第二十四章(1)
五月、白葉の月、七日の白曜日。
久しぶりに休日らしい休日を迎えた僕は、ライズと一緒に朝食を摂るため、食堂へ向かっていた。
本格的に研究室の活動が始まって、まだ二週間しか経っていないのに、ずいぶん疲労が蓄積している。
幾分か目の下の隈が濃くなった気がするライズの顔を見ながらサンドイッチを頬張っていると、たくさんの皿を載せたお盆をガチャガチャ言わせながら、マーガレットが近づいてきた。
「やっほー! ふたりとも! 元気……じゃないわね」
僕の隣に腰を下ろした彼女は、相変わらずパワフルだ。コリウス研は運動量が多いのだろう。最近、食事の量がだんだん増えている気がする。
「もっとチキンを食べなさいよ! 朝に良質なたんぱく質を摂ると元気が出るわよ!」
「やめてよ。あの脳筋先生みたいなこと言わないで」
朝から甘ったるいパフェを食べていたライズは、マーガレットの溌剌とした言動に顔をしかめて耳を塞いだ。
「マーガレットは調子良さそうだね。研究室は楽しい?」
「ええ、もちろんよ。まだ基礎体力作りの段階だけど、日々成長を感じるわ」
腕を曲げて力こぶを作るマーガレットに、僕は思わず苦笑いを浮かべる。
――このままゼノさんみたいな熊体型になったらどうしよう。
研究室の様子を嬉しそうに語る彼女は、相変わらず可愛くて、少し安心する。
僕とライズの食事が終わり、マーガレットが大量の料理を半分ほど平らげた頃、彼女はふと思い出したように話題を変えた。
「そういえば、あの話を聞いた? ハーベストが面白そうな集まりをするって」
「ああ、うん。神子研究会の件だよね?」
頷くマーガレットの正面で、ライズが怪訝な顔をして口を開く。
「なにそれ。なんの話……?」
「ハーベストが誘ってきたの。ライズのところには来なかった? イーノスの謎を解き明かそうって張り切ってるの」
彼女はライズに、ハーベストの提案の概要を説明した。
ハーベストとニースが神政学研究室の卒業研究として、神子研究会という集まりを開こうとしていること。研究室の垣根を越えてイーノスを助けたい有志を集め、有益な情報を交換すること。毎週白曜日の午後、講堂の上の部屋に集まることになっていること。
「コリウス先生とレウィシア先生は参加するみたい。ハーベストは色んな人を集めたいみたいだけど、あまり大っぴらにしないほうがいいってコリウス先生は言っていて、うちの研究室からは先生とわたしだけになったの」
「そうなんだ。レウィシア先生のところは?」
「レウィシア先生も同意見なんだって。バートとクリスは来るみたいだけど。結局、いつものメンバーとあまり変わらないわね」
僕たちの話を、ライズは不機嫌そうな顔で聞いている。誘われなかったからだろうとマーガレットは思っていそうだけど、ライズに限ってそれは違う気がした。
少し躊躇いながら、僕はできるだけ平然と口を開く。
「僕も参加してほしいって言われたんだ。勝手なことをするとアイビー先生に怒られちゃうから、許可を取るのにちょっと頑張ったよ」
「そうなの? 大変だったわね。そういえばアイビー先生って、イーノスのこと毛嫌いしてるわよね。どうしてなのかしら」
「さあ、わからないけど……とりあえず、参加してもいいって言ってもらえた」
「そうなのね。よかったわね!」
ライズは僕たちのやり取りを、黙ったまま聞いている。
友人である自分には何の相談もなかったのに、先にアイビー先生と話をつけていることに、違和感を覚えているのだろう。
僕は胸をひやひやさせながら彼の言葉を待ったが、結局なにも言われないまま、朝食の時間は終わった。
後でイーノスの部屋に集まろうと約束して、僕たちはいったん寮に戻ることにした。マーガレットと手を振って別れた瞬間、ライズが低い声で言った。
「あのさ、きみ。一体なにをやってるの」
「え? なにをって……」
「神子研究会ってなに? 叔母さんにその話をしちゃったって? きみは一体、なにをしようとしてるの」
怒っている? 鋭い視線に射抜かれて、僕は思わず言葉に詰まった。
寮の中央にある広場は人通りが多い。マーガレットはいなくなったけれど、ほかにもたくさんの視線がある。それなのにライズは、まるで気にしていない様子で僕に圧をかけ続けた。
「前にも言ったよね。きみが病気を治そうって言うなら協力してあげられるけど、そうじゃないなら、ぼくにはどうしようもないって」
「えっと……でも。僕の病気とこのことに、なにか関係があるの?」
「大ありでしょ。あんなやつに関わったら、病気がひどくなる」
「あんなやつって、イーノスのこと?」
「そうだよ。なんで、きみはあいつにそんなに関わるの?」
なんでって……。
その問いに、いくつもの言い訳が頭に浮かんだ。
イーノスは僕の名前しか覚えない。
彼は僕を頼りにしている。
