第十章(4)
戦闘学科目は、結局『兵装基礎演習』『戦闘魔力操作基礎』のどちらも履修することにした。
『兵装基礎演習』の初回はコリウス先生が担当し、身体測定から始まる。
この講義は人気が高かったので、ほぼ全てのハチゴ生が履修していたから、みんな去年の戦闘学基礎Ⅰでの測定結果と見比べてはしゃいでいた。
「見て見て! 背がこんなにも伸びているわ」
マーガレットが今回の結果の数値を僕に見せつけて自慢してくる。
確かにマーガレットの背は伸びていた。去年出会った頃は僕より拳一個分くらい低かった印象だけど、今は僕に迫る勢いだ。
ライズもハーベストもみんな伸び盛りのようで、それぞれ成長が見られた。
僕はそっと自分の紙を隠し、苦笑いを浮かべる。僕は全くと言っていいほど身長が伸びていなかったからだ。
もう成長が止まってしまったんだろうか。幸いにも誰も気付いていなかったようだけど、僕は心底がっかりして、ひどく恥ずかしかった。
身体測定のあと、僕たちは中庭の先にある実習場に集められた。基礎鍛練が始まるのかと思いきや、違った。
コリウス先生の背後には、色々な長さの木の棒が立てかけられている。背丈ほどもある長い棒と、腰くらいまでの中くらいの棒、指先から肘までくらいの短い棒の三種類。
彼はそれを示しながら、講義を始めた。
「兵装というのは、ミラ先生が作る錬石兵装だけでなく、古くからある通常の武器や防具も含まれる」
武器は長さによって、扱いに特長が出てくる。――攻撃するにも、回避するにも。
先生はそれぞれ好きな長さの棒を手に取るように指示する。
僕は中くらいのものを手に取ったけど、意外と重たくて驚いた。
「錬石兵装も良いのだが、基本的な武器防具の扱いができていないと軍人としては話にならん。まず私が、基本的な武具の扱いを教えようと思う」
ざわざわする生徒たち。みんなはスフェーンのような派手な兵装を扱いたくてこの講義を受けていたから、ただの棒を振らされるのが不満で仕方がないらしい。
「先生! 質問です」
手を挙げたのは、同じ寮のヨハンだった。
彼はミラ先生の大ファンだが、コリウス先生の鍛練が嫌で、イグノドームに行くのを諦めたと語っていた生徒だ。
人一倍不満そうに口を尖らせながら、コリウス先生に噛みつく。
「基本的な武具の扱いなんて、本当に役に立つんですか? 最新の錬石兵装はとても軽くて、遠距離も近距離も攻撃できるすごいやつがあるって聞いています。ミラ先生のような可憐な女性でもなんなく扱えるやつです。原始的な武器なんて扱えなくても一般兵くらい圧倒できますよね」
力なんてなくても、錬石兵装の操作に慣れていたら強くなれる。早くミラ先生の兵装を扱いたい。そんな主張だった。
コリウス先生は気が良い人だから、快活にアハハと笑った。
「なるほど、お前の言いたいことはわかるぞ、ヨハン」
「そうでしょう? 剣とか槍とか前時代の武具は今の時代にほとんど役に立ちませんよね。そんな装備しかない状態で錬成師に攻撃されたら、さすがのコリウス先生だって太刀打ちできないでしょう?」
「そうだな、場合によってはな」
コリウス先生は笑いながら、近くに立て掛けてあった細長い棒を手に取る。
ほら、やっぱりそうでしょう――などと得意気に語るヨハンに向けて、先生が数歩近づいた瞬間。
パァン、と小気味良い音が響き、ヨハンが持っていた短い棒が空を飛んだ。
一瞬にしてヨハンの顔が凍る。周囲の生徒もポカンと目を丸くしている。
たぶんコリウス先生は、長い棒でヨハンの武器を叩き落としたのだろうけど、全くその軌道が見えなかった。
ヨハンはすっかり怯えて、ぶるぶると手を震わせている。静まり返る実習場に、コリウス先生の声だけが響き渡った。
「錬石は叩き落としてしまえば問題ない。錬石が使えない下級兵であっても、お前のような凡庸な高級兵から武器を叩き落とすことは容易だろう」
コリウス先生はヨハンに、手にしていた長い棒を差し出す。
「身体能力の差は永遠に埋まらないが、お前でも“間合い”を意識することはできる。国家錬成師として戦場に出たいと希望するなら、その程度のことは身に付けておくんだな」
ヨハンは渡された棒を両手で強く握りしめ、長身の先生を見上げていた。
その視線には、先ほどまでとは違う、キラキラとした憧れの色が宿っている。
女子生徒の黄色い声が聞こえる。いや、女子でなくても、同じことを考えていただろう。
――か、カッコいい!
