第二章(2)
知らなかった……。僕はハーベストの話に愕然とした。
『風見鶏の錬成師』というのは、"国で一番偉い錬石研究者"のことじゃなかったのか。僕は単に、風見鶏を卒業して『風見鶏の錬成師』の資格を持てば、好きに鉱脈を出入りできたり、国のお金で好きな研究ができるのだと思っていた。
「えっと、僕はそんなつもりはなくて、その……」
「わかっているさ。勘違いしていたんだろ? そうだと思ったよ」
ニカッと笑う彼に、僕は苦笑いを送る。
「変に広まる前に気付けて良かったな、君。先生だけじゃなくて、上級生や卒業生、助手の先生とかもいい感情を持たない。風見鶏の錬成師を目指しながらも、狭き門だと諦めている人はたくさんいる。誰に目をつけられるかわかったもんじゃない。今後は気を付けなよ!」
「教えてくれてありがとう。気を付けるよ」
別にいいって、と手を振る彼に嫌みな印象は受けない。もしかして初めから彼は、僕のためを思って話しかけてくれたのかもしれない。僕が卑屈だったから、彼に悪意を感じてしまっただけなのかも……?
ふと視線を左にずらし、僕はマーガレットの姿を探した。彼女も僕と同じく昨日の夕餉で浮いてしまっていたけど、今は周りの女子たちと楽しそうに会話をしている。
マーガレットの方が僕よりも大きなことを言ったように感じていたけど、実際は僕の方がまずかった。彼女は"同級生の中で一番になる"と言ったに過ぎず、僕は"上級生や先生まで含めて一番になる"と言ってしまったのだ。
恥ずかしい……。ビッグマウスと陰口を叩かれるのもわかる。自分が恥ずかしい……。
俯きながら前に視線を戻す僕。風見鶏の錬成師になれなくても、父の研究を継ぐことはできるのかな? 確かシラバスの後ろのほうに、取得単位と卒業後進路に関する情報が載っていた。パラパラとページをめくっていると、後ろから再びハーベストの声がした。
「君が言うなら分かるんだ、ライズ・ブレガー。君はもちろん風見鶏の錬成師を目指しているんだろう?」
えっ? 僕は驚いて後ろを振り返る。ハーベストは今度はライズに羽根ペンを向けて、肩をつついていた。
ライズは熱心に読んでいたシラバスを机に寝かせて、深いシワを眉間に刻みながら口を開く。
「いいや、ぼくは中退するんだ。適当に数個単位をとれば、確実に地方政務官にはなれるからねぇ」
「ええ?! もったいない。首席入学の君が中退? やめてくれよ、冗談きついぜ」
ハーベストは本当にショックを受けた顔で、首を横に振る。僕のときと大分反応が違うんだな……。何だか腑に落ちない僕は、おずおずと質問を投げ掛けてみた。
「あの……。どうしてライズなら風見鶏の錬成師を目指してもいいの?」
「そりゃあ君、彼はブレガー家の一員だからな。ブレガー家といえば、錬石研究者を排出しまくっている名家だぞ」
彼は笑いながら、シラバスの一ページをこちらに向けて、羽根ペンでトントンと叩く。そこには『連晶学研究室教授:アイビー・ブレガー』という文字があった。
「ええっ? ライズは教授と同じ家の出身なの?」
彼は何故だか名字を名乗らないから、知らなかった。そんなに有名な家の出身なら、逆に家名を強調して威張っていてもおかしくないのに。何故かライズは初めて会ったときも、昨日の夕餉の自己紹介でも徹底して名字を名乗らなかった。
「どうしてハーベストは、ライズの名字を知っているの?」
「そりゃあ有名だから。同級生にブレガー家の子息がいるなんて、入学する前からみんな知っているぞ」
そうなんだ……。僕の知らない"一般常識"が次から次に出てきて僕を苦しめる。僕は溜め息をついて、シラバスのページをめくる。
探していたページがあった。卒業後進路。ライズの言ったように、中退という選択肢もあるらしい。『中退』ではなく『早期卒業』という言葉が使われていたけど、国営学基礎の単位さえ取っていれば、一年生が終わった後に卒業し、ライズの言う『地方政務官』になれるらしい。
「風見鶏の授業は難しいし、単位取得試験もハードだという噂だ。留年も認められない。そもそも入学できたことすら名誉なんだ。だから早期卒業でも充分に勤め口はあるし、ひとつでも単位を取っていたら尚更だ」
同級生の半分くらいは早期卒業で辞めてしまうんだ、とハーベストが教えてくれて、そんなに難しい学校なのかと身震いしてしまう。
「しかも風見鶏の錬成師になるための最低条件はそこに書いてあるだろう。その条件は厳しいぞ。首席でもクリアできるかどうか……」
僕はページの下に目をやる。『付属研究所職員(錬成学)』がそれにあたる項目と推測できるけど、列記された必須単位を見て頭がくらくらした。
「基礎科目すべて」、「個人戦闘学」、「採石学」、「錬成学」、「二年科目から選択1」、「練石学研究から選択1」。
「これって何? "二年科目から選択1"って」
「二年科目は六つあるだろ? そのうちひとつを選択しろってことさ」
「でもここに並んでいる、個人戦闘学、採石学、錬成学も二年科目だよね?」
「その三つは必修だから、その三つ以外の三つから選択1ってことさ」
「ちょっと待って。二年生は主専攻科目を決めるんじゃなかったっけ。主専攻科目ってひとつじゃないの?」
「主専攻はひとつさ。あとの三つを副専攻として修めろというのが付属研究所職員ってやつなんだ」
