第二十四章(2)
お昼になってから、僕たちは再び集まってイーノスの部屋に向かった。彼の部屋にはすでに先客がいて、研究会の準備を着々と進めていた。
「やあ、ハーベスト。すごく立派な机だね」
「ああ、フリック。おかげさまで準備万端だよ」
部屋にいたのは、ハーベストとニース、見知らぬ四年生が数人、それにキュービット先生だった。どうやらキュービット研の生徒たちが集まっているらしい。
「この机、ずいぶん大きいけど。どうやって入れたの?」
部屋の中央にある円卓をじろじろ眺めながら、マーガレットがそう問いかけた。
椅子が十六脚ほども並ぶ大きな机だ。講堂の裏口からこの部屋へ続く狭い階段では、とても運べそうにない。
窓から引き上げたのだろうかと考えていると、ハーベストは自慢げに胸を張って言った。
「この会のために、キュービット先生が運んでくださったんだ。“移送”の錬石を知っているか? 貴重な石を砕いてくださった」
「移送? 確か、ティフォン錬石のひとつだっけ」
「『ティフォニーフロウ』だ。物や人を任意の場所に送れる。制御が難しい魔法なんだが、さすがキュービット先生だ。傷ひとつなく移送してくださったよ」
移送という魔法は、ルオンで移送先を制御する必要があるらしい。これが難しく、特に地上から離れた高所に物を送るときは、高さの制御に失敗して床に落下させてしまうことも多いのだという。
「ふーん。さすがキュービット先生だね……」
あまり心のこもらない相槌を打ちながら、僕は当の先生に目を向けた。
キュービット先生は四年生たちに指示を出し、部屋の隅にあったボードゲームやおもちゃを新しい棚へと片付けさせている。
そういえば、ディクティスが以前言っていた。
「あのボードゲームやおもちゃを用意したのはキュービット先生」だと。
僕たちが部屋に通うようになってから、ディクティスもキュービット先生もイーノスから距離を置いてしまったように見えたけれど……先生はこうして、また世話を焼きに来てくれている。
謎の多い人だけど、イーノスを心配しているのは疑いようもない。
彼がこうして表に出てきてくれたのは、良い兆しなんじゃないかと思えた。
「ねぇ、ハーベスト」
それまで不機嫌に黙り込んでいたライズが、突然口を開いた。
「ん? なんだい」
少し驚いた様子のハーベストに、ライズはある方向を指差しながら言った。
「この集まりを仕切っているのは、あいつなの?」
「え? いや、やろうと言い出したのは俺だけど……」
「やらせたのは、あいつなんでしょ?」
「ああ、まあ……」
曖昧な返事を聞くと、ライズは「そう」と素っ気なく言い残し、指差していた方向へ歩き出した。
そこにはキュービット先生がいる。
何を始めるつもりなのだろう。怪訝そうに見守る僕たちの前で、ライズはキュービット先生に一言二言、何かを告げた。
その反応があまりにも意外だったので、ハーベストが僕にそっと耳打ちしてくる。
「なあ、あのふたりって何か関係があったっけ? キュービット先生、すごく萎縮してるように見えるんだけど」
「さあ……よく知らないけど。ふたりは『同郷の仲間』だって、前に言ってたよ」
「同郷の仲間? もしかしてクラウジウス家って、ブレガー家の分家筋なのかな……」
ハーベストが勝手に納得してくれたので、僕は笑って誤魔化しておいた。
キュービット先生は、アイビー先生にはああいう態度を取らない。いつも堂々としている彼が、小動物のように萎縮するのは、僕の知る限り――ライズとサファー先生の前だけだ。
鈍い僕にも、なんとなく彼らの上下関係が察せられる。
彼らは家の繋がりではない「どこか」で、ああいう関係性を育んだのだろう。
それはもしかしたら、僕が以前よく見ていた夢に関係しているのかもしれない。
泥と砂ばかりの衰退した世界で、ライズは生き残った人間たちのリーダーをしていた。
僕はマーガレットと一緒に彼の指示に従い、なんとか命をつないでいた。
夢の中の人物がライズやマーガレット本人だとは思えないけれど、雰囲気はどこか似ている。
無関係とは言い切れないほどに、僕はライズを「あのリーダー」と重ねてしまっていた。
もしキュービット先生の言う「同郷」が、あの世界のことなら――彼らの関係性にも納得がいく。
キュービット先生やサファー先生は、僕と同じように、ライズに命を救われていたのかもしれない。
「すまない、遅れてしまった!」
「あっ、コリウス先生!」
入り口から聞こえた声に振り返ると、マーガレットが明るい声を上げた通り、コリウス先生が立っていた。
「だいぶ準備が進んでいるな!」
「まだまだ仕事は残っていますよ」
「それなら良かった」
彼の後ろにはレウィシア先生もいて、ニースがふたりに計画書のような紙を見せている。
力仕事が多そうだし、僕は役に立たないだろう。邪魔にならないよう、隅に寄っていよう。
しばらく気配を消してぼんやりしていると、急にコリウス先生がハーベストを引っ張りながら、こちらに近づいてきた。
「ハーベスト、ひとつ確認したいことがあるんだが」
「はい。なんでしょうか、コリウス先生」
どうしてわざわざ、僕の近くに来たんだろう……。
ふたりは僕のそばの机に書類を広げ、あえて僕に聞こえるように話を始める。
「この研究会は、学長にこの申請書を出すのだろう?」
「はい。正式な課外活動として認可を得ないと駄目だと、キュービット先生に言われました」
「会の代表者は、誰にするつもりなんだ」
「えっと……フリックにしたほうがいいと、キュービット先生が」
え? 僕?
