第十一章(1)
二年目が始まって、一ヶ月が過ぎた。
五月、白葉の月。新しいスケジュールにも慣れ、学校生活に楽しさを感じ始めていた頃のことだった。
僕たちは朝食と夕食を、フロウリードームの席、青いテーブルクロスの席で食べていたのだけど、そこに白いスカーフの学生の姿を度々見かけるようになった。
彼らは新入生。サファー先生スタイルで言えば、ハチロク生。寮の席に必ず座らなければならないわけじゃないから別にいいのだけど、彼らが熱心に話している相手が例のセルグ第一のグループだったから少し気になった。
「マルタたち、また七不思議の話をしているみたいよ」
マーガレットが僕にそう耳打ちする。
「新入生に七不思議の噂を吹き込んでいるの?」
「そうみたい」
マルタ・ルビスは友人のイリヤ・フリッシュと、ニール・ソルベイ、クララ・ヴェーラーと共に新入生の三人の女の子を取り囲んでいた。そのグループの真ん中にいるのは、意外にも副寮長のサリー・ハーバーだった。
「また僕みたいな身分の低い子をけしかけるつもりなのかな」
「さあ……わからないけど」
瞳を輝かせて話を聞いている新入生たちに、一年前の自分の姿を重ねる。同時に、瞳をキラキラさせて僕を見上げていた白い犬のことを思い出した。
「ねぇ、フリック。終年祭の前に約束したことを覚えている?」
急にマーガレットが、顔を近づけて囁く。虚をつかれた僕はちょっとだけあたふたした後に口を開いた。
「えっと、もしかして、講堂の上の六角塔の部屋の件かな?」
「そうよ。暖かくなったら一緒に行こうって約束したわよね」
「きみたち、そんな約束してたの……?」
隣で聞いていたライズが、呆れたように呟く。
「そうよ。ライズも一緒に行きましょうよ。本物の神子と会えるなんて、ワクワクしない?」
「全くしないね。行かないよ、ぼくは」
相変わらず彼は、七不思議に全く興味がないようだ。
「あの子達に先を越されるのは悔しいわ。やっぱりわたしが謎を解明して、みんなから尊敬の眼差しを向けられたいの」
「そ、そうなの……?」
「ねぇ、フリック。あなたばっかりズルいわ! わたしも七不思議を調査したいのよ」
そんなに良いものじゃないんだけどな……。僕はハックフォード先生やキュービット先生に散々脅かされたことを思い出して溜め息をついた。
「あんまりね、大っぴらに調査するのはマズイんだよ、マーガレット。特にライズがさ……そうだ、彼がアイビー先生に怒られた話はしていたっけ?」
「え? 知らないわ。何の話?」
僕はライズの顔色を窺いながら、去年の夏の話をした。ライズがアイビー先生に呼び出されて、僕たちが図書館で色々と調べていたことに苦言を呈されたことを伝えた。
「なにそれ。ハックフォード先生だけじゃなくて、アイビー先生まで怪しい動きをしているの?」
「そうなんだよ。僕、怖かったから今まで黙っていたんだけど、本当に色々な先生が怪しげなことをしていてさ。ハーベストもやぶ蛇だと言っていたし、七不思議はもっと慎重に扱わないといけないんじゃないかと思っていて」
「…………」
さすがにマーガレットも不気味に感じてくれたのだろう。眉をキュッと寄せて、難しい表情をする彼女に安堵の息を吐いた時だった。
「面白いわ! それでこそ謎よ。やりがいがあるわ!」
「…………」
そっか。マーガレットは逆境に立ち向かうことに燃えるタイプなのか。余計なことを言わなきゃ良かったかなと反省した。
「ねぇ、マーガレット。君は謎を解明して尊敬されたいというけど、本当にそれが目的なの?」
意地悪かもしれないと思いながらも、僕は彼女にそう問いかけてみる。
「えっ? どういうこと? 他に何かメリットってあるのかしら」
「というか、それを本当に目的としているんなら、考え直した方がいいかなって」