待望のミラ先生の授業は、『戦闘錬石操作基礎演習』で行われた。
初歩的な錬石魔法の撃ち方を習えるとあって、僕たちは期待に胸を膨らませていた。
「またグロウリーグロウかとガッカリさせるようだが、初めに扱うのはやはりこれだ。一番危険が少ないからな」
そう言って彼女は、米粒ほどのグロウリーグロウの結晶を一人ひとりに配っていく。
まじまじと見つめると、それは透明度の高い石で、六角柱状の先端が尖った独特の形をしているのがわかった。
「基礎科目を終えた君たちならわかるだろう。これはグロウリーグロウの高純度の単晶だ。軍と一部の研究機関でしか出回らないものだ。一般のランプ石に入っているグロウリーグロウはこれよりも純度が低い」
そんなもの、素手で触っても大丈夫なのか。ザワザワするクラス内に、ミラ先生は言った。
「錬石が力を発揮するには砕かれなければならない。一部の脆いものは、衝撃を加えただけでわずかに力を解放することもあるが、基本的には専用の道具を使わないと結晶に傷を付けることすらできない」
専用の道具として、先生は一人ずつに手袋を片方ずつ配る。その手袋は革でできたがっしりしたもので、指先や手のひらのあちこちに金具がついている。
「錬石に傷をつけるためには、錬石の中で最も固いハルティハルトの粉末が吹き付けられている工具がいる。この手袋の指先についている金具にはその処理が施してある」
先生に誘導されて、僕たちは手袋を装着した。そして彼女の真似をして、親指と人差し指で挟むようにグロウリーグロウを持つ。
「始めのうちは、指の力ではうまく割れないだろう。少し欠けるくらいだ。それでもグロウリーグロウが光を放つことを確認してほしい」
僕は指で単晶をはさみ、グリグリとしてみる。微かに石は輝き始めて、僕はその淡い光に見とれた。
「通常、軍で使う錬石は加工が施してある。手の力でも効率良く割ることができるガイドが入っているのだが……まずはガイドがない石を扱えるようになってほしい」
ミラ先生がまず初めにお手本を見せる。彼女の指先からパキリと澄んだ音が響き、まばゆいほどの光が溢れだす。
すごい。こんなに小さくても、あんなに光るんだ。
僕たちは興奮しながら、見よう見まねで石を割り始めた。あちこちからパキリという音がして、光が溢れだしている。
「みんなまだまだだな。上手く割れたら私と同じくらい輝く。これを上手く割れるようになることが、今月いっぱいの課題だ」
確かに、先生の放つ光と、僕の手元の光とでは明るさがまるで違う。
こんな小さな石一つ割るだけでも、ちゃんとしたコツが要るらしい。
結局、そのコツを掴めないまま、その日の授業は終わった。
微妙な指の筋肉を使う動作は想像以上に辛く、僕の右手はすっかりパンパンになっていた。
そのせいで、数日間はペンを持つのにも苦労することになった。
僕の履修した講義は、ほとんどが面白いものだった。
けれど、唯一どうしても退屈だったのが、キュービット先生の『神政学基礎』だ。
先生は相変わらず淡々と、教科書に忠実な授業を進めていく。
「基礎科目では、現在のアスティリア国政について学んでいただきましたね。二年次は『神政学基礎』と銘打ち、アスティリアの神政にもう一歩踏み込んだ内容と、諸外国との関係性について学んでいただきます」
そう前置きすると、先生は黒板に世界地図を描き始めた。
少し歪んだ四角形。その中央に、小さな円が描き足される。
「皆さんは『聖地』をご存知でしょうか。名前だけは知っている、という方がほとんどでしょうね。先の独立戦争以降、“何人たりとも不可侵の地である”と取り決められていますから」
聖地というのは、大陸の中央に位置する土地だ。
神の安息地、そして我らが崇める神子様の故郷――そう説明しながら、先生は教科書の挿し絵を見るよう促した。
「聖地には『知恵の樹』があります。図書館にミニチュアが展示されていますね。あれの実物です。非常に巨大な樹で、錬石を実らせる奇跡の樹とされています」
挿し絵には、さまざまな形の結晶を実らせた巨大な樹が描かれていた。
かなりデフォルメされた、絵本のような絵だ。正直、あまり現実味はない。本当にこんなものが存在するのだろうか。
「晩年の大帝国ザイヴァは、この聖地に侵入し、我が物のように荒らしました。それは到底許される行為ではなく、神の怒りを招きました」
先生は一呼吸置いて、続ける。
「先の独立戦争で勝敗を決した『裁きの光』。皆さんも耳にしたことがあるでしょう」
裁きの光によって愚者たちは消し飛び、恐怖に屈した大帝国は神子の前にひれ伏した。
そして神子の導きにより、ザイヴァ帝国は四つの国に分割され、現在の国境が形作られた。
「神子による統治を先導したのは、帝国西部の貴族――現在のアスティリア貴族です。アスティリアは神子の代理人として四国の先頭に立ち、『聖地』の復活を待っています」
知恵の樹が、かつての実りある姿を取り戻すまで。
何人たりとも立ち入らせない責任が、我々にはあるのです――。
そんな調子で、九十分の講義は淡々と進んだ。
