第十四章(2)
「実は皆さんに、今までずっと黙っていたことがあります。本日はそのことを少しお話ししなくてはなりません」
学長はそのような導入をして、周囲の学生をざわつかせた。
一体何の話をするのか、みんな見当も付かない様子だ。だから学長が次の言葉を発したと同時に、周りは一瞬にしてシンと静まった。
「それを説明するに当たって、この学校の成り立ちについて話します。皆さんが風見鶏という愛称で親しむこの学校には、公にできないとある目的がありました」
風見鶏の正式名称は、『アスティリア国定三学研究所付属高等士官学校』という。国が定める、国を治めるために必要な学問『国定三学』、つまり『錬石学』、『国営学』、『戦闘学』に関して最先端の研究を行い、その知識を身に付けるための学校がここだ。
「国を治める士官を育てる学校と、皆さんは理解して入学されたことと思います。しかし、この高等士官学校という名前は今から数十年前につけられた新しい名前。古くから変わらない愛称である“風見鶏”は、この学校の特徴を示す、もう少し違った役割から名付けられたものでした」
講堂のてっぺんに作られた回らない風見鶏。あのシンボルは学校が建立された百年前から存在する。
風見鶏という愛称は、初めから存在した。それはつまり、風見鶏という名前こそ、この学校の本当の目的を表しているものと言える。
「風見鶏とは、風が吹く方向を報せるものです。風を感じ、それと同じ方向を向き、それを人々に示す。さて、この“風”とは一体何のことでしょうか。風向きを決めるのは、一体誰なのでしょう」
学長の問いかけには誰も答えない。講堂はシンと静まり返っている。
彼は少しだけその沈黙を楽しんだ後、徐に口を開いた。
「風を吹かせるのは、神子です。この国において、風向きを決めるのは神子様しかあり得ません。つまり風見鶏とは、神子が吹かせた風に追従する者たち。神子の盾となり矛となる士官たちを育てる場所であるということです」
僕はその発言を受けて、学長が何故このような会を開いたのかを電撃的に理解した。
彼は僕の閃きの通りに、神子の棺の話を口にする。
「この学校には、神子様のお眠りになる棺がずっと安置されていました。神子様は風見鶏の士官たちに守られ、この百年ほどの間お眠りになられていました」
彼は今まで七不思議として影で語られていた噂話を、ついに今日この日、真実として認定した。
何故その認定が必要だったのか。それは、“神子の存在を全校生徒に知らしめるのに必要だから”に他ならない。
「私たちが神子様の存在について黙秘していたのは、神子様のお目覚めを待っていたからです。そしてこの度皆さんに秘密を明かしたのは、神子様がお目覚めになられたからです」
その時、舞台袖からトコトコと歩いてくる人物に、みんなが釘付けになった。
僕があげたブカブカのケープマントをはためかせて、真っ黒な髪をした男の子がゆっくりと歩いてくる。
学長は彼に演壇を譲り、彼は少し戸惑った様子でそこに上った。
全校生徒が固唾を飲んで見守る中、イーノスは緊張の面持ちで口を開く。
「俺様はイーノスだ。よろしく」
シンと静まったままの場内に、彼はちょっとだけ不満そうに眉を寄せてから言葉を続けた。
「起きたばかりで良くわからないんだが、俺様はひとつだけお願いしたいことがあってここに来た」
お願いしたいこと? 何だろう。
学長が神子と呼ぶこの謎の少年が、わざわざ全校生徒を集めてまで頼みたいこととは何だ。
講堂中が緊張していた。彼の言葉を一文字でも聞き逃さないように、聴覚に全神経を集中させている。
イーノスは口を開いた。
「俺様はフリックというやつにとても世話になった。目が覚めたばかりで、右も左もわからない俺様に世話を焼いてくれた。俺様はフリックに借りを返したいと思ってる」
遠慮がちにざわめきが起こる。謎の人物が言う『フリック』という人物を探して視線が彷徨っているのが見て取れる。
