第二十三章(2)
「今日は採石実習だったの? 面白かった?」
「はい。近くの採石場に行きました」
「あれ、楽しいよな。俺も去年やったよ」
ラング先輩は懐かしそうに言う。
「みんな結界を張るのに失敗していました。グロウリーハルトを破壊して、手が緑色になっちゃった子もいましたよ」
「あー、いるよな、そういうやつ。俺の同級生なんて、顔の右半分が紫になってたなー」
暢気に笑うラング先輩につられて、僕も思わず噴き出してしまった。
彼が受講した年には、他にもさまざまなアクシデントがあったらしい。電力石で感電してしまった友人の話や、さらに希少な『グロウリーティフォン』を引き当てて坑道を半壊させた猛者の逸話まで飛び出した。
「だ、大丈夫だったんですか? 怪我人が出たんじゃ……」
「大変だったらしいよ。俺も生き埋めになっちゃってさ。気が付いたら医務室のベッドの上だった」
「ええっ?!」
あはは、と笑うラング先輩。
とても笑い事ではないと思ったけれど、この人はいつもこんな調子なので、どこまで本気なのか判断がつかない。
「そういえば先輩、黒磁石の鉱脈の話は聞きましたか?」
橋を渡り終え、第二実習棟の古ぼけた壁が見えてきたところで、僕は話題を変えた。
「黒磁石? 磁釘の原料ってやつ?」
「はい。普通は外海の島々にしかないらしいんですけど、最近デュラン山脈で鉱脈が見つかったそうです」
「あー、らしいね。スタン先生の研究室に行った同級生が、そんなこと言ってたよ」
実習棟一階の廊下は、相変わらずギシギシとうるさく、会話が少し聞き取りづらい。
長い廊下の突き当たりには階段があり、地下へと続く方角は、今日も不気味な空気を醸していた。
「うちの実験室は二階だよ」
ラング先輩は下り階段には見向きもせず、上の階へと進路を取る。
地下に何があるのか、普通の生徒は知らないのだろう。というか、興味すら持っていないのかもしれない。
僕は黙って彼の後を追い、二階の実験室に入室した。
実験室は、境目にあった壁が取り払われ、二部屋分が繋がった広い空間になっていた。
窓側の半分は石敷きの床で、鉱石屑の入った麻袋や、すり鉢、ハンマーが無造作に転がっている。
窓際には、火力石を投じる口のある竈が二基設置され、煙突が壁を突き抜けて外へと伸びていた。
「やっと来ましたか。遅かったですね」
「すみません、ヘンケル先生!」
先生は竈に火力石を放り込み、ふいごを踏み込む作業を繰り返している。
「代わります」とラング先輩が駆け寄り、今度は彼が同じ操作を引き継いだ。
「さて、フリックさん。さっそく今回の作業について説明します」
「はい! お願いします」
今日取り組むのは、連晶を発生させる研究だ。
イグニド鉱石からイグノクラフトの細かな単晶を分離し、それを原料に実験を行う。
目の前にある高温高圧釜に、一定の条件を与え、どの程度の単晶が、どのような連晶へと変化するのかを記録する。
「この釜は、火力石と加圧石を動力源にしています。試験中は、この二つを切らさないよう、常にくべ続けなければなりません」
今回の試験時間は十時間。
今は午後五時半なので、反応が終わるのは夜中の三時半ということになる。
「これから私が夕食に出ます。一時間交代で、ラングさんとフリックさんに食事に行ってもらい、その後も交代で休憩を挟みながら作業を続けてください」
初めての夜勤、頑張ってくださいねと励まされ、僕は元気よく返事をした。
「はい。頑張ります!」
作業は、思っていたほど難しいものではなかった。設置された砂時計を眺めながら、決められた操作を淡々とこなしていく。
一番大きな砂時計の砂が落ちきったら、真っ黒な加圧石を漏斗にシャベル一杯流し込み、ハンマーでピストンをカンカンと叩き込む。
真ん中の砂時計が止まったら、温度と圧力の数値をノートに書き留める。
一番小さな砂時計の流れが止まったら、赤い火力石を竈の下にある鉄扉の中へシャベル一杯放り込み、ピストンをカンカンと叩いてから、ふいごをふかす。
それ以外の時間は、実験の目的や、これまでの研究結果について教えてもらっていた。
「イグニド鉱石が、最も能力を発揮できる連晶型は知っていますね?」
「はい。薪束状連晶です」
「その通りです。薪束状というのは、針状の単晶が平行に並び、束になって結合した形です」
ヘンケル先生は、薪束状連晶となった小さなイグノクラフトを、僕の目の前に差し出した。
「このくらいのサイズの連晶を効率よく作れるようになれば、現在の錬石機関は、もっと多くの分野で使われるようになるでしょう」
これまでは、機関車やバス、大規模工場、採石場、軍用兵器など、限られた用途にしか使われてこなかった。