僕なら、彼の問題を解決できるかもしれないと期待されている。
いろんな理由が浮かんだけれど、どれもしっくりこない。
僕がイーノスに関わる理由は、そんなことじゃない。もっと単純なものだ。
「……だってさ。イーノスは、ひとりぼっちなんだ。かわいそうじゃないか。僕が無視したら……またひとりで、眠りにつくことになるだろ?」
そう言うと、ライズはさらに眉を吊り上げ、険しい顔になった。
「あのさ。前にも言ったと思うけど、あいつは人間じゃないんだ。きみが同情してるのはわかったけど、あいつをきみと同じ人間だと思っちゃ駄目だよ」
「…………」
「そもそも、あいつはひとりぼっちを寂しいとも思わない。寂しいなんて感情を、持ち合わせていない」
あまりにもひどい言い方だ。
僕は我慢できず、強い口調で言い返した。
「……どうしてそんなこと言うの? ライズはイーノスのこと、なにも知らないじゃないか。彼は寂しそうな顔をするよ。感情がないなんて、どうして決めつけるんだ!」
同級生も、先生たちも、イーノスに同情している。
そう思っていないのは、ライズとアイビー先生だけだ。
感情がないのは、イーノスじゃなくて――君たちのほうじゃないのか。
僕が睨み返すと、ライズは少しだけ眉間の皺を緩めた。
しばらく睨み合いが続いたあと、彼は言葉を選ぶように口を開いた。
「……きみは知らないだろうけどさ」
小さな声で、彼は続ける。
「あいつらは昔、生命体として扱われていなかった。『錬石人形』って呼ばれてたんだ。どうしてかわかる?」
「知るわけないだろ」
それはブレガー家の人間が、イーノスに偏見を持っているからじゃないのか。
彼らに感情がないと思い込むほうが、非道な研究を正当化しやすいからじゃないのか。
内心が伝わったのか、ライズは不満そうに眉をひそめた。
「あいつらは錬石を食べる。錬石と近い構造の体を持ち、劣化もせず、ずっと同じ姿をしている。この世界のどんな生命体とも似ていない。似ているとしたら……錬石、つまり無機物だ」
「…………」
だからなんだというのか。
体の構造が石に近いから、石だと思えと言うのか。
僕がそう思った瞬間、ライズはその通りのことを口にした。
「ぼくは人間至上主義なんだ。動物を擬人化するのだって嫌いだ。牛が可哀想だから肉を食べるな、なんて言うやつには呆れる。でもさ、きみたちがあの錬石人形にやってることは、それ以上にズレてる。生き物でもないものに、可哀想、可哀想って……馬鹿みたいだろ?」
「…………」
「いや、違う。きみは、そう思わなきゃ駄目なんだ。他のやつはともかく、きみだけは。病気を治したいなら、あれを人間だと思っちゃいけない」
「だから、どうしてそれが病気と関係あるんだよ」
「きみもぼくも、『普通の人間』だからだ」
「…………」
わからない。
ライズは、いつもこうだ。説明する気のないまま、突き放すような言葉を投げてくる。
主張は平行線で、これ以上話しても無駄だろう。
いつものように、僕が折れて、うやむやに終わらせたほうがいいのかもしれない。
「わかったよ、わかった。でも約束したから、研究会には参加する。僕がいなくても、どうせみんなやるんだろうし……」
「きみが参加しなかったら、なにも進まないよ。きみ以外の言うことを、あいつは聞かないんだから」
「ライズは、僕に参加してほしくないの?」
「それは……」
当然そうだろ、と続くと思ったのに、ライズはぐっと口を閉ざして、視線を逸らした。
「別に。参加したいなら、好きにすればいい」
「…………」
その答えに、僕は拍子抜けしてしまった。
なんだよ、それ。だったら最初から突っかかってくるなよ。
僕たちは無言で歩き出し、昼前にまた会うことだけを確認して、部屋の前で別れた。
ライズのことだから「もう行かない」と言って、昼の約束もすっぽかすかと思ったけれど、彼はなにも言わずに頷いただけだった。
身支度をしたり、今週の課題を整理したりしながら、僕は考える。
――ライズは、どうしてあんなひどいことを言うんだろう。
錬石人形だから、人間じゃないからイーノスを排除していいなんて、本当にそう思っているのだろうか。
以前、ライズは夏祭りで出会った隷農の子どもに同情していた。
「可哀想な人間」には同情するのに、イーノスにはそれを向けないのは、なぜなんだ。
僕はまるで小さな子どもみたいに、ライズの態度に腹を立てていた。そうやって自分をごまかしていたけれど、その奥で、ひどく悲しい気持ちが広がっていた。
ライズは、イーノスを助けてくれない。
彼は「普通の人間」でないと、助けないのだ。
もし僕が、彼の思う「普通の人間」じゃなかったら……。
彼は僕を、見捨ててしまうのだろうか。
せっかくできた親友が、僕のもとから去ってしまって……。
僕はまた、ひとりぼっちになるのだろうか。




