1-6 巨殲獣(3)
四角い穴を覗くと、暴れる大蚓とその陰に見え隠れする灯かりが見えた。イゾラが触手翼に絡めて持って行ったものだろう。しかし激しい攻防の中で滑ってしまったのか、光が遥か下へと消えていってしまった。
行かなければ。モーリェは意を決して縦穴へと飛び込んだ。死んでも死なない、と自らに言い聞かせながら。
「っとぉわっ!?」
逆手に松明を入れた袋を、利き手に剣を持ってのダイブ。重傷、あるいはこの挑戦によって死ぬことも覚悟していた少年は、意外にも狙った場所へ飛び込むことができた。イゾラを喰らわんと身をくねらせる大蚓の隣、無残に爆破されたもう一体の頭へと。
めくれた肉を踏んで滑った足は、むきだしになっていた消化器へとはまりこむ……が、そのまま呑まれることはなかった。肉に剣を突き立てて踏み止まったために。
「これを!」
「でかした!」
松明が入った袋を差し出すと、それはたちどころに効果を発揮した。薄い布の袋は石の光をよく通す。視界を取り戻したイゾラは、爪で獲物の肉を裂きながら下降し、一カ所を執拗に切り付けていった。青い体液を体中に浴びながらの、狂気の連撃だった。
「っしゃあ!!」
イゾラが勝ち誇ったような声をあげると同時に、潰れていないほうの頭がずるりと滑り落ちた。身を両断されたのだ。辺りを包んでいる、腐った水の臭いがいっそう強まった。
防戦一方となった巨殲獣は後退を続ける。体勢の立て直しを図っているのか、逃げおおせようとしているだけなのかはわからない。二人が理解できるのは、このまましがみついていれば施設の下層に引きずり込まれることだけだった。
「勝てそう!?」
「どうだかな、下に着いたらまだまだいるかもしれねえ。できる限り殺してくる、お前さんはフォグを頼む……っと」
言葉を交わす間に深層へとたどり着いたらしい。頭をやられた二体のワームは、侵略者を振り落として縦穴から逃れた。
縦穴の底にあたる、エレベーターの残骸の上に、三人――うち一人はまだ捕らえられている――が残される。イゾラは触手で松明を掴み、その先のフロアへと進んだ。どこか楽しげに歪んだ口は、殺意を湛えた尖り歯をぎらぎらと覗かせている。
「……っと、フォグ、どこに」
モーリェはイゾラの背を見送りながら、袋をかざして大蚓の残骸を探る。まだ痙攣している身を観察すると、ぬめった肌がぽこりと膨らんでいる場所があった。
膨らみの端に剣を突き立て、一思いに切り開く。すると傷口から見覚えのある手が飛び出してきた。スライムと換えていなかったほうの手は、消化液のせいか痛々しく爛れている。
「生きてる!?」
急いで傷口を広げ手を引くと、肌という肌を真っ赤に弱らせたフォグが力なく這い出てきた。咥内も消化液にやられているようで、荒い呼吸と共に粘ついた血を吐き出している。モーリェは側に控えて彼が落ち着くのを待った。消化液がついた手のひらがひりひりと痛んだ。
「ありがと……マズっちゃった、ね」
息も絶え絶えに紡ぐ言葉は、今までの例に洩れず艶を帯びている。黙って休んでと言いたいところを堪え、語りかけた。
「今イゾラさんがあれを追いかけてる、一緒に戦えそう?」
「無理、かな……目をね、やられちゃった」
閉じた目からは血が流れていた。酸で傷ついてしまったのだろう。頭から生えた触角もとろりとしょぼくれ、抜け落ちた髪と絡まって、ダメージの重さを言葉なく語っている。
「これ、最後の、持ってって」
フォグは力なく腹に手を突っ込み、握り拳大の何かを取り出した。火のない松明のおかげで、それが手榴弾であることがすぐにわかる。先程も目にしたその威力、そしてなかなか補充のチャンスがない品と聞かされていたことが、受け取る手に緊張を生んだ。
わかったと告げて、切り落とされた巨殲獣の肉を睨む。再生蟲が採れたならと思ったものの、その気配はなかった。
フォグはここに置いていくしかない。種子蟲由来の自然治癒力――シエロの〈潰えざる肉叢〉とはまた異なる、みなが備えているゆっくりとしたもの――で眼が治るのが先か、大蚓の残党に再び呑まれるのが先か。前者であることを祈るほかはなかった。
「これで体拭いて! いってきます!」
シャツを脱いで渡し、剣を腰に括った鞘にしまう。そして利き手に手榴弾を、逆手に松明を持って駆け出した。靴底が虫を潰す感覚が不快だが、歩きたくないなどとわがままを言える状況ではない。
段差を跳んでフロアに降り立った途端、モーリェは息を呑むこととなった。弱々しい灯かりが照らし出しているのは、シエロが言っていた通り、ほぼすべてが水没した大部屋。腐臭のする水場のふち、狭い足場から落ちないように刃を振るうイゾラが対峙してたのは、先程のワームの残党たちだった。
その数は三体。虫を啄む鳥のように捕食を試みては、すんでのところで避けられたり、右腕で切り裂かれたりを繰り返している。それらの体を辿ると、水面の近くで一本に収束していた。傷付いて退いた二体もまた同様に。あれらはひとつの個体だったようだ。
いつもなら戦場を縦横無尽に駆けて殲獣を切り裂いてゆくイゾラも、足場の悪さが災いして存分に戦えないでいるようだった。朽ちた手すりの残骸が、大蚓の突進を受けて次々と折れていった。
一緒に水に落ちてしまったとしたら、はい上がる前に呑まれてしまうだろう。彼なら体内から敵を切り裂けるかもしれないが、それが得策であるとは思えなかった。
ひとつの頭をそれで仕留めたとしてもまだ二体は残る。捕食を諦めたワームから執拗な体当たりを受けたり、ずらりと並んだ牙で丹念に頭を砕かれたりする可能性もある。
仲間の、そして最も憧れている者の窮地を前に、こんなところで身を竦ませていることが悔しくてたまらない。
――いや、悔しいだけで終わらせてはならない。今の自分は逞しく生きる闘人たちの一員なのだから。
(もう、黙って見てるだけのぼくじゃない)
少年は歯を食いしばり、ぬるついた床を蹴って走り出した。
どうにかして状況を打開しなくては。頻繁に足が震えるひよっこに何ができるんだ、という思いはあったが、右手にしかと握ったとっておきが弱気を許さなかった。
これを託した者に応えなくてはならない。滲む汗で手を滑らせぬようにと用心して、ますます呼吸が荒くなる。
(やらなきゃ!)