僕は眉を寄せて、できるだけ厳しい顔になるように努めて話を続けた。
「僕たちが知りたい謎っていうのは、神子がどうして風見鶏で眠っているのかとか、賢者の錬石が本当に存在するのかとか、そういうことだよね?」
「ええ。そうよ」
「確かにそれを解明できたら、皆に自慢できるのかもしれない。だけど、それと同じくらい誰かから敵視されるかもしれないことをわかっている?」
「…………」
マーガレットは僕の問いかけに、明らかに気分を害したような顔をした。それは去年の夏にハーベストからテオドア・ロートシルトの話を聞いたときに見た顔に似ていた。
「なによ、フリック。あなたも"誰かからの"脅しに屈して調査をやめようと言うの?」
「そうじゃないけど。でも、明らかに謎を解明して欲しくないと思っている人がいて、神子の命を狙おうとしている人もいて、実際に亡くなったり退学になったりしている人もいるんだ」
君の『尊敬されたい』というメリットは、果たしてそのリスクを被ってもまだ価値のあることかな? そう問いかけたかった僕を制するように、マーガレットは掌を僕の口許に突き出してきた。
「わたしは脅しには屈しないわ! 真実を隠そうとするのは悪いことよ。わたしはアレクサンドラの名のもとに、闇に潜む巨悪を引きずり出すの!」
「……き、巨悪……?」
「止めても無駄よ! あなたが連れていってくれないなら、わたしひとりで確認しに行くんだから!」
「…………」
僕は溜め息をついた。多分マーガレットは、『脅されて引き下がること』を『臆病者』だと思っている。彼女は、多分アレクサンドラ家の人間は、自分が臆病者だと思われることが、死ぬほど嫌いなのだ。
「わかったよ、マーガレット。次の紫陽日の夜に、神子の棺の部屋に行こう」
パッと表情を明るくする彼女。その嬉しそうな顔を見て、僕はまあいいか、と思った。
キュービット先生は意外と調査に賛成派のようだし、アイビー先生とハックフォード先生はあれから何も言ってこない。これから新入生も七不思議の噂で騒ぎ出すだろうから、今さら誰も僕たちに注意を向けないだろう。
今こそ、調査を再開する時なのかもしれない。
「ぼくは聞かなかったことにするから。巻き込まないでねぇ……」
結局ライズはそう一言だけ釘を刺して、調査には参加しない姿勢を崩さなかった。
マーガレットと約束した『次の紫陽日』は、五月十四日。この日は十時四十五分からの二時限目に、為政学Ⅱの授業があった。
「キュービット先生は私用のため、本日の講義は自習となります」
その日の講義はキュービット先生の代わりに、彼の研究室の助手の先生が現れて、黒板に課題を書いて帰った。
教科書の特定のページの内容を簡潔に纏めてノートに記載しなさいというもので、とても一時間半の授業時間を埋められる分量の課題ではない。監督する先生もいなかったので、クラス内は雑談したり席を立ったり、居眠りをする生徒ばかりになってしまった。
爆睡しているライズの横で、僕とマーガレットが暇をもて余していると、前の列に集まっていたハーベストたちのグループが視線を送ってくる。
「なあ、フリック、マーガレット。面白い話があるんだ。一緒に話さないか?」
僕たちは顔を見合わせた。あと三十分の授業時間を退屈に過ごすのも勿体なかったので、その提案に乗っかることにする。
「なによ。面白い話って?」
前の席に集まっていたのは、黄色いスカーフを巻いたハーベスト、ニース、カレン、サーシャの四人だった。彼らは神妙な顔をして、こんな話を始めた。
「今日の講義さ、どうして急に自習になったかって知ってるか?」
「私たち、クラフティドームの生徒になったから、先輩たちから色々噂を聞くんです」
「噂?」
