第九章(1)
十一月の二週目から、ついに進路希望調査の面接が始まった。
錬石学基礎Ⅰの授業後、スケジュールが書かれた紙が黒板に張り出される。
それによると今日の午後一時から、紙に書かれた順番にひとりずつサファー先生の研究室を訪ねて話をするらしい。
順番は部屋番号の並びだったので、僕はライズの次の予定になっていた。
ひとり三十分程度だと言われていたから、僕はライズと一緒にサファー先生の部屋まで行き、廊下で順番が来るのを待つことにした。
「三十分も話すことなんかないよ。すぐに終わるから」
そう言い残し、ライズは扉をくぐっていく。
僕は彼の言葉を信じていたけど、期待通りにはいかなかった。
始まって五分ほど経った頃だったか。
三つ先の扉がガチャリと音を立てて開く。
ずかずかと足音を響かせて近付いてきたのは、アイビー先生だった。
彼女は僕なんか一瞥もしないまま、サファー先生の部屋の扉をバタンと開け放つ。
ギョッとした顔でこちらを見るライズとサファー先生に、彼女は捲し立てた。
「あんたね、勝手なことをしないでちょうだい! コイツの進路はもう決まってんの! 希望調査なんて勝手にやらないで!」
バタン、と再び扉が閉まる。
その直後、部屋の中からさらに怒鳴り声が漏れてきた。
「あんたも勝手なこと言い過ぎ! 中退なんて出来るわけないでしょ?! おとなしく言われた通りにやってなさいよ!」
残り二十五分、アイビー先生は延々と怒鳴り散らし、面接の終了予定時間ぴったりに部屋から出てきた。
やはり僕には一瞥すらくれず、そのまま自分の部屋へ戻っていく。
疲れ切った顔のライズが出てきたのは、その一分後だった。
「きみの番だよ」
「え、あ、うん」
ライズはフラフラしながら寮へ戻っていく。
僕は心配しつつも、先生に呼ばれた以上、部屋へ入らないわけにはいかなかった。
「ようこそ、フリックくん。そこに座って」
「はい。失礼します……」
先生の机の前に置かれた小さな椅子に腰かける。
サファー先生は、さっきの騒ぎなんて綺麗さっぱり忘れてしまったかのように、僕の成績簿らしき書類をめくりながら言った。
「フリックくんは、とても成績が良いね! まんべんなく良いから、どこを希望してくれても大丈夫だと思うよ」
「あ、ありがとうございます……」
先生は頭の切り替えが早いな。
当事者じゃない僕の方が、全然切り替えられなくて狼狽えているのに……。
「あの……先生」
「何かな?」
「さっきのあれ……大丈夫だったんですか」
「あれ?」
僕がおずおずと尋ねても、先生はピンと来ていない様子だ。
「さっき、アイビー先生が……」
そこまで言ってようやく「ああ!」と声を上げる。
「ごめんね、びっくりしたでしょう」
「はい、ちょっと……。ライズは大丈夫なんでしょうか? 元気がなさそうでしたけど……」
「大丈夫だよ。アイビー先生ったらね、ライズくんのことになるといつもああなんだよ」
いつもああなのか……。
僕の中で急激に不安が増す。それは大丈夫とは言わないんじゃないか。
ニコニコ笑うサファー先生は、さらに問題発言を投下した。
「アイビー先生はライズくんのことが大好きなんだよ。昔からね。とっても良い叔母さんだよね」
「…………?!」
いやいや、その認識はどう考えてもおかしい。
どこに良い叔母さん要素があるんだ?
