第二十二章(2)
助手の先生たちが運んできたのは、黒い布が掛けられたテーブルだった。
ハックフォード先生は、講壇のど真ん中に置かれたそれに手を掛けると、布を一気に捲り上げる。
テーブルの上にあったのは、一抱えほどもある大きなガラス瓶だった。瓶の中には三分の一ほどまで土が入っており、その土から不思議な植物の芽が顔を出している。
「皆様には、これが何かお分かりでしょうか」
ハックフォード先生はあえて答えを示さず、観察の時間を設けた。
暗い会場の中で、その芽はぼんやりと光を放っていた。淡い緑色のようにも見えるし、黄色や桃色が混ざっているようにも感じられる。
光る植物など、この世にはほとんど存在しない。
これが「知恵の樹の芽だ」と言われたら、きっと多くの人が信じてしまうだろう。
けれど。
僕がマクシネルで目にした芽は、もっと大きかった。
あれと比べてしまうと、これが知恵の樹の芽だと言われても、どうしても眉唾に思えてしまう。
やがて観察が終わり、会場の視線が再びハックフォード先生へと戻る。
彼はガラス瓶に手を添え、静かに口を開いた。
「ご察しの通り、これこそが“知恵の樹の芽”です。私はこの芽を『クラフティクラフト』から生成することに成功しました」
――クラフティクラフト?
急に現れた単語に、思わず息を呑む。
周囲を見渡すと、招待客たちも同じように顔を見合わせ、困惑した表情を浮かべていた。
「『クラフティクラフト』の研究は、これまでほとんど進展してきませんでした。理由は単純です。自然界において、クラフトという元素を純粋な結晶として取り出すことが極めて困難だからです」
クラフティクラフトの錬石は、生命の力を宿す。
サファー先生がそう言っていたのを思い出す。微量ながら採掘された例はあり、傷を癒やす魔法に使えると、授業で習った気がする。
「私は独自のルートで、クラフトを大量に含む鉱石を入手しました。それを精製、錬成し――『クラフティクラフトの十字連晶』の生成に成功したのです」
十字連晶……。
樹状連晶ではないのか。
僕は、ほんの少しだけ拍子抜けした。
ハックフォード先生が盗み出した『大帝国の禁書』には、『クラフティクラフトの樹状連晶』に関する研究が記されているはずだ。
一年近くも人目を忍んで追試を続けてきたのなら、当然その成果を持ち出してくるものだと思っていた。
確か、クラフト錬石の連晶は、樹状が最も魔力効率が高く、次いで十字が相性が良い。
十字連晶でも単晶の数倍の効果はあるだろうが……あの小さな光る芽を生やすだけの結果だと言われると、どうにも釈然としない。
「皆様もご存じの通り、『クラフティクラフト』は生命の力を宿しています。『クラフティクラフトの単晶』には“再生”の力があり、重い病や致命傷さえ癒やす可能性が報告されています」
彼は一拍置き、続けた。
「だからこそ、単晶よりも強力な連晶であれば――例えば“人を不老不死にする”ほどの効果があるのではないか、そう噂されてきました」
七不思議の一つ、『永遠の命をもたらす賢者の錬石』。
クラフト錬石が最も相性の良い樹状連晶となったとき、再生の力が最大化され、不老不死をもたらす――。
風見鶏出身の人も多いのか、周囲の招待客たちは神妙な表情で頷いていた。
「今回、幸運にも生成できた『クラフティクラフトの十字連晶』。その魔法の観測結果が、こちらです」
ハックフォード先生は、再び瓶の中を指し示す。
「十字連晶は崩壊の際、周囲の生命体を破壊し、それらを材料としてこのような植物を再構成しました。単晶では確認されなかった現象です。連晶になって、初めて観測されました」
“破壊と、再生”。
もしかすると『クラフティクラフト』とは、本来その二つを同時に引き起こす錬石なのかもしれない。
僕はどこか現実感のないまま、彼の説明を聞いていた。
もし『クラフティクラフトの樹状連晶』が、同じ性質を持つのだとしたら……。
それは、どれほど大規模な“破壊と再生”を引き起こすのだろう。
聖地に存在すると言われる知恵の樹は、もしかすると……遥か昔、『クラフティクラフトの樹状連晶』の崩壊と共に生まれたものなのではないか。
「本研究は、創造神による天地創造のプロセスを解き明かす、極めて価値の高い試みです。愚かな旧帝国の民によって失われた聖地を再建し、知恵の樹の恵みを再び神子様に捧げることも、決して夢ではありません」
神子様を愛する皆様、どうか多大なるご支援を――。
そう締めくくり、深々と礼をしたハックフォード先生に、会場から惜しみない拍手が送られた。
僕はしばらく、その余韻に浸っていた。
藍色章の招待客と入れ替わったことにも、サファー先生の講演が始まったことにも、すぐには気付かなかった。
ハックフォード先生は、明らかに『大帝国の禁書』を参考に研究を進めている。
今回、禁書盗難の罪が露見する危険を冒してまで発表に踏み切ったのは、後ろ盾を得たからだろう。
双帥クロム・フェルトラ。
