着け。そのポーズでいろよ、足は踏み出すな」
「下手に動くと真っ二つですからね」
今度は落ち着いたトーンで指示を出すイゾラと、どこからか会話に割り込むジンリン。二人の言葉に従い、モーリェは静かに息を呑んで現状の把握に努めた。
何者かからの攻撃を受けている。それも死生匣の周り、殲獣が入り込めないはずの場所で。
死生匣が今回の拠点として選んだ場所は、つややかな白い建材で作られた明るい部屋だった。モーリェが今までに見てきた廃墟とは一線を画す、真新しい――あるいは手入れが行き届いている――一室に、仲間たちと物資が転がされている。が、無傷の闘人は半数に満たない。
フォグは胸部と腕を切断され、無残にこと切れていた。血だまりに突っ伏した顔を伺うことはできない。肺や心臓を骨ごと切り分けた断面は、鋭利な刃物で一思いに作られたものに見えた。イゾラが殺した殲獣によく見られる状態だ。
イゾラは触手の一部を、シュテルンは片足を失っていた。二人はわずかに呼吸を乱しながら部屋の様子を伺っている。元々気が弱いほうであるらしいシュテルンは、この異常事態に圧されてかなり弱った顔をしていた。
さらにジンリンが引き連れている千装の仔蜘蛛のいくつかも犠牲になっている。そんな惨状の中、ただ一人緊張感に欠ける姿をした者が突っ立っていた。
「えーっと……とりあえずもっかい作動させてみる?」
素肌の一部を血で汚した、裸のシエロである。
空間跳躍の際、死生匣は彼の生体武装・〈潰えざる肉叢〉の性能を超えて殺すために、液状になってしまうほど細かく身体をすり潰すのだという。そのため、彼は決まって仲間と物資から距離を取り、裸で空間跳躍に備えていた。
いつもの眼鏡をかける余裕もなかったらしい素顔の彼は、忍び足で仲間たちから遠ざかった……が、その行く手を何かが阻んだ。
天井から突如降ってきた板のようなものが、踏み出した足の甲をすっぱりと切断してしまった。
「っひい!?」
「見えたぞ!」
犠牲者の上ずった喘ぎに、イゾラの大きな声が重なる。モーリェも瞬く間に天井へと戻ってしまった凶器を見上げていた。天井には格子状の溝があり、そこから大きな刃が落ちてきたようだ。
「なに……これ、罠……!?」
「ああ、こいつがいたるところに仕込まれてる。皆起き上がろうとした途端にこのザマだ」
「でもここ、安全地帯だったんじゃ」
「殲獣が入り込まねえって保証はあるが、こいつはただの装置だから例外らしいな。こんなん初めてだ」
「……無茶苦茶だ」
やっと慣れたこの世界での常識がやすやすと覆されてゆく。他の者たちはイレギュラーの発生に慣れているのか、愚痴よりも先に解決策を出そうとしているように見えた。
「で、ジン、あの鎖? ワイヤー? だか何だかわからんけどそこから切れそうか」
「ええ、材質次第ではありますけど、おそらくは。シエロ、もう一回かかってみてくれませんか?」
「はいよーっと」
生餌になれと言わんばかりの注文を彼は快く承諾する。早くも元通りとなった足を踏み出せば、先ほどと同じ場所に凶器が降ってきた。その瞬間、ジンリンの声が室内に響いた。
「跳んで!!」
その声に応じたのは、彼が従えている手下のひとつ。飛蝗のような脚を持った肉塊が、モーリェの頭上を飛び越えてトラップへととびついた。
それは電光石火の早業で、凶器と天井を繋いでいた紐のような部分へと喰らいつく。紐を素早く噛み切ることは叶わなかったが、天井の溝と凶器の間に挟まり、トラップが定位置へと戻ることを妨げた。機構に身を締め上げられた肉塊の姿は痛々しい。
「細い割に硬いですね……イゾラじゃないと切れないかもしれません。その状態での作動はしますか?」
「落ちてこないねえ。ほーらこの通り」
シエロはトラップの真下で悠々とステップを踏む。そしてぽんと勢いよく手を打った。
「じゃあ僕がここで助走つけてイゾラの目の前に飛び込むよ。そんで一個ずつ壊していこう」
「わかった、頼むわ」
二人は目くばせをしてから作戦に取り掛かる。シエロは足の指先が再生するや否や、作動しなくなったトラップの下から跳び出した。そして着地した瞬間に射出された刃の餌食となり、身体を縦に分断される。割られた頭から脳をだらりとこぼしつつ倒れ、床に血と臓物の欠片をぶちまけた。
その間にイゾラが右腕の刃を振るう。大きく薙いだ一撃は三本のワイヤーをすべて断ち、巨大な刃を仕掛けから切り離した。
地に落ちた刃は勢いよく倒れ、シエロの半身を下敷きにして止まる。凶器の重みで内臓がさらに飛び出した。
「いけましたね!」
「おう、この調子で全部壊すぞ! ちょっと待っててくれよ」
体じゅうに血を浴びたイゾラが、シエロの半身を触手で掴んで引き起こす。そして顔を汚していた脳の破片と血を舐め取っては吐き捨てた。
モーリェはその獣めいた動きをまじまじと見つめ、息を呑む。闘人の仲間入りをしてから最大の危機の中、彼の舌の艶めかしさに見入ってしまっていたことを、一拍遅れて恥じ入った。
「っ、はーっ……じゃあ次、これぶん投げて使おうか……」
吐息に熱を籠らせたまま、シエロは次の作業へ移ろうとしていた。大掛かりな再生を終えたばかりの、まだふらつく身体を触手で支えられながら、罠の下敷きになった自らの半身を引きずり出す。無残な姿になったそれを、罠を炙り出す囮として再利用するらしい。
「あの、私の仔蜘蛛を使ったほうが良かったのでは……」
「だいじょーぶだいじょーぶ、新しいの産むより僕が再生したほうが早いでしょ。ジンのそれは色々使えるんだから大事にとっといてよ」
不死身の男はいつも通りのゆるい笑みを浮かべる。どれくらい身を刻まれ続ければ、ここまで潔く己を使い捨てられるようになるのだろうか。そして胸を張ってイゾラの隣に立つことができるようになるのか。
いつかはそこに辿り着きたい。辿り着くことが人として喜ばしいことであるとは思えないが、それでも。
床に生じた血の道の向こう、縮こまって胸を撫で下ろしているシュテルンを見る限りでは、ここに十年もいれば鋼の精神が必ず備わるというわけでもないらしい。
自分はどうなるのだろう。肝が据わっていると先達たちから評されてはいるが、それだけではどうにもならないとは感じていた。もっと、もっと強く、あるいは器用にならなければ。
制作者の正気を疑うような数のトラップを一つ一つ破壊してゆく二人を見ながら、少年はこれからの己が在りかたについて考え続けていた。




