第二十二章(4)
外はすっかり暗くなっていた。
僕は先ほど聞いた話を頭の中で反芻しながら帰途につき、部屋に戻ると、ベッドの端に腰掛けて暗い天井を見上げた。
「……元ラチェット派、か」
これまで僕の周囲で蠢いていた数々の怪しい動きは、どうやらその一派の暗躍だった――そう考えれば、ひとまず筋は通る。
けれど、それでも――どうしても引っ掛かる点がある。
「“裁きの光”って……一体、何なんだろう」
何度となく耳にしてきた言葉。
今回、初めてその“真実らしきもの”を聞かされたわけだけど。
――仲間を殺されたイーノスが、怒りのままに研究所を焼き払った。
それは、本当に事実なのだろうか。
僕はそこに、拭いきれない違和感を覚えていた。
「あのイーノスが……怒って、そんなことをするかな」
あれは、去年の秋頃のことだ。
僕が“誰か”の影響を強く受けていた時期。
僕はイーノスに向かって、珍しく強い口調で言った。
――“復讐”をして当然だ!
俺たちを踏みつけながら、のうのうと生きている人間全員に知らしめてやれ!
そのときの返答は、どうだったか。
イーノスは、ケラケラと笑っていた。
まるで、僕が冗談でも言ったかのように。
挙げ句の果てには、こんな言葉まで返してきたのだ。
――だって、馬鹿馬鹿しいじゃないか。
意味のないことを、わざわざやろうとするなんて。
「……イーノスは、そんなことで怒ったりしない」
ましてや、粛清など――ありえない。
アイビー先生は神子を恐れていたけれど、あれは過剰反応だと思う。
イーノスをよく知らないがゆえの、盛大な勘違いだ。
おそらくイーノスは、あの研究が再開されたと知っても、裁きの光を下したりはしない。
せいぜい少し気分を害して、眠りについてしまう程度だろう。
――では、百年前に下ったとされる“裁きの光”は。一体、誰が下したのだろう。
僕の脳裏に、ひとつの光景が浮かび上がる。
どす黒いクレーターの底で、異様に輝く植物。
明らかに縮尺がおかしい、巨大な双葉と本葉。
「あれは……知恵の樹じゃないのか?」
ハックフォード先生が持ち込んだ、ちっぽけな芽よりも。
あれのほうが、よほど“知恵の樹”に近い幼葉だった。
あれもまた――“破壊と再生”だったのではないか。
ふと窓の外に目をやると、深夜に差し掛かろうとしているのがわかる。
「……眠らなきゃ」
僕は病人だ。
薬を飲んで、眠らなくてはならない。
僕は考えることをやめ、眠りにつくことを選んだ。
このとき僕は――かなり真相に近づいていた。
けれど、それを受け入れるだけの準備が、まだできていなかった。
「……ねぇ。昨日はどこに行ってたの?」
次の日の朝、朝食を共にしたライズは僕にそう尋ねてきた。
「そう言えば、昨日はずっと帰って来なかったの? 珍しくライズがひとりで食堂に来ていたけど」
マーガレットもそう言って、興味津々な視線を向ける。僕は少しだけ躊躇ったけど、隠しても仕方がないので正直に話すことにした。
「研究報告会に参加していたんだ。学長先生に招待されて」
「えぇー! 先生たちの発表聞いたの? いいなー!」
彼女は発表についてあれこれ聞きたがったけど、守秘義務があることを告げてやんわり断った。
「そう言えば、マーガレットのお祖父さんに会ったよ。ライズのお祖父さんとも」
「えっ、そうなの? おじいちゃまったら、忙しくてわたしのところには来てくれなかったのに」
マーガレットは可愛く頬を膨らませている。対してライズはとても嫌そうな顔をしていた。
「なんでそんなやつらと会ってるの? まさか会話したりしなかったよね……」
「アイザックさんとはほとんど話さなかったよ。ゼノさんとは少しだけ会話したかな」
そう答えると、マーガレットが満面の笑みを浮かべた。
「どうだった? おじいちゃま、格好良かったでしょ?」
「うん。すごく大きくて、強そうだった」
「でしょう! おじいちゃまは実際、ものすごく強いのよ。何度もアスティリアの危機を救ってきたんだから!」
彼女はえへん、と胸を張って語り始める。
数十年前、アスティリアとトゥリクの関係は冷え込んでいた。
ちょうどその頃、北のバルハート国が内戦状態に陥り、両国はバルハートを舞台に、代理戦争のような状況に突入していたのだ。
「当時のおじいちゃまは、バルハート西部の支援部隊の隊長だったの。自分で錬石大砲を担いで前線に出て、敵の大砲を次々に粉砕していったんですって!」
それ以外にも、化け物じみた戦果を延々と語り、ライズはすっかり白けた顔になっていた。
僕は最後まで愛想よく話を聞き、満足げな彼女に、こう尋ねてみる。
「ゼノさんって、今でもすごく偉い人なんだよね。もしかして、双帥の人たちとも仲が良かったりするのかな」
「ええ。今の双帥、クロム・フェルトラ様とは、学生時代からの先輩後輩の関係だって聞いているわ」
先輩なのは、年長のゼノさんのほうだろう。
僕はその情報を、頭の中にしっかり刻み込んだ。
その後、僕たちは一コマ目の講義に出席し、研究室へ向かった。
その途中で、ライズが低い声を出す。
「ねぇ。今朝はどうしてあんなことを聞いたの」
「あんなこと?」
「マーガレットのお祖父さんと双帥の関係だよ」
「ああ……」
少し言葉を濁してから、僕は笑顔で返した。
「別に。特に理由はないよ」
「…………」
ライズは、思いきり顔をしかめて黙り込んだ。
明らかに納得していない。
ピリピリとした空気に、僕は居心地の悪さを覚える。
何か話題を変えようと口を開きかけた、そのとき。
