14 神官は感嘆し希求する、人間の美しき地平天成を
ワタシは神を知る。人間の神を。
いずれ必ず他の神も知るだろう。刃を手段として。
◆◆◆
竜侍官は、頭こそ下げませんでしたが、それに近しい態度でしたね。
「司祭、どうか聞き届けてもらいたい。竜帥殿下はただ一心にヒトの子らを慰撫したいと思し召しなのだ。実のところ、触れ合いたい、語り合いたいとも願っておられる。しかし過日の件がある。せめて真心を示したいと仰られて……」
たとえどんな言い方をされたとしても、内容が内容だけに、こちらには断りようもなかったのですが。
さて……どうしたものでしょうねえ。
神官職にある僕に言わせれば、エルフの信仰など異教にして邪教。ドラゴンなどというトカゲの化物を崇め奉る、理解に苦しむ変態性癖に等しきもの。
よって、エルフの使徒など忌むべき筆頭格……そう考えているのですが。
困りました。やれやれですよ。
美しいではないですか。
夕暮れの空へ浮かぶ幾百幾千の風鈴……どうやら生き物であるらしいそれらは、小さな竜帥の意のままに、鳴ります。鳴り響きます。響き奏でます。奏でて満たします。世界を透明な高音で彩っていきますよ。
おや、そうかと思えば、数十の、何とも筆舌のしがたい大きなものも浮かんできましたね。ほう、膨らみました。まるで釣鐘のようです。やはり生き物ですか。
それらもまた演奏しますか。低音で。共鳴して。高音を支えて。包み込んで。
幾万の音色が織りなすは、繊細にして厳かなる音楽の情景……おお……この目に浮かぶようではありませんか。めくるめく光の世界が。まばゆき大自然が。万物の調和と平穏が。
これが、エルフの美意識。
これが、エルフの世界観。
「見事なものだ」
ええ、ウィロウ卿。そこには同意しますよ。
「芸術に種族の垣根はない、と笑えたならよかったが」
ああ、まったくもってその通りですね。決して笑えやしません。
「子どもらは喜んでっけどな。見た目もよ、なんつーか、おもしろおかしい感じがすっから」
はい、オデッセン殿。無垢な心で仰ぎ見られたなら、荘厳さはどこかぼやけて、珍妙にして滑稽な光景とも映るでしょうね。どのひとつにも目と鼻がありますし。
「けどよお……わかってるよな? あれ、全部が全部、妖精とか精霊だかんな? ったく、とんでもねえ魔法もあったもんだぜ。クロイの使うやつと同質っぽいが、規模が桁違いにすぎんだろ。馬鹿馬鹿しくなるくれえによお」
まさに。まさに。
開拓地を包み込んでいるものの正体は、つまるところ、エルフの真の実力です。使徒を通じて投射される、トカゲの王……竜神の力そのものなのですから。
おやおや。ウィロウ卿も、オデッセン殿も、黙り込んでしまって。
かく思う僕もまた、唇を閉じているきりです。
まったく圧倒的です。そう言うより他に表現のしようもありませんよ。目蓋こそ閉じられても耳には蓋するものがなく、よしんば手で覆ったとて、心へと浸透してくるものを防ぎようもない……なんという、美しき、暴力でしょうか。
そう……これは暴力ですよ。
どんなにか文化的で素晴らしいものであろうとも、これは暴力ですとも。
なぜなら、この素晴らしさの中には人間の居場所がありません。どこまでもエルフの美的感覚、エルフの理想世界でしかないのです。ましてやこの魔力。僕たち人間は、観客として見惚れるより他に何も許されていません。感動を強いられて。
「……美しいものですね。本当に本当に、美しい」
認めましょう、それは。否定のための否定など愚劣の所業。
「自己を肯定し、堂々と誇示し、悠然と存在する……羨むばかりの文化です。我こそはこの世界の主役であるという、その自負なしには、想像も創造もできない幻想ですからね」