フロウリードームの寮生と、同級生たちは即座に僕に視線を向けてきたので、僕は居心地悪く身を縮めた。
「いま誰かがフリックを困らせているらしい。俺様はフリックに平穏な生活を送ってほしいと思っている。もしフリックを困らせるようなことをしているやつがいるなら、すぐにやめてほしい。俺様が言いたいのはそれだけだ」
彼はそこまで語ってから、あっさりと壇上を下り、舞台袖に去っていく。講堂内はシンとして、ほとんどの学生が僕と学長を交互に見やっていた。
イーノスの申し出はありがたいんだけど、他のやり方はなかったのか? 僕は恥ずかしくてしばらく顔を上げることができない。そうしている内に、再び壇上に上がった学長が発言を始めた。
「神子様はまだ目覚めたばかりで、風を吹かせるおつもりがないようです。お心が決まり次第、セルグに向かわれることになります。それまでは風見鶏で過ごされるので、皆さん、失礼のないようになさってください」
その言葉で集会はお開きとなり、僕たちは寮に戻される。
帰り道、僕は寮生や同級生から引っ張りだこになり、これはどういうことなのか説明を求められた。
「あれって本当に神子なの?」
「神子のお世話をしていたの? いつから?」
「神子がどうして学校にいたの? どこにいたの?」
「いや、その、ちょっと色々言えないことがあって……」
今回も僕は余計なことを言わない道を選んだのだけど、なかなか皆引き下がってくれなかった。
あの少年が本当に神子なのか疑う人、神の子の棺の七不思議の噂すら知らなかった人、なんとかして神子とお近づきになりたい人など色々な学生がいた。
僕は揉みくちゃにされながら部屋に帰り、疲労困憊の果てにぺたりと床に座り込んだ。
何だかよくわからないけど、何とかなったのか?
その日に実感はまだ沸かなかったんだけど、次の日にイーノスの『お願い』は効果覿面だったことはすぐにわかった。
その日は六月五日、緑陽日。午後にアイビー先生の授業があったんだけど、彼女は僕を憎々しげに睨むだけで何もしてこなかった。
神子にあれだけおおっぴらに牽制されたわけだから、僕に手を出せるわけがない。
午後にあった個人戦闘学Ⅰの授業のあと、コリウス先生がこの数日間に起きたことをこっそり教えてくれた。
「お前がアイビーに捕まったと聞いて驚いたぞ。しかも脱獄までしでかして二重に驚いた」
僕が捕まったのは五月末だった。だから僕は四日ほど眠り続けていたことになる。
その割には体力も落ちていないし、お腹も空いていなかったのが気になったけど、一日中眠っていたらそんなものなのかもしれない。
「すぐに助けてやれなくてすまなかった。私もアイビーに尋問されていたからな。あいつは思い込むと話を聞かなくなるから参った」
僕が予想した通り、アイビー先生は僕とコリウス先生の共犯を疑っていたようだ。コリウス先生も捕まって、同じような尋問を受けたらしい。
「お前が脱獄した時に私も反省室にいたから、脱獄については私が疑われることはなかった。外から壁を破壊する音がしたから、イーノスが来たことはすぐにわかった」
壁はまた、例の奇妙な模様を残してすぐに再生された。先生方は皆はっきりと語ることはしなかったけど、ほとんどがすぐにイーノスの犯行だと気が付いたらしい。
「イーノスがここまで派手に動いたのは初めてだったから、皆動揺していた。アイビーは特に動揺して、『ノートを盗んだのは神子なのか』と私に尋ねてきた」
「何て答えたんですか?」
「ノートを盗んだ犯人は知らない。イーノスはそんなことをするようなやつではない。そんなことをするような人間はハックフォードくらいのものだと言ってやった」
「アイビー先生は納得したんですか?」
コリウス先生は首を横に振る。
「アイビーはハックフォードの人間性を理解していない。あいつはオッペンハイム家の人間だから、そんなことをするわけがないと一点張りだ」