サファー先生は、たまに突拍子もないことを言うのが魅力ではあるけど、今回は同意しづらい。
「本題に入ろうか。フリックくんは、どの分野に進みたいのかな?」
いつまでも友人の話を引きずるわけにもいかない。
僕も気持ちを切り替えることにした。
「えっと。僕は錬石学専攻に進みたいと思っています」
「わあ、嬉しい。是非わたしの研究室に来てほしいな」
彼女は少女のようにはしゃぎながら言う。
「フリックくんは問題なく第一希望が通ると思うから、大丈夫だよ。フロウリードームでいいのかな?」
「はい、フロウリードームでお願いします」
フロウリードームは、サファー先生の錬石構造研究室と、アイビー先生の錬成工学研究室の生徒が入る寮だ。
もう一つの錬石学の寮、ハルティドームも捨てがたいけど、そちらは採掘や医学利用が中心で、僕の興味とは少し外れている。
「普段の生活とか、二年生に上がる時の不安とか、何か気になることがあったら話してね」
「えっと……」
悩んでいることは沢山ある。
だけど、何を話すべきか……。
時計をちらりと見て、あまり時間がないのを残念に思う。
欲張らずにひとつだけ――あの話にしようと決めた。
「あの……ちょっとだけなんですけど、悩んでいることがあって」
「なんだろう?」
意を決して、口を開く。
「僕、なんだか色々と期待されているみたいなんです。でも僕には荷が重いというか……頑張ってみてはいるんですが、ちょっと疲れてきてしまって」
「期待? 何のことだろう。学業の話かな?」
「いえ。たぶん、七不思議のことで期待されているみたいです」
「七不思議のこと?」
サファー先生は、不自然なほど首を深くひねり、僕の顔を覗き込んだ。
「一体だれが、そんなことを君に期待しているんだろう」
僕は考えを整理するために、少しだけ口をつぐんだ。
期待――僕はこれまで、本当に多くの人から期待を向けられてきた。
コリウス先生に、ディクティス、キュービット先生。
彼らは僕に七不思議についての“何か”をしてほしいと思っていて、僕の動きを待っているように見える。
だけど、そのさらに前。
最初に僕に期待を向けてくれた人が一人いた。
おそらく、あの人の期待がすべてのはじまりで、他の人たちの期待は、その後に連なるものだ。
「――学長です。学長のおかげで僕はこの学校に入れました。だから学長は、平民の僕に七不思議を調べてほしいんですよね?」
「学長??」
すっとんきょうな声が返ってきた。
思っていたものと違いすぎる反応に、僕は目を瞬いてしまう。
「え……学長は僕に期待しているんじゃないんですか?」
「もちろん期待しているよ。でもそれは、七不思議なんかとは関係ないと思うけどね」
「えっ、そうなんですか?」
僕は愕然としてしまう。
だって、コリウス先生は言っていた。
――恐らく学長は、お前も七不思議を動かせるんじゃないかと期待している。
ディクティスも言っていたじゃないか。
――フリックは期待の新人さんなのです。めいっぱい遊んで、学長に報告するのです。
彼らは嘘をついた?
いや、あの人たちはサファー先生の知らない地点にいる。
サファー先生のほうが事情を知らないだけ――そんな気もしてくる。
僕の胸のざわつきとは対照的に、サファー先生は達観したような、やわらかい表情で言った。
「君が風見鶏に入りたかったのは、七不思議を調査したいからじゃないよね?」
「はい……違います」
「君は入学試験の面接で、学長先生に言ったはずだよ。君がやりたいことを伝えて、それが認められて入学したの。それ以上のことは何もないよ。学長が君に期待しているのは、それだけだよ」
「そうなんですか……?」
「だから頑張って。君が本当にやりたいと思ったことを、やりたいようにやってごらん」
笑顔がまぶしい。
面談を終えた僕は、何だか憑き物が落ちたような気分になっていた。
僕は勘違いしていたのか。
僕が勝手に背負っていた荷物は、本当は必要ないものだったのか?
