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絶命のユーフォリア  作者: 柏木むし子
二章 観察迷宮オギアム
17/31

2-2 悪意の地(1)

「はじめは皆そんなものだよ、気に病むことじゃない」

 優しい声が心に染み入り、胸が温かく軋む。ぽろりとこぼした不安――ろくに戦力になれていないということ――に対し、フォグはいつも通りの柔らかな調子で応えてくれた。

 ありがたい言葉ではあるものの、そのすべてを素直に受け入れようという気持ちにはなれない。足手まといの状態で満足するわけにもいかないのだ。

 モーリェとフォグは地べたに座り、肩を寄せ合ってひそやかに語らっていた。拠点としていた洞窟の奥、行き止まりとなっている場所に二人きりで。

 他の仲間たちも、そう遠くない場所でそれぞれの時間を過ごしている。死生匣(テラヴァイス)闘人(レイズド)たちを次のステージへと導く空間跳躍(リレース)までの猶予を。

「今はまだ色々と覚えていく段階さ。そう解ってても不安?」

「うん。何というか……いけないことをしてる気分になる。たいした戦果もあげてないのに、毎日ごはんにありついたり笑ってたりしてていいのか、って」

「あー、そーだねえ、そういう系のアレか……。まあそれもきっと今だけだよ、暮らすうちにここのノリが塗り替えてくれる。今の面子は結構ゆるいし、染まる染まる」

 モーリェが闘人(レイズド)の一員となって五十日あまりが経とうとしていた。

 二度の空間跳躍(リレース)と三体の巨殲獣(ヘヴ・ホイル)討伐を経て、基本的な立ち回りは覚えた……が、いまいち仲間たちの役に立てている実感がない。一人では小型の殲獣(ホイル)を討つのがやっとの状態だ。

 〈深海抱擁譚クリノイディア・スクリプト〉を戦いに活かすすべは未だ掴めていない。途方もない量の水を持続的に操れるようになる、あるいは何か小細工を行うなどをしなければ、現状を打破することはできないと考えていた。

「ほら、戦闘以外のことも考えようよ。色々できるようになったでしょ。洗濯機とか、風呂の水汲みとか」

 言われて、ここのところ引き受けるようになった仕事を思い出す。大きな桶で水を回して服を洗う、巨大な缶を使った風呂に水を注ぐ……どれも今までには手間がかかっていたのだと言われ、喜ばれた。

「う、うん……そっか……そうだね、ありがとう」

 嬉しくはあるが、心境は複雑である。今モーリェが夢見ていることは、一人前の戦士としてイゾラの背を預かることだった。殺意の塊のような身体が魅せる、力強く凄惨な舞踏に加わりたい。その想いは日に日に増しつつあった。

 フォグはそんなモーリェの顔をまじまじと覗き、目を細めた。どこか納得していないように見える顔に指先で触れ、それ以上の言葉を封じるように唇を重ねた。啄むような、軽いくちづけだった。

 モーリェは相手の背に手を回してそれを受け入れる。フォグとの肌の触れ合いは、歳の近さかそれとも彼の人柄によるものか、仲間たちの中でも特に気安く心地よかった。

「するの?」

「んー、しがみついてたい気分なだけ」

 彼は悪戯っぽく笑い、後輩の首筋に顔を埋める。軽い口づけをいくつも落とすと、それだけで呼吸がわずかに熱を帯びた。

 フォグはモーリェの悦いところをよくわかっている。イゾラとまぐわう時とはまた違う、もっと緩やかな興奮に溺れさせてくれる。モーリェはうっとりと目を閉じ、脳裏に浮かんだことをぽつりぽつりとこぼした。

「フォグはさ、いや皆かな。皆は」

「うん」

「人として抱いてくれるから、嬉しい」

 闘人(レイズド)になってからというもの、流されるように全ての仲間と体を重ね、時には三人以上で行為に及ぶこともあった。

 多くの社会で疎まれるその行いを、モーリェは若い身体ですべて受け止めた上で『嬉しい』と断じる。媚びを売るためではない、心からの言葉で。

 フォグは少しの間押し黙り、モーリェを強く抱きしめた。〝人として〟ではない扱いで抱かれてきた、あるいは犯されてきたであろうことを思いながら、そっと背をさすった。

 しかし労わられている当人は、突如訪れた沈黙に少しだけうろたえる。

「ごめん、何かまずいこと言っ……」

 それ以上の言葉は紡げなかった。胸に走った激痛(かいかん)が、語らう時間の終わりを告げていた。

 闘人(レイズド)たちが新たなステージへと移される際、死生匣(テラヴァイス)は彼らを一度殺してから転移先で作り直すという手段を取る。登録の際に行ったように、心臓を潰して。

「おや、す、み」

 フォグは残る命をか細い声として絞り出しながら倒れ込んでくる。押し倒される形で横たわったモーリェは、全身の力が抜けてゆく中で一度だけ甘く呻き、そのまま意識を失った。


 モーリェが空間跳躍(リレース)を経験するのはこれで三度目となる。

 その際に共に運ばれるものについてはいくつかのルールがあり、それを上手く利用するために、闘人(レイズド)たちは空間跳躍(リレース)の数日前から準備をするようにしていた。

 ひとつ、死生匣(テラヴァイス)が作る安全圏にあるものは、購買網(レプライヤ)から購入したものと、前回の空間跳躍(リレース)で持ち込まれたもののみ転送される。

 ある程度原型を留めているものはすべて転送されるため、闘人(レイズド)たちは空間跳躍(リレース)の前に不用品を安全圏の外へ捨てることにしていた。

 ひとつ、死生匣(テラヴァイス)の周囲すぐにあるものは全て転送される。

 現在のステージで得たものは、この範囲に設置することで持ち出し使い続けることができる。拠点の床や天井の一部も巻き込まれるため、それらを撤去することが空間跳躍(リレース)直後の欠かせない仕事である。

 ひとつ、闘人(レイズド)はどこにいても無条件に転移させられる。

 着ている服も対象となるが、外套がなくなった・ポケットの中身がなくなったなどの事態も起こっているため、闘人(レイズド)たちはできる限り安全圏内でその時を待つようにしていた。

 物資の転送先はおおよそ床や地面であるが、空中に投げ出される場合もあるようで油断ならない。あらかじめ緩衝材で包んでおいた瓶が割れていないか、日用品が破損していないかを確かめることが、新しい身体で目覚めた闘人(レイズド)たちの最初の仕事だった。

 ――跳ばされた先が、いつも通りの〝殲獣(ホイル)がうろつく自然や廃墟〟であったなら。


 意識が浮上する。まぶたを通り抜けた光が眩しい。

「動くな!!」

 起き上がろうとしたモーリェを迎えたのは、目覚めの挨拶ではなく怒号だった。イゾラのやけに切羽詰まった声に、少年は身を強張らせ命令通りにぴたりと動きを止めた。

 半端な体勢のまま首だけを動かし、辺りを見回す。まず目についたのは浮かぶ死生匣(テラヴァイス)と山積みの荷物、そして、

「え……」

 身体を真っ二つに切り分けられ、血の海にとろりと沈んだフォグの姿だった。

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