マーガレットが問うと、ニースは小さく頷いて、口許に手を添えながら答える。
「覚えていますか? 七不思議のひとつに、『赤い瞳の幽霊』というのがあったことを」
「ええ。覚えているわ。それが何?」
彼らは互いに視線を交わし、思わせ振りな沈黙を流してから、徐に話を続けた。
「この『赤い瞳の幽霊』が、数日前に目撃されたって噂が流れたんです」
「『赤い瞳の幽霊』の噂が流れ始めたら、キュービット先生は講義を休むようになるんだって、先輩たちが言っていたの」
「ええ? 何それ……」
なんとも突拍子のない話だ。僕たちはどういう反応をしていいやらわからず、顔を見合わせた。
「『赤い瞳の幽霊』って、数年に一度の周期で目撃談が流れるらしいのよ。キュービット先生は普段、講義をほとんど休まないのに、この噂が流れる時期だけは絶対に姿をくらますんだって」
「変な話だろ? 君たちにはこの話、是非聞かせたいって思ってさ」
そんな話を聞かされても、なんと答えていいのやら。
僕たちの困惑に気付いて、ハーベストは身を乗り出してこう言った。
「君たちは性懲りもなく、七不思議に首を突っ込もうとしているんだろ? 情報は多い方がいい。身を守るためにもな」
「何よ。あなたたちはこの件から降りたっていうの? 脅されたから?」
「厳しいことを言うなよ。俺たちだって興味はあるさ。ただ、先陣を切って調査をする気はないだけだ」
「ふん。臆病者ね!」
「なんとでも言えよ」
僕は喧嘩腰のふたりを宥め、情報の整理に努める。
七不思議の五番目、『赤い瞳の幽霊』が目撃されたという噂が流れた。
赤い瞳の幽霊の噂は、数年おきに流れる。
赤い瞳の幽霊の噂が流れ始めると、キュービット先生が講義に出てこなくなる。
「それって本当に関連があるのかな。キュービット先生はたまたま私用で忙しくしているだけなんじゃないの?」
「俺もそう思ったんだけど、先輩たちは自信があるみたいだ」
「クラフティドームを希望する生徒ってね、意外と七不思議に固執している人が多いみたいなの。キュービット先生が怪しいって、観察日記を受け継いでいるグループまでいるんだから、異常なのよ……」
「そ、そうなんだ……」
そう言えば、ロイドさんたちもクラフティドームの寮生だった。確かキュービット先生の統治学研究室に所属していると言っていた気もする。
「また何か情報が入ったら教えるよ」
授業終了の鐘が鳴ったので、ハーベストはそう言って話を打ち切った。
僕たちはライズと合流して、いつものように図書館で夜までの時間を潰した。
「妙な話を聞いたけど、今晩は予定通りに講堂に向かうのよね?」
「うん。しばらく行っていないから、僕も現場を確認したいし」
赤い瞳の幽霊というのが何なのか気になったけど、神子の棺とは別の話だと僕は思っていた。
「妙な話って、何のこと?」
「ああ、それはね」
ライズが問いかけてきたので、さっきハーベストたちから聞いた話を彼に伝える。
「…………」
ライズはその話を受けて、何だか難しい顔をして考え込んでいた。
「どうしたの? 何か思い当たることでもあるの?」
マーガレットの問いかけに、彼はゆるく首を振る。
「いや。別に、なんでもないよ。ただ、面倒臭そうなニオイがしただけ」
「ニオイ?」
僕たちの視線をうざったがるように手を振って、彼は一言だけこんな助言をしてくれた。
「あんまり出歩かないほうがいい。こういうときはね。どうせきみたちは、言っても聞かないだろうけどねぇ」
当然のようにマーガレットが噛みつき、しばらく騒々しい口喧嘩が続く。僕はまあまあと宥めながらも、わずかに生じた胸騒ぎに不安を覚え始めた。
何か嫌なことが起こっているような気がする。僕は不安を払拭するために、早く行動を起こしたくてたまらなかった。