内容は、ほとんど教科書に書いてある通り。新鮮味はない。
これはもう、完全に眠気との戦いだ。
両隣の友人たちは、すでに陥落している。
二年次から席は自由になったので、僕たちは目立たない中央やや後方に座っていた。
けれど僕は先生に目を付けられている身だ。どこに座ろうと、居眠りすれば即バレる。
何度も視線が合った気がしたのは、どうやら勘違いではなかったらしい。
終了の鐘が鳴り、ライズとマーガレットを揺すって起こしていると、席の前に人影がぬっと立った。
「フリック・ラーベス。後で私の研究室に来なさい」
「えっ、僕ですか?」
顔を上げると、そこにいたのはキュービット先生だった。
腑に落ちないまま、思わず反論してしまう。
「僕、居眠りはしていませんけど……」
「いいから来なさい」
なんで僕なんだ。
どうして、ぐっすり寝ていたふたりは許されているんだ。
納得はいかなかったが、名指しされた以上どうしようもない。
「ごめん、ふたりとも……行ってくるよ」
「ふぇ? なんでフリックが叱られるの?」
「わぁ……かわいそうに。がんばってねぇ……」
寝ぼけて呂律の回らない友人たちに見送られ、僕は用事をさっさと済ませるべく、キュービット先生の神政学研究室へと足を急がせた。
ノックをしてから先生の部屋に入ると、彼は机に肘をつき、顎の前で両手を組んだまま待っていた。
「失礼します……」
鼓動がやけにうるさい。
机の前まで歩み寄ると、彼はしばらく僕を見つめ、それから視線を机の上へと落とした。
そこにあったのは、去年の中間考査で提出した僕の答案だった。
未だに、採点はされていない。
「あの……これ……」
問いかけると、キュービット先生は静かに口を開いた。
「まずは、お礼を言いましょう。私の講義を履修してくださって、ありがとうございます」
「えっ? あ、はい……」
完全に虚を突かれ、間の抜けた返事になってしまう。
「あなたは、もう諦めてしまったのだと思っていました。私と対話しようという気持ちは、失せてしまったのだと」
「えっと、その……」
その認識は正しい。
“ディクティスの弟”が可愛い犬ではなくキュービット先生だというのなら、対話したい気持ちは正直まったくない。
だが先生は、そんな内心など知る由もなく、どこか満足そうな空気を漂わせながら答案を指差した。
「その答案を、お返しします」
「え、でも、採点が……」
「採点はしません。これから先も、しないつもりです」
はあ、と生返事をしながら答案を受け取る。
解答欄はびっしりと埋まっており、自分の字とは思えないほど整った文字が並んでいた。
何度読んでも、よく解けている。
それだけに、なぜ採点されないのかがわからない。
「私は、あなたに課題を出したいのです。特別な課題を」
「課題、ですか?」
先生は頷き、再び顎の前で両手を組んだ。
「なぜ私が、その答案を採点しなかったのか。考えてみなさい」
「…………」
意味がわからなすぎて、目の前がぐるりと回る。
「その課題を解かないと、『神政学基礎』の単位はもらえないんですか?」
「いいえ。次回以降は通常通り採点します」
そして、淡々とこう付け加えた。
「ただし、その課題が解けたなら。点数や講義態度に関わらず、あなたを一位にします」
「……え?」
一位?
点数や、講義態度に関わらず?
「仮に、僕が試験でゼロ点を取って、満点の生徒がいても……?」
「それでも、あなたが一位です」
「全部の講義で居眠りして、最悪出席しなくても?」
「もちろんです」
何だそれは。
破格にも程がある。
僕は答案に視線を落とした。
そこまで言われると、この奇妙な謎を解いてみたくなってしまう。
解けなければ、普通の生徒として扱われるだけ。
デメリットは、何もない。
「解けたかどうかを、私に伝える必要はありません」
先生は言った。
「あなたの“行動”を見て、評価します」
それだけ告げると、先生は一方的に退室を促した。
何なんだ、一体。
キュービット先生も、僕に“七不思議”を解くことを期待しているのか?
その夜、僕は答案を眺めながら考え続けた。
彼は、何を伝えたかったのか。
僕に、どんな行動を求めているのか。
問題は、アスティリア建国史についての論述だった。
括弧内の語句――神子、終戦、聖地、西部貴族、ザイヴァ――を用いて、自由に書けというもの。
今日の講義で聞いた通りの内容を、僕はそのまま書いた。
何度読み返しても、教科書通りだ。
おそらくライズも、同じような答えを書いて満点を取ったはずだ。
……もしかして。
これ自体が、間違いなのか?
彼は、こう言っていた。
――教科書に沿うということは、つまり国の方針に沿うということです。
――しかし、“国の方針に沿う”とはどういうことなのかを考えながら講義に臨めば、より良い学びに繋がるはずです。
このとき、僕は初めて彼の考えの一端に触れた気がした。
おそらく――
教科書には、嘘が書かれている。
それは、国のために作られた嘘だ。
“国のための嘘”を、嘘だと知りながら従い続けることは。
本当に、正しいことなのだろうか……。