ゆえに、僕らのような大人には受け止めがたいのですよ。
酷でしょう。これは。
さもしさを、思い出させるなんて。
無力であるという惨めさは、味わえば味わうほどに心しぼみ涙かわき……人間を骨と皮でできた何かへと変えていって……希望を根こそぎにします。絶望を患わせます。その病苦たるや。考える力を失うことでしか、耐えられやしません。
子どもは、違います。ええ、子どもは素直に喜べますよ。今はまだ。世界を色鮮やかに体験できます。今しばらくは。遠からずしおれていくとしても。
で、あればこそ。
そうであればこその……回天の事業。
「我らも、美しく在ればいい」
さすがはウィロウ卿。発言を先んじられましたか。
「すぐには叶うまい。しかし、求め続けることはできる」
これは驚きです。その言葉。その横顔。ご実家との関係においても既に決断をしたということなのでしょうね。
「ま、あれだ。俺らじゃなくてもいいんだよ」
ふむ、オデッセン殿の眼差しは清く澄んでいます。続く言葉が察せられますよ。
「探検の理屈だ。切り拓いたり掘り進んだりする奴は、汚れていい。倒れちまってもいい。次の奴が先へ進める。そんで、いつか、綺麗なもんにたどり着くんだ。そうなりゃ勝ちだ。後から来る連中にとっちゃ、綺麗なもんが当たり前になる」
なんとも痛快な理屈ですね。進んで命を懸けたくなるほどに。それを実践しているから、オデッセン殿はそのような笑顔を浮かべられるのでしょう。
おや、ウィロウ卿も同じように笑いますか……おやおや、僕もかもしれません。
よろしい、今はエルフの美に浴しましょうとも。心身の痺れに甘んじましょうとも。しかし決意をこの胸に確かめましょう。なんとなれば、僕らには……え?
クロイ様? 誰もが動けずの今を、駆けて……塔の上、旗のもとへ?
美景美音を一顧だにせず、鋭利な眼光を向ける先は、西方。紫色を滲ませて、夜の始まるその方向。
まさか。
いや……そのまさかなのですね?
音に乱れ。否、あれは妨害です。物理的な手段による。
投石、ですか。西の空をまだらに汚すあれらが、全て投石。なんと無茶苦茶な。数百と飛来して、宙に浮かぶ風鈴たちを打ち落としていくなど。音楽は崩れて、石が……石が降ってきませんね。風鈴の性質でしょうか。消え際に石を巻き込んで。
「おい! これって!」
「ええ、そのようです」
鷹が飛び立ちました。エルフの飛行者もまた。甲高く、笛の音。心を引っ掻くような、不吉極まるその響き。
「軍を動かす。総騎馬で、だ」
「そうするよりありませんね。壊れた北門の側にはエルフがいます。西門も使われるでしょう。南門を封鎖して、東門を退路に」
門。そして土塁や木柵。それらは内と外とを区分けて日常を護るもの。エルフはもちろんのこと、この相手にも、象徴としてしか意味をなさないでしょうが。
「司魔殿には民の避難を頼む」
「任せろ。だが、いざとなりゃぶちかますからな」
「その時は総掛かりだ。出来る限りを」
「なあに、耳長は燃せた。黄目だってやったらあ」
ご両名とも頼もしい限りですね。僕だとて、その時は槍を握っているでしょう。人事を尽くすことこそが信仰に適う道ですから。
「司祭さんよ、耳長どもに話つけといてくれよ? とんでもねえ状況には慣れちゃきたが、さすがに両方とやり合うってえのは御免だ」
「……壮絶だな、それは」
「拙僧にお任せあれです。舌を引っこ抜かれてでも交渉をまとめますよ」
軽く笑い合って、それぞれの役割へ。僕ら三人がまた欠けることなく集えるのかどうかはわかりませんね。あるいは三人とも死に果てるかもしれませんが。
クロイ様が、います。いてくださいます。何の不安がありましょうか。
さあ、戦ですよ。
人間の開拓地を舞台にして、エルフとヴァンパイアの攻防が、今。