キツいだろ? と言いながら笑うハーベスト。確かにそれは厳しいかも……。青い顔をしていると、鐘の音が聞こえた。いつの間に戻ってきていたサファー先生が声を上げる。
「じゃあみなさん、二時限目を始めます。シラバスを読んで、質問のあるかた挙手をお願いします!」
パラパラと手が上がり、順番に質問がされていく。ちょうど僕たちが話していたような、授業の難しさや早期卒業の割合について、副専攻や卒業後進路についてなどの質問が飛び交った。
「大丈夫、大丈夫ですよ。難しいと言う生徒さんも多いですが、わたしたちがちゃんと教えますし。もし気難しい先生がいらっしゃって、聞きづらいことがありましたら、学年担当のわたしのところに来てください。丁寧に教えますから、大丈夫です」
「サファー先生の副専攻はどの科目なんですか?」
「えっと、わたしは全部分かりますから、なんでも聞いてください」
「学生のとき、二年科目の六単位を全取得されたんですか?」
「はい。そうですよ~」
わあ。すごい。やっぱり現役の『風見鶏の錬成師』は格が違う。ザワザワとそんな言葉が聞こえてきた。
「先生って、何年入学の卒業生なんですか?」
「いま何歳なんですか?」
サファー先生が気さくなのを良いことに、挙手をしない生徒から質問が飛ぶ。今までどの質問も流暢に回答していた先生が、初めて言葉に詰まった。
ちゃんと挙手をしないと駄目でしょう! 生徒が生徒に注意を飛ばし、動揺が広がっていたけど、先生が言葉に詰まっていたのはそういうことではないらしい。
「えっと、その……。年齢のことは秘密なんです☆」
顔を赤らめてそう呟く先生に、室内はしんとなった。
「ああ、えっと、逆に質問しますが、先生は何歳くらいに見えますか?」
あまりの静けさにうろたえた先生は、おどけた調子でそんなことを問いかける。視線を向けられた最前列の女子、ニース・フランクリンがオドオドと言葉を発した。
「と、とても若く見えます……私の姉と同じくらい……? 二十代後半くらいでしょうか……」
「え~、そんなに若く見えるかな~、嬉しいな~」
良かった、機嫌を損ねなかったようで良かった。安堵の空気と、気の緩みが部屋全体に広がり、今度は挙手のないふざけた質問が乱発することになる。
「どう見ても二十代なんですが、若さを保つ秘訣って何ですか?」
「綺麗な髪をされていますが、行きつけの美容院とかあるんですか?」
「結婚されていますか?」
「婚約者は? 恋人は?」
「好きな人とかいるんですか~?」
「えー、ちょっとちょっと。そんな質問されたら先生困っちゃうな。みんなー、あんまり羽目を外しちゃ駄目だぞ~」
なんだかお茶目な先生だ。これから数年間、辛く苦しい学校生活を送ることになると考えていた僕だけど、そんなに気負わなくても良いのかもしれない。
下らない質問しか来なくなったところで、先生は僕らを外に連れ出して、校内の案内をしてくれた。
講義棟の他の部屋は、大小様々な講義室や簡単な実習室がある。中庭の向こう側には広い実習場があり、さらにその向こうには大がかりな実習のための実習場と実習棟がある。図書館と講堂の間に博物館があり、錬石のサンプルが並んでいる。図書館には実習机がたくさんあり、午後はここで過ごす学生が多いと説明があった。それから食堂の前を通り、ぐるっとまわって正門のほうに向かう。バス停が見え、昨日気になっていた様々なオブジェが顔を出す。先生はそれらの説明をしてくれた。
「これは"天球儀"と呼ばれているものです。この世界は"コンフィズリー"という名前なのはみなさんご存じと思いますが、コンフィズリーの現在の姿をこの小さな球体に映しています」
ここがアスティリアで、ベルフォートはこの辺りです。今は朝なので太陽はこちらにあります、などと説明があり、みんな中心の拳大の大陸に注目していた。
白いモヤモヤは雲だろうか。これを見たら明日の天気など簡単に予測できそうだと思った。
「これは"踊る噴水"と呼ばれているものです。元素の力を意図的に遮断した特殊な空間で、水がどのような動きをするのかを楽しむための装置です。ほら、規則的な模様が描かれたり、ぐちゃぐちゃになったりして、不思議でしょう?」
十本あるガラスの筒の中で、水の粒がくるくると踊っている。下から光が立ち上っていて、水を七色に煌めかせていてとても綺麗だった。
「あちらの門の上にあるのが、"守りの悪魔"です。石像ですが、非常時には動き出して侵入者を撃退するそうです。普段は目に嵌め込まれた錬石を通じて、校内外を監視しています」
正門の上に、恐ろしい顔をした二体の石像が座っていた。手には槍を持ち、二枚の翼が生えている。動き出したらもっと怖いだろうな……。生徒たちは先ほどまでのオブジェと違って大分距離を置きながらその像を眺めていた。
「他にもたくさんありますが、きっと別の先生が教えてくださいます。みなさん、風見鶏での生活を楽しんでくださいね!」
鐘の音が鳴り、サファー先生の一礼で授業は締め括られた。オブジェを見に行く生徒や、先生と話しにいく生徒、寮に戻る生徒など、みんな自由行動を始めている。
僕はどうしよう。博物館に行きたいなと考えていたところに、おい、と声が掛けられた。