第十章(2)
四月一日の入学式の後、寮の談話室で在校生向けの入寮説明会が執り行われた。
三年生と四年生は同じ寮で部屋が変わっただけなので、主に二年生に向けた説明が行われる。
「私が寮長のルーク・ライプニッツです。一号室に住んでいます。サファー先生の錬石構造研究室所属です。困ったことがあれば、お気軽にお声がけくださいね」
「副寮長のサリー・ハーバーよ。アイビー先生の錬成工学研究室所属なの。よろしくね!」
五階の二部屋には、それぞれ四年生の寮長と副寮長が住む決まりになっているらしい。ルークさんもサリーさんも優しそうな先輩で、僕はほっと胸をなで下ろした。
他の四年生は四階に、三年生が三階に入り、二年生が二階に入るのが通例だそうだが、
「今年の二年生は八人も入ったから、この二人には三年生と同じ三階に入ってもらうことになりました」
そう言って、僕とライズが紹介された。僕たちは軽くお辞儀をして応える。
「ライズくんとフリックくんです。二人とも成績優秀な生徒らしいですよ。特にライズくんはアイビー先生のご親戚だそうなので、失礼のないように」
「いじめたりなんかしたら、アイビー先生に殺されちゃいますよ」
錬成工学研究室所属らしい四年生の先輩たちが、冗談を言って笑い合う。
この人たちも、例の“面接突入事件”を知っているのだろうか。知っていそうな雰囲気だ。
「あとの六人も、もちろん優秀な生徒さんです。フロウリードームはいつも大人気ですから、優等生ばかりが入寮します」
僕たち以外の六人の二年生は、あまり親交のない顔ぶればかりだった。
ミラ先生にベタボレだった男子生徒、ヨハン・クラウスとルイス・ドルトン。二人はセルグ都立第二初等学校の出身だ。
残りの四人は、男子が一人と女子が三人。セルグ都立第一初等学校出身で、学年でも浮いていたグループの子たちだった。
ニール・ソルベイ、クララ・ヴェーラー、イリヤ・フリッシュ、そしてマルタ・ルビス。
マルタ・ルビスは、最初にマーガレットと仲良くしていたレニーの親友で、例のロイドさんたちの「七不思議」の会合に参加していた女の子だ。
気まずい空気のまま、僕たちは「よろしく」と言い合う。
きっとこの八人は三つのグループに分かれたまま、卒業まで歩み寄ることはないだろう。そんな予感がした。
僕たちの様子をニコニコと見守ってから、ルークさんはロビーのほうへ視線を向けた。
「そして最後に、寮母さんをご紹介します。私たちの生活をサポートしてくださる方です」
その人物は、二年目が始まってから一番の驚きだった。
サリーさんに連れられて現れたのは――なんと、ノギスさんだった。
どうしてノギスさんがフロウリードームの寮母なんだ?
彼女はグロウリードームの寮母さんだったはずじゃないか。
「ノギスと申します。フロウリードームの寮母を担当させていただいております。困ったことがあれば、何でもご相談ください」
僕は思わず周りを見回したが、同級生たちは特に何の反応も示さない。
寮母が一年交代というのは、よくあることなのだろうか。あまりにも周囲が落ち着いているせいで、僕も次第に冷静になっていく。
きっと一年交代が普通なんだ。たまたまフロウリードームに配置されただけで、去年はたまたまグロウリードームだっただけなんだ。きっとそうだ。
「またノギスさんが寮母さんなんて、安心だね」
説明会のあと、こっそりライズにそう耳打ちすると、彼はひどく顔をしかめた。
「頼んでもいないのに、余計なことをして……」
そうボソリと呟いて部屋に戻っていったのが、今日一番の不可解な出来事だったかもしれない。
その日の晩、部屋で休んでいると、コンコンとノックの音がした。ドアを開くと、立っていたのはノギスさんだった。
「フリックさん。学長がお呼びですので、学長のお部屋までご一緒いただいてもよろしいでしょうか」
「は、はい」
今度は何だろう。こんなふうに頻繁に呼び出される生徒が、僕のほかにもいるのだろうか。
何度来ても慣れることのない学長の部屋で、彼はいつものように和やかに僕を迎えてくれた。
「度々ご足労いただき、申し訳ないね。フリックくん」
「いえ、とんでもないです……」
「おや、左目はどうしたんだい?」
ここ最近、人に会うたびに赤い目について聞かれ、正直うんざりしていた。僕が曖昧に笑っていると、学長はそれ以上触れず、さっと話題を変えてくれる。
「ところで、紅茶がいいかね。それとも珈琲かな」
「お水でいいです……」
このやり取りも、もう三回目だ。学長はいつも通り紅茶を選び、室内はすぐに柔らかな香りに満たされた。
「さて。どうだったかね。お父上の研究の追試の件だが」
「はい。いろいろ大変でしたが、なんとか仕込みはできました」
完成までに一年以上かかることを伝えると、彼は満足そうに頷いた。
「それはそれは。非常に楽しみだ」
でも、あれはひとつしかできなかった。
できれば完成品は、マーガレットにあげたいのだけど……。
そんなことを口に出せる雰囲気ではなく、僕は視線を彷徨わせる。
それとなく探してみたが、今回も部屋にディクティスはいない。
講堂の上に行けば会えるだろうか――そんなことを考えていると、学長が意外な言葉を口にした。
「ところで、フリックくん。『溶鉱酸』は見つかったのかね?」
「え……?」
どうして、そんなことを聞くのだろう。
内心ざわついたが、学長は父さんの実験ノートを見ていた。材料について知っていても、不思議ではない。
「はい、見つけました……」
そう答えると、彼はなぜだか嬉しそうに頷いた。
僕の顔をじっと見つめ、何かを探るような沈黙が流れる。
「あの……僕の顔に、何か……」
「いや、何でもないよ」
そう笑ってから、学長はさらに奇妙なことを口にした。
「フリックくん。『溶鉱酸』に、何か変なものが浮いていたりしなかったかな」
「え? 別に、なにも……」
溶鉱酸に変なもの?