オッペンハイム家とブレガー家は、古くから繋がりのある家らしい。コリウス先生も貴族のシステムには詳しくないから、彼らの関係性については良くわからないとぼやいた。
「やっぱり、犯人はハックフォード先生なんでしょうか」
「私はそう思っている。あいつくらいしかあれに興味を持つ人間は知らない」
「どうして先生はノートを盗んだんでしょう」
「『あれには賢者の錬石の作り方が書いてある』とやつは繰り返し言っていた。賢者の錬石の作り方が知りたいのだろう」
「どうしてそれを知りたいんでしょうか」
「さあ……。やつは神子を救うために必要などと言っていたが、本当かどうかわからん。しかし問い詰めたところで、前と同じように丸め込まれてしまうだろう」
腕を組んで考え込む先生。僕も同じように思案して、思い付いた策を挙げてみた。
「僕たちで盗み返したらどうですか。部屋に隠しているのを暴いてみせるんです」
「それは一番初めに手を打たれているだろう。罠が張られている可能性が高いからやめておいたほうがいい」
「イーノスにお願いしてもらったらどうですか。アイビー先生のものを盗んだ犯人は、彼女に返却するようにとか」
「ハックフォードは神子を怖れていない。そんなことでは動じない」
「イーノスに本当のことを言ったらどうですかね。ハックフォード先生がノートを盗んで、僕に罪を擦り付けようとしたと」
「そんなことを言ってどうする。やつは神子のためにノートを盗んだと言い始めるぞ。賢者の錬石の研究を行う大義を与えることになりかねん」
色々と考えたけど、この日は良い案が浮かばなかった。
午後に講義があったから、鐘の音と共に議論は中断された。
イーノスのお願いの影響について、他にも言及すべきことがある。
僕を取り巻く環境は、また大きく変わってしまった。
一度目の反省室の後にも一変したのだけど、この二度目はさらに酷かった。
質問責めは数日間で収まったけど、僕が神子に気に入られていることを知った学生たちは、まるで僕もまた神子のように信仰の対象だと勘違いし始めたようだ。
遠くから僕を見付けては指差して騒がれたり、「フリック様、おはようございます」などと挨拶をするためだけに駆け寄られたり、道を大きく開けられたり……。そんなことをされても困るんだけど、僕が苦言を呈すると皆は震え上がってしまうから、終には何も言えなくなってしまった。
「すっかり有名人だな! フリック様」
ハーベストたち、比較的親しい同級生からはそう茶化された。
「やめてよ……本当に困っているんだから」
「ごめんごめん。いやしかし、皆単純だな」
自分たちも神子とボードゲームをしていたなんて教えたら、様付けされてしまうかなと言ってハーベストは笑う。
「ハーベストも神子と会ったことがあるんですか?」
「え? いやぁ、まあ……」
まだ教えていなかったらしい。ニースに睨まれて、ハーベストはしどろもどろになりながら説明をしていた。
「羨ましいです。次に遊ぶときは私も呼んでくださいね」
ニースにそう微笑まれて、僕はつい頷いてしまう。ニースはマーガレットに負けず劣らず美少女だったから、彼女にこんな風に頼まれて断れる男はライズくらいしかいないだろう。
他にも特筆すべき変化があった。僕たちの寮、フロウリードームに所属していた同級生が一週間の内に二人も退学してしまった。
そのふたりとは、マルタ・ルビスとニール・ソルベイだ。一年前、レニー・スカーレットと行動を共にしていたマルタ、そのボーイフレンドであるニールがレニーの後を追うように退学をした。
「イグノドームでも、先輩がひとり退学したのよ」
マーガレットが教えてくれた。他の寮でも同じような事が起こっているとハーベストからも聞いた。
「イーノスの件と何か関係があるのかな」
「さあ……どうでしょうね」
イーノスを殺そうとしたロイド・ラビオリの一派が、イーノスの存在の露見と共に一斉に去っていったことを僕たちが知ったのは、この時からだいぶ経っての事だった。




