第一章(4)
その後落ち着いた彼女から話を聞くと、どうやら彼女が友達になりたいのは、なにも首席だけというわけではないようだ。
「バートより頭が良かったら誰でも良いのよ」
「バート?」
頷くマーガレット。バート・アレクサンドラ。バスでマーガレットの隣にいた男の子は、そういう名前らしい。
「バートはわたしの双子の弟よ。部屋はG3、一階下にあるわ」
G3ということは、成績は男子で三番か四番。僕が二番というのは学長の特別扱いの結果のようだから、僕のほうが頭が良いとは限らないけど……。僕がそのような懸念を伝えると、彼女はアハハと笑って言った。
「わたしが重要視してるのは、学長の特別扱いも加味しての頭の良さよ。学長がそうしたいって思うほど優秀だってことでしょう? 素晴らしいことだわ」
そういう考え方もあるのか。淀みなく発せられた彼女の言葉は、僕にとってとても耳障りの良いものだった。
「あなたは素晴らしいわ、フリック。成績が二番なのも素晴らしいし、わたしを邪険にしないのも素敵だわ。こっちの部屋の女の子たちときたら、酷いのよ。G20なんかと友達になったら皆に笑われちゃうとか言うんだから!」
「そ、そうなんだ……」
声をかける前のマーガレットが、ソファーに座って俯いていたのはそれが原因だったのか。まずG2の女の子たちと友達になろうとして、玉砕したからだったようだ。
「見返してやる! 来年は学年トップになって見返してやるんだから!」
奇声を上げ地団駄を踏むマーガレット。彼女はずいぶん気性が荒い女の子のようだ。静かに微笑んでいたら、天の使いかと思うくらいに綺麗な顔をしているのに。そのギャップに僕はすっかり面食らってしまっていた。
しかし、まだ良くわからない。もし彼女が自分の学力不足を案じているのなら、弟に勉強を教えてもらえば良いのに。彼女の弟はG3なんだから、五階の面々とさほど成績は変わらないだろう。僕がそのような質問をすると、マーガレットはきっぱりと答えた。
「バートに勝たなきゃ意味ないんだから! あいつに教えてもらうつもりはサラサラないわ!」
「どうして弟に勝つ必要があるの?」
「そりゃあ、決まっているでしょう。アレクサンドラ家の当主になるためよ!」
「当主……?」
疑問符を浮かべる僕に、マーガレットは丁寧に解説してくれた。
何でも、貴族の家というものには『本家』と『分家』があり、本家の子息のうち最も優秀な子供が家督を継ぎ『当主』と呼ばれる存在になれるらしい。
「アレクサンドラ本家の長男と長女がわたしたちよ。わたしとバートのうち優秀なほうが家督を継ぐんだって両親に言われたの。負けたほうは本家を追い出されるの……つまりは絶大な権力を失うのよ!」
「は、はあ……」
「分家に落ちるなんて耐えられないわ! 他家に嫁入りするのも嫌! わたしはどうしてもバートに勝ちたいのよ」
平民の僕にはわからないけど、貴族は貴族で色々と大変なようだ。
「お願いよ、フリック。助け合いましょう? わたしは勉強は苦手だけど、得意なものはあるわ。きっと良い仲間になれるはずよ」
「もちろん良いんだけど……。むしろ、僕なんかで良いのか不安ばかりで……」
「どうして? G1のあなたが何故そんなに謙遜するのかわからないわ。成績が良いのは立派なことだし、もっと堂々として良いのよ。とにかく、これからよろしくね!」
マーガレットは再び僕の手を握り、満面の笑みを浮かべてから、またね、と言い残して去っていった。嵐のような女の子だなと余韻に浸っていると、背後でキイと扉が開く音が聞こえて振り返る。
「あ、ごめんね。扉の前で、邪魔だったかな……」
扉の隙間から、ライズがものすごい剣幕でこちらを見ていたので、僕は慌てて後ろに下がる。部屋を出ようとしていたのかと思ったけど、彼は扉を半開きにしたまま、微動だにせずこう言った。
「ああいうのに関わるのはやめておいたほうがいいよ……」
「え?」
何のことだろう、と一瞬考えたけど、マーガレットのことくらいしか思い当たらない。
「あれは厄介な女だよ。すごい目立つし、トラブルに突っ込んでいくタイプだ」
それはそうかもしれないけど。少なくとも、友達のいない僕にできた初めての友達だ。あまり悪く言わないでほしい。