僕はぎょっとして彼らを見た。
「やはりそうか。そのことについて、私はずっと懸念していた」
「どうしてですか? 神子についての会です。もし国に提案すべきことが出てきたら、会の代表者名義で提案書を出すことになります」
ハーベストの説明によれば、神子の“代弁者”として最も説得力があるのは僕だという。
神子は僕の言うことしか聞かない――それが、国の中枢にまで深く知れ渡ってしまっている。
学長の推薦もあり、キュービット先生は、僕を代表者にするのが最善だと考えているらしい。
「学長もキュービット先生も、おかしなことを言う」
僕が口を開くより先に、コリウス先生が怒気を帯びた声で言った。
「フリックは学生だぞ。このような重要な会の矢面に立たせるなど、教育者としてあるまじき行為だ」
彼は鋭い視線をキュービット先生に向け、
「抗議してくる!」
と言い放って歩き出す。
その先には、怖い顔をしたライズもいる。
「キュービット先生。このような重大な会を開いて、その責任を学生に押し付ける気ですか。いったい何を考えているんですか」
「まったく、その通りだ。きみのやり口は、あまりにも卑怯だ」
ふたりに責め立てられているのが、こちらにまで聞こえる。
マーガレットもニースもレウィシア先生も、この場にいる全員が、彼らのやり取りに注目していた。
「ええと、その……言われていることは分かりますが……」
「いや、分かっていないだろう。あなたがここで一番の年長者だ。あなたが責任者でないとおかしい」
「コリウスの言う通りだよ。きみが責任を取りなよ」
「…………」
キュービット先生が脂汗をかいているのが、ここからでもはっきり分かった。
どうやら先生は、どうしても代表者になりたくないらしい。
会場をきょろきょろと見回し、誰かに押しつけられないか探しているようだった。
「ええと。私は神子とほとんど面識がありませんし、家柄も大したものではありません。神子の代弁者としては、もっと説得力のある人物が代表になるべきです」
「なら学長に頼めばいいだろう。学長ならその条件にふさわしい」
「そうだよ。学長にやらせればいい」
「えっ……その……学長は無理です。これは課外活動ですから、学長は代表者になれません」
「どうして学長は神子の世話をフリックに丸投げしているんだ。解決する気があるなら、学長直轄の委員会を作るべきだろう」
「そうだよ。どうしてきみたちは丸投げしているの」
「えっと、その……学長はお忙しいですし、神子の問題は未来ある子どもたちが解決すべきだと――」
「その“未来ある子どもたち”が、大人の都合で潰されたらどうする! 神子の問題は、大人たちが先送りにしてきたことだ。だからこそ、大人が責任を取るべきなんだ!」
「そうだそうだ」
「それに、あなたは長年神子の世話をしてきたと聞いている。この部屋の玩具を用意したのも、あなただろう。その経緯を説明できるなら、十分に神子の代弁者としての資格があるはずだ」
「その通りだよ。いいこと言うね」
「ええ……そんな……ライズさーん……」
キュービット先生は小さく身をかがめて、泣きそうな顔をしている。
ライズはコリウスから書類とペンを受け取ると、キュービット先生の前の棚に、バンと置いた。
「さあ、名前を書いて。会を開きたいのはきみなんでしょ?」
「……はい。分かりました……」
キュービット先生は観念したように項垂れ、書類に自分の名前を書いた。
「ありがとうございます、キュービット先生。これで私も安心して参加できます」
「……どういたしまして」
書類を受け取って満足げなコリウス先生とは対照的に、キュービット先生はひどく疲れた顔をしていた。
人手が増えたことで準備はすぐに整い、来週から会を始められそうだと告げられる。
「来週から忙しくなりそうね。課題の時間、取れるかしら」
マーガレットの不安ももっともだ。とりあえず、今抱えている課題は、これから図書館に集まって片づけることになった。
一度寮に戻る途中、僕はライズにお礼を言った。
「ありがとう、ライズ。代表なんて荷が重すぎたから、助かったよ」
キュービット先生に対して、あれほど強く出た彼にみんな驚いていたみたいだけど、僕はあまり気にならなかった。
ただ、素直に――僕のために動いてくれたのだと思えて、嬉しかった。
「別に、きみのためじゃないよ。あいつが代表だったら、何も進まないと思っただけさ」
「え? どうして?」
「あいつは目立ちたくないからね。“神子の代弁者”なんて役、引き受けられるはずがない」
「ふーん……」
よく分からないけど、ライズなりに“神子研究会への対策”を打った、ということらしい。
その後、彼はこの会には参加しないと、僕たちに告げた。