命の綱渡りを続けるイゾラを目で追いつつ、急ぎ足で通路を進む。暗闇の中で暮らしていた殲獣が相手なのだから、音や匂いですぐに感づかれることになるだろう。立ち止まっていたとしてもそれは同じだ。
ほどよく近づいた、と判断した場所で足を止めた。頭のひとつがモーリェのほうを向いたが、美味しくいただかれる前に一矢報いなければならない。
この小さな兵器の使い方は知っている。少年は手榴弾のピンに歯を立て、硬い感触と金属の味に顔をしかめながら引き抜いた。そして腕を大きく振りかぶり、自身が得た唯一の攻撃手段を、力いっぱい投げつけたのだった。
手榴弾は巨殲獣の体にぶつかり爆裂する――というイメージを添えて投擲したつもりだったが、いかんせん腕力も技術も足りていなかった。
やけにゆっくりとして見える動きで、大きなアーチを描きながら落下する手榴弾は、大蚓の体に届かない。
水没してしまえば不発に終わるかもしれない。仕組みを知らないモーリェはそう考えて焦り、悔しさに歯を食いしばった。
水さえ。水さえなければ!
憤った瞬間、体内で何かが弾けるような感覚に襲われた。身体が奮え、身の毛がよだつ。右目に生じ、すぐに持て余した何らかの力が、真っすぐに解き放たれた。
「え……!?」
水面が避けた。水が不自然な波となり、手榴弾を避けるように割れたのだった。
大きな波を伴って裂けた水の合間を、爆発物が音もなく落下してゆく。驚くモーリェの目の前で、それは大蚓の腹らしき部分に転がり、爆ぜた。
爆風と水しぶきが二人を襲う。モーリェは背後の壁に叩きつけられ頭を打ったが、イゾラは触手をクッションとして衝撃を和らげた。
室内に響く爆発音に張り合うかのように、大蚓はぴぎいいいいと耳障りな声をあげている。そして五つの頭を大きく振り回しながらのたうち回った。
それを好機と見たイゾラは、背後の壁を蹴って勢い良く飛び出した。
「もらったァ!!」
標的を見失った頭のひとつに、触手翼でしがみついてぶら下がる。目一杯伸ばした左右の触手の先端を絡め、ワームの肌のぬめりを利用して、ロープウェイの要領で長い体を滑り降りていった。
巨殲獣が異物を振り払おうとしたときにはすでに遅く。多頭の付け根にたどり着いたイゾラは、身を翻して分かれ目に飛び乗ると、大きく腕を振りかぶって獲物を斬りつけた。青い返り血にまみれながら、何度も執拗に。
不届き者を振り落とさんと大蚓が暴れれば、イゾラは爪や尾の刃を突き立てて抵抗した。自らの体を釘として利用しながら、次々と頭を切りつけてゆく。大きく切り裂かれた頭は制御を失い、ぐにゃりと傷から折れて垂れ下がった。
死角に入られてしまった大蚓は防戦一方となっている。イゾラに背を奪われた時点で勝敗は決していたようだ。
「死ねえええええええあああああああッ!!」
剥き出しの殺意を雄叫びに乗せて、最後の頭に刃を振り下ろした。〈斬讐者〉の常軌を逸した切れ味によって両断された頭は、激しく波打ちながらもおおよそ元の形を取り戻した水に落ちる。
ほどなくして敵は完全に力を失い、背に乗せたイゾラを道連れにして水中へと沈んでいった。
勝ったのだ。巨殲獣に。
偵察で済ますはずの冒険はとんだ大仕事になってしまった。そんな中、新入りにしては健闘できたのではないだろうか。
緊張が解けた途端、壁にぶつけた頭の痛みが強まった。意識が薄れ、立っていられなくなる。せめて水場に落ちないようにとその場で尻餅をついて、
「よかっ、た……」
意識を失う前に小さく呼びかけた。
腐臭のする水の中、藻に足を取られて悪態をついている男には届かなかったが、モーリェの安堵は後に寝顔によって伝えられることとなる。