僕が眉を寄せていると、ライズはさらにこう呟いた。
「君みたいな平民には免疫がないかもしれないけど、上流階級にはあのくらいの顔がごまんといるんだ。変な期待とかして、良いように使われないように気を付けてね」
「…………」
なんだよ、それ。僕はムッとした。
確かにマーガレットは美人だし、僕なんかじゃ釣り合わない。言われなくてもそんなことはすぐにわかる。
そういう君は何なんだよ! 明らかに貴族らしい高級な服を着ているけど、大して整った容姿じゃない。癖のある赤毛と、猫のように細長い瞳孔が特徴的な金色の眼。背は僕と同じくらいで、痩せっぽちな体格。目の下にくっきりと浮かんだ隈も相まって、ひどく不健康そうだ。どうしてそんな容姿で自信満々なのか不思議に思うくらいだ。
何か言い返そうかと悩んでいるうちに、彼は部屋に引っ込んでしまう。僕に嫌みを言うためだけに出てきたのか? 呆れてしまったけど、少しだけ意外に思った。
僕になんて全く興味がないだろうと思っていたけど、話を盗み聞きするくらいには興味津々ってことかな。
そう思うと、何だか仲良くなれそうな気もしてくる。僕は部屋の扉を開けて、試しに声をかけてみた。
「ライズ。もう少しで集合時間だよ。一緒に食堂へ行こうよ」
「ああ、本当だ。そろそろ行こうか」
何の抵抗もなく、彼はそう言って部屋を出てきた。そしてさも当然のように隣を歩いたりするので、僕はビックリしてしまった。
もしかしてライズって、ものすごくひねくれた言い方をするだけで、悪いやつじゃないのかも……?
僕が平民で貧乏人なのは事実だし、馬鹿にした訳じゃなくて、むしろ僕が下手を踏まないように心配してくれた? さっき『気持ち悪い』と言ったのは、敬称を付けたりする行為についてであって、名前は呼び捨てでいいよと言っただけ?
もう少し優しく言ってくれれば良いのに。僕は新しくできた二人目の友達の横顔を眺めて、小さく息を吐く。
「どうしたんだよ、ため息なんか吐いて」
「えっと、ちょっとお腹がすいたから」
「上流階級の食事は脂が多いから。どうせ食べたことないでしょ。美味しいからって食べ過ぎて、お腹を壊さないでねぇ」
落ち着いて聞いてみると、彼の助言は実に的を射ている。
「気を付けるよ」
僕は素直に頷いて、ありがとうとお礼を言った。
食堂には、同級生たちが勢揃いしていた。長々と直線に繋がる机が四列。入り口寄りの一列には白いテーブルクロスが引かれていて、そこがグロウリードームの定位置だということはすぐにわかった。
すでに日が落ちていたこともあり、高い天井は真っ暗だ。講堂で見たものと同じ、星空のような照明がキラキラと瞬いている。
僕の目の前には鉱石を象ったランプが光っていて、これも寮の色に対応しているようだった。僕たちは部屋番号順に座らされたので、左隣にはライズが、右隣には知らない男の子、もう一つ右隣にマーガレットの弟のバートが座っていた。
正面にはG2の部屋の女子が座っていて、眉間にシワを寄せながら僕のことを見ている。特に一番端に座った、ライズの正面にあたる席の黒髪の女の子が、僕のことを氷のように冷たい目線で見ていて怖かった。
「皆さん、お集まりくださりありがとうございます。本日は入学のお祝いに、特別な食事を用意させていただきました」
机の先で一礼したノギスさんが口火を切る。普段の夕餉は午後四時から八時までの間の好きな時間に食べに来て良いこと、朝餉が午前六時から十時までの間にあり、どちらもビュッフェスタイルとか言う、自由に好きなものを取って食べる方式だと説明があった。午前十時から午後四時まではカフェタイムとなり、主に飲み物を提供する時間となるらしい。何だか至れり尽くせりで、ものすごい学校だなと改めて思う。
次々とお皿が運ばれ、あっという間に机は彩り豊かな料理に埋め尽くされた。真ん中の大皿には、色んな具材が乗せられたクラッカーがズラリ、籠には柔らかそうな白いパンが積み上げられ、その間にサラダとフルーツのボウルが置いてある。個人用にスープと魚のグリルが提供されて、グラスにブドウのジュースが注がれた。
