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絶命のユーフォリア  作者: 柏木むし子
一章 廃都ユーザヤール
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1-7 その血は熱く

 モーリェは地べたに座り込み、手にした樹脂ボトルとにらめっこをしていた。大蚓と対峙し、水を動かしてしまったときの感覚を必死に思い出しながら。

 動け、動け、と念じると右目がじわりと熱くなる。その熱に呼応するかのように水面が大きく揺れ、一部がボトルの飲み口から勢い良く飛び出した。

「おわっ!?」

 コントロールを失った水が脚に降りかかる。服が濡れてしまったことよりも、飲み水を無駄にしてしまったことを悔やんだ。

 次は面倒でも水路の水を汲もうと決意しながら、残りの水に口をつける。ぬるい飲料水は喉にすぐ染み渡った。

 モーリェがひとり鍛練に励んでいたのは、拠点にほど近い他の廃墟だった。水を扱う必要があるから、という建前のもとに単独行動をしたが、実のところ試行錯誤する様子を見られるのが気恥ずかしいからという理由が大きい。

 巨殲獣(ヘヴ・ホイル)討伐の後、次の空間跳躍(リレース)まで八日間の余裕ができた。

 闘人(レイズド)たちは交代で購買網(レプライヤ)に張り付くことを続けながらも、その当番でない者は思い思いに残り時間を過ごしている。

 野良の殲獣(ホイル)を狩って小銭を稼ぐイゾラとフォグ。その死体を調理するシュテルン。荷物の整頓を始めたジンリン。異形の仲間たちの身体に合わせ、買い付けた服の改造を行うシエロ。それぞれに得意分野があるようだ。

 できることなら早く戦力として狩りに混ざりたい。飲料水が残り少しとなったところで、今度はキャップを締めてから〈深海抱擁譚クリノイディア・スクリプト〉とやらの力を試すことにした。まずは自己分析からと決めて。

「あ……いける」

 透明なボトルの中で水が大きく揺れ動いた。それならばと今度は距離を置いて試してみる。動いた。では視界外はどうだろう。モーリェは朽ちた家具の陰にボトルを置き、元の位置に戻って右目に力を込める。そして、

「よっ、順調か?」

「ひょあっ!?」

 突然かけられた声に驚き、間抜けな声をあげた。

 声の主であるイゾラは、いつもの溌剌とした調子で廃墟に踏み込んできた。そして「邪魔するぜ」とだけ断って、先客の隣へ腰を下ろし、刃を握る形で持っていたナイフを床に置いた。

 煙草で一服をしに来たというわけではないらしい。モーリェは客の頭からつま先までを見て、恐る恐る尋ねる。

「なんで武器と……その、服」

「ああ、これか? どうせ汚すから着替えてきたんだよ」

 イゾラが纏っていたのは、服としては最低限としか言いようのないものだった。見るからに着心地の悪そうな長方形の布を、真ん中に開いた頭を通す穴から被り、腰のあたりに紐をつけて結んだ……といった具合の。

 明らかにサイズが合っておらず、わき腹と太ももが大胆に露出してしまっている。足は素足、下着もつけていないようで、足を組んだ拍子に股間のものがちらちらと見えた。

「キューブから貰ったばっかの無限服だ。実物見たことなかったろ」

「う、うん」

「触ってみるか?」

「それじゃあ少し……うっわすごい、本当に肌触り最悪」

「ショボいのは着心地だけじゃないぞー。ロクに水も吸わないから雑巾にも使えねえし、ちょっと引っ張っただけですぐ破れるからなこれ」

 モーリェはやや興奮気味に、未知の衣服への散々な感想を述べた。F(フィード)を払わずとも死生匣(テラヴァイス)から受け取ることができる最低限の衣服、通称『無限服』は、裸を隠す以外では何の役にも立たない機能性の低さを誇っている。

 服がこの調子では、同じく死生匣(テラヴァイス)から無尽蔵に支給を受けられるという『無限飯』も、きっと本当にろくでもないものなのだろうという予想がついた。

「盛り上がんのはいいけど、俺このクソ服見せるために来たわけじゃねーんだわ。フルチンで出歩くのやめろって言われたから着てきただけだし。それよりほら約束したろ約束、こないだ死生匣(テラちゃん)の前で」

「あっ」

 心当たりは大いにあった。それを思い出した途端に、頭にかあっと血が上る。モーリェはいそいそと姿勢を正し、イゾラを真正面から見据えた。

「一人前になったら、その……してくれる、っていう」

 恐る恐る確認をする。イゾラは不敵に笑むと、触手で少年を抱き寄せて唇を奪った。一人前はほど遠いとモーリェ本人は思っていたが、ひとまず及第点であったらしい。

 仲間入りしてからの十数日間で、闘人(レイズド)たちと体を重ねて気づいたことがある。まだ本格的に番ったことがないゆえの代替行為かもしれないが、イゾラは他の四人と比べるととりわけキスを好むようだ。両手で人を抱きしめられない体になっているからだろうか。

 舌を絡め、相手の尖った歯をなぞりながら、モーリェはこれからすることへの期待に胸を膨らませた。

 息つく暇も許さないほどの情熱的な口づけが理性をとろけさせてゆく。このまま体に傷をつけられでもしたら、溶けた自分がそこから流れ出てしまいそうだ。

「イゾラ、さんっ」

 解放されてからはもう我慢が利きそうになかった。種子蟲(グラフタ)を受け入れてからしばらくモーリェを悩ませていた発作とは違う、自らの確かな意思を伴った欲情が、体の芯でぐつぐつと煮えたぎっている。

 ここはまず自分が服を脱ぐべきか。それとも相手の服を脱がすべきか。熱に浮かされながらうろたえる少年に、イゾラは服を脱いで避けておくよう指図する。

 言われるがままに裸になったモーリェの目の前で、イゾラは自らの服に爪を立てた。粗悪な布はあっさりと裂け、引き締まった腹があらわとなる。

「それじゃ、楽しく道を踏み外そう……な?」

 彼はやけに扇情的な低い声で告げて、臍を横切るように、腹を自ら切り裂いてみせた。静かに流れ出す血は、少年に背徳的な劣情を抱かせる。

 猟奇的な、事情を知らぬ者が見れば惨劇でしかないような光景に、モーリェはすっかり興奮できるようになってしまっていた。

 皮膚と筋肉だけを上手いこと切り裂いたイゾラは、ぴんと胸を張り背を反らせて傷口を見せつける。吐く息は熱く、苦しげで、同時に果てしなく官能的なものだった。

「蘇生代は俺が奢る。死ぬまで楽しもうぜ」

「死ぬ、まで」

「ああ……俺を殺してもいい。俺がお前さんを殺してもいい。どっちが好みだ?」

 囁かれる言葉のなんと甘美なことか。四肢を切り落とされた死体、臓物をすべて引きずり出された死体、首を刎ねられた死体……どれが彼に似合うだろうか。自分に似合うだろうか。最も()いのはどれだろうか?

 視界を覆う水のヴェールが揺れた。自然と体が動きイゾラに襲い掛かっていたのだと気づいたのは、一瞬遅れてのことである。

 彼の寂しげな傷口を埋めながら願ったのは、これが夢なら覚めないでほしいということ。

 このどこまでも悪趣味な夢は、今までのすべてを忘れて耽るにはうってつけだった。

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