2-2 悪意の地(1)
「はじめは皆そんなものだよ、気に病むことじゃない」
優しい声が心に染み入り、胸が温かく軋む。ぽろりとこぼした不安――ろくに戦力になれていないということ――に対し、フォグはいつも通りの柔らかな調子で応えてくれた。
ありがたい言葉ではあるものの、そのすべてを素直に受け入れようという気持ちにはなれない。足手まといの状態で満足するわけにもいかないのだ。
モーリェとフォグは地べたに座り、肩を寄せ合ってひそやかに語らっていた。拠点としていた洞窟の奥、行き止まりとなっている場所に二人きりで。
他の仲間たちも、そう遠くない場所でそれぞれの時間を過ごしている。死生匣が闘人たちを次のステージへと導く空間跳躍までの猶予を。
「今はまだ色々と覚えていく段階さ。そう解ってても不安?」
「うん。何というか……いけないことをしてる気分になる。たいした戦果もあげてないのに、毎日ごはんにありついたり笑ってたりしてていいのか、って」
「あー、そーだねえ、そういう系のアレか……。まあそれもきっと今だけだよ、暮らすうちにここのノリが塗り替えてくれる。今の面子は結構ゆるいし、染まる染まる」
モーリェが闘人の一員となって五十日あまりが経とうとしていた。
二度の空間跳躍と三体の巨殲獣討伐を経て、基本的な立ち回りは覚えた……が、いまいち仲間たちの役に立てている実感がない。一人では小型の殲獣を討つのがやっとの状態だ。
〈深海抱擁譚〉を戦いに活かすすべは未だ掴めていない。途方もない量の水を持続的に操れるようになる、あるいは何か小細工を行うなどをしなければ、現状を打破することはできないと考えていた。
「ほら、戦闘以外のことも考えようよ。色々できるようになったでしょ。洗濯機とか、風呂の水汲みとか」
言われて、ここのところ引き受けるようになった仕事を思い出す。大きな桶で水を回して服を洗う、巨大な缶を使った風呂に水を注ぐ……どれも今までには手間がかかっていたのだと言われ、喜ばれた。
「う、うん……そっか……そうだね、ありがとう」
嬉しくはあるが、心境は複雑である。今モーリェが夢見ていることは、一人前の戦士としてイゾラの背を預かることだった。殺意の塊のような身体が魅せる、力強く凄惨な舞踏に加わりたい。その想いは日に日に増しつつあった。
フォグはそんなモーリェの顔をまじまじと覗き、目を細めた。どこか納得していないように見える顔に指先で触れ、それ以上の言葉を封じるように唇を重ねた。啄むような、軽いくちづけだった。
モーリェは相手の背に手を回してそれを受け入れる。フォグとの肌の触れ合いは、歳の近さかそれとも彼の人柄によるものか、仲間たちの中でも特に気安く心地よかった。
「するの?」
「んー、しがみついてたい気分なだけ」
彼は悪戯っぽく笑い、後輩の首筋に顔を埋める。軽い口づけをいくつも落とすと、それだけで呼吸がわずかに熱を帯びた。
フォグはモーリェの悦いところをよくわかっている。イゾラとまぐわう時とはまた違う、もっと緩やかな興奮に溺れさせてくれる。モーリェはうっとりと目を閉じ、脳裏に浮かんだことをぽつりぽつりとこぼした。
「フォグはさ、いや皆かな。皆は」
「うん」
「人として抱いてくれるから、嬉しい」
闘人になってからというもの、流されるように全ての仲間と体を重ね、時には三人以上で行為に及ぶこともあった。
多くの社会で疎まれるその行いを、モーリェは若い身体ですべて受け止めた上で『嬉しい』と断じる。媚びを売るためではない、心からの言葉で。
フォグは少しの間押し黙り、モーリェを強く抱きしめた。〝人として〟ではない扱いで抱かれてきた、あるいは犯されてきたであろうことを思いながら、そっと背をさすった。
しかし労わられている当人は、突如訪れた沈黙に少しだけうろたえる。
「ごめん、何かまずいこと言っ……」
それ以上の言葉は紡げなかった。胸に走った激痛が、語らう時間の終わりを告げていた。
闘人たちが新たなステージへと移される際、死生匣は彼らを一度殺してから転移先で作り直すという手段を取る。登録の際に行ったように、心臓を潰して。
「おや、す、み」
フォグは残る命をか細い声として絞り出しながら倒れ込んでくる。押し倒される形で横たわったモーリェは、全身の力が抜けてゆく中で一度だけ甘く呻き、そのまま意識を失った。
モーリェが空間跳躍を経験するのはこれで三度目となる。
その際に共に運ばれるものについてはいくつかのルールがあり、それを上手く利用するために、闘人たちは空間跳躍の数日前から準備をするようにしていた。
ひとつ、死生匣が作る安全圏にあるものは、購買網から購入したものと、前回の空間跳躍で持ち込まれたもののみ転送される。
ある程度原型を留めているものはすべて転送されるため、闘人たちは空間跳躍の前に不用品を安全圏の外へ捨てることにしていた。
ひとつ、死生匣の周囲すぐにあるものは全て転送される。
現在のステージで得たものは、この範囲に設置することで持ち出し使い続けることができる。拠点の床や天井の一部も巻き込まれるため、それらを撤去することが空間跳躍直後の欠かせない仕事である。
ひとつ、闘人はどこにいても無条件に転移させられる。
着ている服も対象となるが、外套がなくなった・ポケットの中身がなくなったなどの事態も起こっているため、闘人たちはできる限り安全圏内でその時を待つようにしていた。
物資の転送先はおおよそ床や地面であるが、空中に投げ出される場合もあるようで油断ならない。あらかじめ緩衝材で包んでおいた瓶が割れていないか、日用品が破損していないかを確かめることが、新しい身体で目覚めた闘人たちの最初の仕事だった。
――跳ばされた先が、いつも通りの〝殲獣がうろつく自然や廃墟〟であったなら。
意識が浮上する。まぶたを通り抜けた光が眩しい。
「動くな!!」
起き上がろうとしたモーリェを迎えたのは、目覚めの挨拶ではなく怒号だった。イゾラのやけに切羽詰まった声に、少年は身を強張らせ命令通りにぴたりと動きを止めた。
半端な体勢のまま首だけを動かし、辺りを見回す。まず目についたのは浮かぶ死生匣と山積みの荷物、そして、
「え……」
身体を真っ二つに切り分けられ、血の海にとろりと沈んだフォグの姿だった。