冒頭で、この研究が彼の依頼によるものであると公言された。つまりハックフォード先生は、あらかじめ国の要人と話をつけたうえで研究を始めていたのだ。
禁書盗難が発覚しても、揉み消せる体制を整えて。
真意は測りかねるものの、「すべては神子のため」と主張する今回の発表は、印象としては悪くない。
この状況で、アイビー先生が何を言ったところで、研究を止めさせるのは難しいだろう。
完全に出し抜かれたのだ。
彼は追及を巧みにかわし、この発表の日まで時間を稼ぎ続けてきた。
僕は頭を抱えた。
どうやって、アイビー先生に報告すればいいんだ……。
「わたしが今、最も興味を持っているのが、新型スフェーンのための新しい刻石法です!」
サファー先生の快活な声が、意識を現実へと引き戻す。
彼女は、この場には不釣り合いな、箒のような奇妙な木の棒を掲げ、目を輝かせていた。
「皆さんには、ただの箒に見えるでしょう? でもこの房の部分には、わたし自慢の刻印を施した錬石が仕込まれているんです!」
彼女は笑顔で続ける。
「こんなもので空を飛べるなんて、誰も思わない。どんな物にも仕込めば、スフェーンのように空を飛べる――とても素敵な仕組みでしょう?」
サファー先生は箒にまたがり、講堂を軽やかに飛び回ってみせた。
確かに面白いし、胸も躍る。学生には大いに受ける研究だろう。
けれど、六色章の招待客である僕たちは、先ほどの発表の衝撃が強すぎて、ほとんど内容が頭に入ってこなかった。
続くアイビー先生の講演も、同じだった。
彼女は、錬石の大衆化について語る。
「文明の進歩とは、かつて特権階級にしか許されなかった恩恵を、大衆にも行き渡らせることです。私たちがさらに高みへ進むためには、今の特権を下へ降ろす覚悟が必要なのです」
錬石機関車、工場用機械。
火力石の量産方法、次世代動力とされる電力石――。
平民である僕にとっても、決して他人事ではない、興味深い研究内容だった。
……それでも。
最後の紫色章の招待客と入れ替わる際、僕は講堂を後にした。
これ以上の発表に、気持ちが向かなかったからだ。
外はすでに夕刻で、あたりは薄暗くなっていた。
僕と同じタイミングで退席した藍色章の人々が、前方にまとまって歩いている。
その人波の中で、赤毛の中年男性が数人に囲まれて詰め寄られているのが目に入った。
「ブレガー卿。一体どうなっているのですか? なぜオッペンハイム卿のご子息が、あのような発表をなさったのです」
ブレガー卿――。
その呼び名を聞いて、すぐに思い当たった。あの赤毛の男性は、ブレガー家の当主、アイザック・ブレガー氏なのだろう。
アイビー先生やライズと同じ、くるくるとした赤毛。
だけどその表情は、二人とは似ても似つかないほど弱々しく、不安に満ちていた。
「一体、何のお話でしょうか……? 私はただ、娘の発表を聴きに来ただけでして。そのような話は、まったく伺っておりませんが……」
「とても素晴らしい発表でしたよ。『クラフティクラフトの十字連晶』の錬成に成功されたとか。あれは、かつてブレガー家が検討していた研究とは異なるのですか? なぜ錬石学教授の娘さんではなく、戦闘学教授であるハックフォード教授が、その研究を引き継いでいるのでしょう」
アイザックさんは藍色章を身につけている。
つまり、あの発表を直接は聴いていないのだろう。
緑色章をつけた人物からそう問われた瞬間、彼の顔色がさっと青ざめた。
「……なんですって? クラフティクラフトの、連晶……? どうして、そんな研究が進んでいるんですか……?」
「どうなさったのです? 非常に価値のある研究だと思いましたが。双帥のクロム様が支援されているようでしたよ」
「ま、ま、まさか……そんな……! し、失礼します!」
上擦った声でそう言い残し、アイザックさんは講堂の方へと駆け出していった。
おそらく、アイビー先生を探しに行ったのだろう。
僕は彼の後を追い、少し距離を取って様子を窺った。
彼は講堂の控え室を覗き込み、そこにアイビー先生の姿がないことを確認すると、途方に暮れたように入口付近で立ち尽くした。
僕はなるべく自然を装い、彼に近づいて声をかける。
「すみません。もしかして……アイビー先生をお探しですか?」
「えっ!? い、いや、その……きみは誰だい?」
「僕は、アイビー先生の研究室の学生です。あなたは、アイビー先生のご親族の方ですよね?」
彼女とよく似た赤毛を指し示すと、彼は少し警戒を解いたように、ほっとした笑顔を浮かべた。
「ああ、そうだよ。……きみ、もしかしてアイビーがどこにいるか、知っているのかい?」
「はい。たぶん、研究室に戻られたと思います。よろしければ、ご案内しましょうか」
外部の人間を研究棟に入れていいのか、一瞬迷った。
だけど彼は身元がはっきりしているし、今日は特別な日だ。少しくらい大丈夫だろう。
「助かるよ。ぜひ頼む」
そう言われ、僕は彼をアイビー先生の教授室へ案内することにした。