そもそもあれは、ジュワジュワと刺激臭の霧を撒き散らしていて、じっくり眺めている余裕などなかった。
僕が怪訝な顔で見つめていると、学長は顎髭を撫でながら、どこか残念そうに言った。
「そうか。ならいいんだ。もし次に、じっくり見る機会があったら、ぜひ注目してみてほしい」
「は、はい……」
これで話は終わりだろうか。
学長のカップも空になり、話題も途切れたので、僕は席を立ち、「そろそろ失礼します」と言って部屋を出ようとした。
すると学長が、あっと声を上げる。
「言い忘れていたが……」
「はい?」
「フリックくん。二年次の授業だが、ぜひ『神政学基礎』を履修してくれないか」
「神政学基礎、ですか?」
「キュービット先生の授業なんだがね。ぜひ受けてほしい。きっと君の役に立つだろうから」
「…………」
嫌悪感が、胸の奥に広がった。
けれど、ここで断る勇気もなく、僕はとりあえず「考えておきます」とだけ答え、学長の部屋を後にした。
キュービット先生か。
嫌な思い出が、脳裏に甦る。
できれば履修したくない。
けれど、“僕の役に立つ”とは、どういうことなんだろう。
明日から授業が始まることもあり、僕は早めに眠ることにした。
不安は多かったが、寮のベッドは実家のものよりもふかふかで快適で、思っていたほど時間もかからず、僕は眠りに落ちてしまった。
昨日の不可解な一件――ノギスさんがフロウリードームの寮母になった件。
ライズが顔をしかめていた理由は、次の日すぐに分かった。
四月二日の朝七時。
九時からの授業に間に合うよう、僕は早めに起きた。
衣装棚には新しい制服が収められていて、フロウリードームの色である青いスカーフがぶら下がっていた。それを見て、素直に嬉しくなる。
着替えを済ませ、隣の部屋の友人のことを思い浮かべる。
普段は僕が起こしていたけれど、今日はちゃんと自分で起きられただろうか。
八時を過ぎたら、朝食に誘ってみよう。そう考えていた矢先、隣から突然、大声が響いた。
「なんで入ってくるんだよ!!!」
驚いて廊下を覗く。ライズの部屋の扉は閉まっているが、中から再び怒鳴り声が聞こえた。
「ちゃんと起きられるって言ってるでしょ!!! いつまで子供扱いする気なんだ!!」
勢いよく扉が開く。
ライズに押し出されるようにして、ノギスさんが部屋から“排出”されてきた。
「ですが、ライズさん。とても起きられるようには見えませんでした」
「一限目の講義を取るつもりはないから大丈夫なんだよ!」
「しかし、今週は全科目に出席する必要がございます」
「あー、うるさいうるさい! わかってるってば!」
バタン、と扉が閉まる。
廊下に取り残されたノギスさんは、閉じた扉に丁寧に会釈してから、こちらへ向かってきた。
「お騒がせいたしました」
半分扉を開けたまま見ていた僕にそう言って、彼女は軽く頭を下げ、階段を下りていく。
「……?????」
僕の頭の中は、新たな疑問符でいっぱいになってしまった。
「ライズ。ノギスさんって、君の専属のメイドさんか何かなの……?」
その後、朝食に誘ったライズに、僕は思いきって直球の疑問をぶつけてみた。
「朝のやつ、聞こえてたの?」
ばつが悪そうにそう尋ねる彼に、僕は頷く。
ライズは大きく溜め息をつき、肩を落として答えた。
「専属のメイドだったこともあるよ。ああいう目立つことはやめてくれって言ってるんだけどさ」
「ブレガー家って、専属のメイドを寮母にできるくらい権力がある家なの?」
「そんなわけないじゃないか!」
やれやれと首を振り、彼はひどく顔をしかめる。
「大丈夫だよ。どうせ誰も気にしない。おかしいと思ってもね、すぐに気にならなくなる。きみも、そのうちそうなるから……」
ライズはサンドイッチを食べ終え、水を一気に飲み干して席を立った。
もうすぐ一限目が始まる。僕も食器を片付け、彼の後に続く。
――“そのうち気にならなくなる”。
その言葉の通り、講義が始まる頃には、僕の頭の中の疑問符はきれいに消え去っていた。
二年目、最初の授業は為政学系の専門科目、『修辞学実践』。
その後も、『戦闘錬石操作基礎演習』、『錬石基礎構造学』と講義は続いていく。
二年次の科目は選択制のため、席は特に決まっていなかった。同級生だけでなく、上級生の姿もちらほら見える。
「やっほー! フリック、ライズ。元気だった?」
休憩時間、僕たちの隣にマーガレットが腰を下ろした。久しぶりに会った彼女と、短い雑談を交わす。
「ちょっとフリック! その左目どうしたの? 怪我?」
「あ、えっと……僕にもよく分からなくて。でも、気にしないで。大丈夫だから」
マーガレットだけでなく、ハーベストやニースたちも口々に心配してくれたが、僕は曖昧に笑って誤魔化した。
心配してもらえるのは嬉しい。
けれど、僕はこの目のことには、できるだけ触れてほしくなかった。
医務院に行ったほうがいい――そう言われるのが、ひどく苦痛だったから。