テーブルマナーなど全くわからないので、僕は周囲を観察しつつ、見様見真似で食事を口に運ぶ。今まで食べたことがないくらい美味しい。甘かったり酸っぱかったり辛かったり、複雑な味が口内で弾けて、いつまでも感動が終わらない。
僕のお腹がいっぱいになり、周りのお皿が半分ほど片付けられた頃に、ノギスさんが再び口を開く。
「一年間、グロウリードームはこのメンバーで生活していくことになります。折角の機会ですので、皆さま一言ずつ挨拶をお願いします」
あ、挨拶……? 自己紹介とか、そういうのがいるのかな……。僕が不安になっていると、反対側の端にいた女の子がサッと立ち上がって言った。
「じゃあ、わたしから行くわね! マーガレット・アレクサンドラよ。首都セルグから来たわ。G20だけど、仲良くしてね!」
流石、マーガレットだ。全く物怖じなどしないで、ハキハキと発言している。彼女は少しだけ、テーブルのみんなをぐるりと見渡す時間を取ってから、再び口を開いた。
「ハッキリ言わせてもらうけど、この中でわたしが最強だと思っているわ! なんたって末席だから、伸び代しかないんだからね! 卒業する時には全員がわたしの背中を見ることになっていると思うから、覚悟しておくのね!」
よろしく! と締めの言葉を口にして、マーガレットは腰を下ろした。パラパラと拍手が鳴りかけて、すぐに止む。マーガレットは満足そうに口角を上げていたけど、ほとんどの生徒が呆然としていた。
マーガレット、大丈夫かな……? あからさまに嫌悪の表情を浮かべている人もいる。『トラブルに突っ込んでいく』とライズが評していたけど、彼女はそれ以上の問題児なのかもしれない。
「じゃ、じゃあ、次は私……。マーガレットと同じ部屋の、レニー・スカーレットです。首都セルグの都立第一初等学校出身で……」
マーガレットの挨拶が衝撃的すぎたせいで、他の人の話はほとんど印象に残らない。唯一聞いていて思ったのが、ここに集まった生徒はどうやら三種類にわかれているらしいということだ。
都立の初等学校出身の学生。ベルフォートの国立初等学校からそのまま上がってきた学生。そして、初等学校を出ずに家庭教師などを経て入学した学生。
出身校が同じ学生たちはすでに仲が良く、友人の挨拶が終わったときに熱心に拍手を送る。ベルフォート校出身者が一番多かったので、おそらく先ほどロビーで騒いでいた集団は彼らだろうなと思った。
「ハーベスト・ロートシルトです。ベルフォート国立初等学校出身で、実家は首都セルグにあります。この学校を卒業したら、立派な政務官になって国のために働きたいと思っています。よろしくお願いします」
一際大きな拍手を集めたのは、僕の隣に座っていた銀髪の男の子だった。真横だったので最初はわからなかったのだけど、彼はビックリするぐらいの美少年だった。ライズが言っていた通り、他の同級生も大体が美男美女だったのだけど、この男の子は群を抜いている。
向かい側に座る女の子たちはすっかり目をハートにして、彼の虜になっていた。僕を睨んでいたG2の黒髪の女の子、ベルフォート校出身のニース・フランクリンもその中の一人だった。
「次は君だぞ」
耳元でハーベストに囁かれて、僕はハッと意識を取り戻す。慌てて立ち上がったは良いものの、場内全ての視線を集めている状況を目の当たりにし、頭の中が真っ白になってしまう。
「あの……えっと僕は、南の……ジェネブ州のマクシネル地方から来ました……」
全身が震える。何を言ったら良いんだろう。名乗ってから、よろしくお願いします、で締めたら良いんだろうか。
僕はすがるような気持ちで、末席のマーガレットを見た。彼女はキラキラした笑顔を浮かべている。僕を励ますためだろうか、胸の前で両手を握り拳にし、ファイティングポーズらしきものを取っている。
『G1のあなたは、もっと堂々として良いのよ』ーー先ほど彼女に言われた言葉が頭に浮かんだ。その通りだ、と自分を鼓舞する。僕は学長に期待されてこの学校に入ったんだ。何を物怖じする必要がある?
僕は大きく息を吸った。そして、今後しばらくの間、同級生からの評価を決めてしまうことになる『超問題発言』を吐き出してしまった。
「僕はフリック・ラーベスです。『風見鶏の錬成師』になるためにこの学校に来ました。よろしくお願いします!」