「あのさ」
ライズが、先に言葉を発した。
「きみ、自分の病気を治す気が本当にあるわけ?」
「え……?」
彼は僕の目を見下ろしている。ずいぶん高い位置になった彼の視線は妙に圧を感じる。
「変なことに首を突っ込まないで、薬を飲んで大人しく寝ておきなよ。どうなっても知らないよ……?」
彼は新年度が始まってから、僕の体調にとても気を遣ってくれていた。それは嬉しいことだったんだけど、今回の苦言はちょっと面倒に感じてしまった。
「うん。わかってる。でもさ、ちゃんと薬を飲んでいるし、近ごろはよく眠れているんだ。もう大丈夫だよ」
そう言って笑顔を向けたけど、ライズはまだ納得していない。
「きみが病気を治したいのなら、ぼくは協力する。でも、きみが面倒ごとに首を突っ込みたいのなら、ぼくに協力できることはないんだよ……」
ライズはそうぼやいて、再び黙り込んだ。
その後ほどなくして研究室に辿り着き、この話題はあっさりと終わってしまった。
研究報告会が終わり、研究室は通常運転に戻った。僕はラング先輩とともにヘンケル先生に呼び出され、これから担当する研究について説明を受ける。
「フリックくんには、ラングくんのサポートについてもらいます。ラングくんの卒業研究に必要なデータを集めるのが、君のこの一年間の主な仕事です」
ラング先輩の卒業研究のテーマは、昨日の報告会でも言及されていた――火力石連晶の、より安価な錬成法に関するものだった。
「フリック、よろしくな!」
「こちらこそ、よろしくお願いします。ラング先輩」
柔和な笑顔に癒され、少し気が緩んだ僕は、一年間の実験スケジュールに目を通して思わず気が遠くなりそうになる。
実験、実験、また実験。
毎日が実験で埋め尽くされている。
時折、夜遅くまで予定が組まれており、そこには〈第二実習棟での錬成試験〉と書かれていた。
「それは連晶の試作だよ。高圧釜か高温釜での錬成になるから、交代で数日、火の番をしなきゃいけないんだ」
「そ、そうなんですか……」
その日の午後には錬石学の講義があり、休憩時間に僕はライズに声をかけた。
「研究室のスケジュール、もらった? すごく不規則で、大変そうなんだけど」
「ぼくのところも似たようなものだよ」
「また体調を崩さないか、正直ちょっと不安でさ」
「余計なストレスを溜めないようにすればいいんだよ。これは普通の学生が通る道なんだから。余計なことをせず、研究に集中すればいい」
ライズはサリー先生のもとで、電力石の研究をするらしい。
教授の身内だからといって容赦しない――そう言わんばかりの過密なスケジュール表を、彼は淡々と見せてきた。
「きみ、風見鶏の錬成師になりたいんでしょ? だったら、四六時中研究に関われるほうが、むしろ精神的に安定するんじゃない?」
「そうだったらいいんだけど……」
ライズの言う通り、将来の夢を思えば、研究に打ち込める環境は悪くない。
イーノスにまつわる怪しげな動きや、七不思議の解明といった、“面倒ごと”に関わらなければ、十分耐えられるスケジュールにも思えた。
難しいことはアイビー先生に任せて……。
僕は学業を頑張ろう。
そう決意した、まさにその矢先だった。
僕の足元を大きく揺るがす出来事が起きてしまう。
研究室に忙殺される日々が始まって、まだ一週間しか経っていない、ある日のことだ。
その日はゼミがあり、アイビー先生はひどく機嫌の悪そうな顔で、開口一番こう宣言した。
「先月の研究報告会、ひどい評価を受けたわ。今年の研究費、かなり減らされるそうよ」
「ええっ?! そんな……この研究、双帥アーネスト様肝入りの案件だったじゃないですか」
「そうよ。アーネスト・フィンベリルが出資している、フィンベリル商会から提案されたプロジェクトの一部だもの」
「だったら、どうして……」
アイビー先生は額に手を当て、やれやれと首を振る。
「アーネスト・フィンベリルは、報告会への出席を辞退したのよ。双帥はクロム・フェルトラしか来なかった。だから、あいつが気に入った研究だけが特別扱いされたの」
何てことだ。
研究費の細かな内訳までは語られなかったけど……おそらく、ハックフォード先生の研究室に多くが回されたのだろう。
彼は、自分の研究がクロム・フェルトラから支援されていると、はっきり口にしていた。
「ああもう……どいつもこいつも馬鹿ばっかり。どうして、こんなに馬鹿なのかしら……」
すっかり白けた様子で、「今日は解散よ!」と金切り声を上げると、僕たちは研究室から追い出された。
そのおかげで、その日は早めに部屋へ戻ることができた。
ライズと別れ、部屋の扉のノブに手をかける。
そのとき、扉の隙間に見慣れない白い封筒が数通、差し込まれていることに気づいた。
「……手紙?」
珍しいこともあるものだ。
その中の一通を拾い上げ、じっと眺める。
真っ白な紙に金箔で模様が施され、豪奢な封蝋が押されている。
差出人の名を見た瞬間、僕は息を呑んだ。
「ゼノ・アレクサンドラ……?!」
思わず、声が漏れる。
他の封筒にも目をやると、『コーデリア・ロートシルト』『ミゲール・フランクリン』という名前が並んでいた。
どうして、彼らから僕に手紙が――?
頭の中が疑問符でいっぱいになる。
慌てて机に向かい、封を切って中身に目を通した。
それらの手紙には、先日お会いできて光栄だったこと、もっとゆっくり話がしたかったという内容が――まるで同じ文章を写し取ったかのように、丁寧に綴られていた。