だが、この薪束状連晶を用いた連晶機関なら、動力炉を安価かつ小型化できる。小規模工場や町鍛冶、銭湯、パン屋といった場所にも導入できるのだと、先生は熱を込めて説明した。
「薪束状連晶を作ること自体は、実はそれほど難しくありません。問題は、純度と、製造にかかる時間、そしてコストです」
純度を上げ、製造時間とコストを下げること。それが、この研究の目標だという。
「これは、アイビー先生の悲願なんですよ。――『連晶機関』の実現は」
ヘンケル先生は、しみじみとした口調でそう語った。
現在の錬石機関を進化させた『連晶機関』は、大衆向けの動力だ。これが実現すれば、世の中は劇的に便利になるだろう。
「これを成し遂げれば、“ブレガー”の名は、庶民たちに英雄として語り継がれるだろうと、先生はよく仰っています」
「耳にタコができるくらい、言ってますよね」
ラング先輩の茶々入れに、ヘンケル先生は目を細めて笑った。
「アイビー先生は、私たちの希望の星です。だからこそ、私たちはこの研究室に入ることができました」
「価値観が違う人間は、研究室には入れないって、よく言ってますよね」
ラング先輩も、深く頷く。
そのやり取りを聞きながら、僕は不思議な安心感を覚えていた。
この二人は、本心からアイビー先生を尊敬している。
あんなにめちゃくちゃな先生なのに、研究室の人たちとは、意外なほど良好な関係を築いている。
それは、表面的なものではなく、もっと奥深いところで結ばれた関係だ。
そんな関係を築けるこの人たちを、少し羨ましいと思った。
いつの間にか夜が更け、竈から漏れる赤い光だけが、部屋をぼんやりと照らしていた。
その間もずっと、僕たちの会話は途切れ途切れに続いていた。
「そういえば、ヘンケル先生も気になるって言ってましたよね。デュラン山脈の黒磁石の話」
僕が竈当番をしていると、仮眠用の毛布にくるまったラング先輩が、ふと思い出したように呟いた。
「黒磁石?」
「はい。今日、フリックが掘査技術の授業で鉱山に行ったらしいんです」
ラング先輩が目配せしてきたので、僕がその話を引き取る。
「黒磁石の鉱脈が、デュラン山脈の中に突然出現したらしいと聞きました。裁きの光で立ち入り禁止になった区域から、伸びてきているとか……」
「ああ、その件ですね」
部屋にひとつしかないスツールに腰掛けたヘンケル先生は、顔を伏せ、眼鏡に指を添えたまま、しばらく沈黙した。
「……黒磁石は長い間、外海の島々にしか存在しないと言われていました」
しかし近年、内陸部での発見例が報告され始めた。そしてそれが、スフォルド州の立ち入り禁止区域と関係しているのではないか――そう囁かれ始めたのは、ほんの数年前のことだ。
「裁きの光が落ちたあと、トゥリクとの国境付近、いわゆるスヴァンブール市周辺は、立ち入り禁止区域に指定されました。あそこは生命体が生存できないほど危険な場所だとされ、長らく誰も近づけなかったのです」
調査が可能になったのは、錬石機関を用いた乗り物が実用化されてからだった。
馬も鳥も近づかないその区域の奥深くまで、人間が短時間で到達できるようになったからだ。
「ですが今もなお、神子の怒りは収まっていない、あの区域は呪われている、永遠に立ち入ってはならない――そう主張する人は多い」
聖地と似たようなものですね、と呟き、ヘンケル先生は小さくため息をついた。
「本当は、早く調査したほうがいいんですよ。聖地も、立ち入り禁止区域も。黒磁石の地層の広がり方次第では、人間の文明に致命的な影響を与えかねませんから」
神子様に忖度する気持ちは、わからなくもありませんが……
ヘンケル先生は、ちらちらと僕の顔色を窺いながらそのような本音をこぼした。
「俺たち、イーノス様が全然怖くないって知ってるから、余計にもどかしいんすよね」
毛布の中から、ラング先輩の声がする。
「ちゃんと説明して、調査させてくださいってお願いしたら、きっと許してくれるのに。なあ、フリック」
「ええ、まあ……そうですね」
曖昧な笑顔を返しながら、僕は黙々と竈に火力石をくべる。
「余所の国みたいに、神子様を恐れず、盲目的に調査を進めろとまでは言わないけどさ……」
ラング先輩が眠りにつくまで続いた雑談は、僕に新しい視点を与えてくれた。
アイビー先生の周りにいるこの人たちは、今まで出会ってきたどの集団とも違う。
この人たちは――「イーノスを、正しく回避しようとしている人たち」なんじゃないだろうか。
彼らは、自分たちがイーノスをどうにかできるとは思っていない。
イーノスに不利益を与えることもしないし、彼から利益を得ようともしない。
……もしかしたら、普通の人間にとっては、この距離感こそが最適解なのかもしれない。
僕だって、もしイーノスから名前を呼ばれていなければ。この人たちの仲間に、喜んで加わっていただろう。