そんなふうに考えていた、その日の晩。
追い打ちをかけるような事件が起こった。
部屋のドアをコンコンと叩く音が聞こえた。
開けると、ノギスさんがそこにいた。
入学式の日と同じように、
「ジータ学長が、あなたにお会いしたいと言っております」
そう言って、僕を連れ出した。
学長の部屋は、この学校で一番背の高い時計塔の中にある。一階部分は柱とアーチで構成された、扉も何もない空間で、大理石の床だけがある。
見上げると天井に真ん丸な穴が空いていて、そこから淡い光がこぼれている。
夜に見ると、この穴、月みたいだな。
夏祭りの送り火の時、ライズがそんなことを言っていた気がする。
正確には、願いごとを書いたランタンを空に放とうとした僕らに向かって、
「学長の部屋に紙くずを投げ込んだ方が確率が高い」
などと言ったのだが――彼もまた、あの穴を月のように感じたからなのだろう。
ノギスさんの操作で、僕たちは天井の穴へと吸い上げられ、その後はポコポコとした妙な形のランプが並ぶ階段を上った。
「失礼します」
ノギスさんのノックの後、迎えてくれたジータ学長は、相変わらず長い髭と眉毛に隠されて表情がよく見えない。
どうぞどうぞと僕を長椅子へ誘導する声は弾んでいて、とても機嫌がよいことが分かる。
部屋を見渡すと、前回来た時と同じように、妙な形のランプがひしめき合う不気味な空間だった。
いつも学長の横にいるディクティスの姿はない。今は神子の棺を見張っているのだろう。
前回と同じく、紅茶かコーヒーかを尋ねられたので、僕は「お水で良いです」と答えた。
「フリックくん。どうだね、学校生活は順調かな」
「は、はい。とても充実しています」
「そうか。それはよかった」
学長はノギスさんの淹れた紅茶を嬉しそうに口にしながら、ゆっくりと頷く。
「担任の先生から聞いているよ。フリックくんはとても成績が良いし、クラスの皆とも仲良くしていると」
「はい。今のところ、問題なく過ごせています」
小さな問題はあるけれど、学長に告げ口しなければならないほどのものはない。
その含みに気づく様子もなく、学長はのんびりと頷いた。
「問題なく過ごしているフリックくんに、どうしてわざわざご足労いただいたのか、不思議に思っているよね」
「は、はい……ちょっとだけ……」
「実はひとつ、お願いしたいことがあってね」
僕は、ごくりと唾を飲み込む。
ついに学長直々に、「七不思議を調べてほしい」――そう告げられるのだと思った。
ガチガチに身構える僕をよそに、学長は隣のサイドテーブルから一冊のノートを取り上げ、机に置いた。
「これは、君のお父上が送ってくれたノートだよ」
「父が?」
「錬石の研究について書かれている。とても興味深い内容だ」
「そうですか……」
続いて彼はサイドテーブルに手を伸ばし、手のひらに収まるほどの小箱を机に置いた。パカッとフタを開けると、小指の爪ほどの小さな結晶が入っていた。
「これは君のお父上が生前、私に贈ってくれた錬石だ。『ティフォニーイグニド』。非常に珍しい“完全変色”の錬石だよ」
「完全変色?」
「見ていなさい」
学長は鉱石ランプとろうそく灯を用意し、石を交互に近付けて見せた。鉱石ランプに照らされた石は鮮やかな緑色をしていたが、ろうそく灯に照らされた瞬間、深い赤色に変わる。
「わあ、きれいですね」
「ここまで完全に変色するものは、私も初めて見たんだよ。君のお父上は本当に優秀な研究者だ」
「どうして父はこれを送ってきたんですか?」
「この石には、天然ではあり得ない特徴がある。だから、お父上の研究が実際に進んでいたという“物的証拠”として私のもとへ送られたのだよ」
学長は石をそっと机に置き、今度はノートに視線を落とした。
「この研究ノートに、彼の研究――“創晶”について記されている。この『ティフォニーイグニドの完全変色結晶』の作り方もね」
薄いノートがパラパラとめくられ、父の字がぎっしりと詰まったページが次々と現れる。懐かしさが胸に押し寄せた頃、学長が今回の本題を語り始めた。
「君にお願いしたいことというのは、この『ティフォニーイグニド』の件だ」
彼はノートを閉じ、僕の方へ差し出した。
「もうすぐ一年が終わる。君が実家に戻ったとき、この研究の“追試”をしてもらえないか」
「追試……ですか?」
「同じものを、もうひとつ作ってもらいたい。この実験に必要な材料は特殊だから、たぶん君の実家でしか手に入らない」
「はぁ……」
思いがけない申し出だった。僕は錬石については完全な素人なのに。
なんとなくノートを受け取りながら、生返事をしてしまう。
「君には少し早いかもしれないとは思った。しかし成績も優秀だし、実家にはお父上が遺した物がたくさんあるだろう。この錬成はとても時間がかかる。できれば早めに取りかかってほしかったんだ」
「もうひとつの石ができたら、どうするんですか?」
「是非、割ってみたいと思ってね。そこからどんな魔法が紡がれるのか……非常に興味がある」
なるほど。確かに、ひとつしかない貴重な錬石を割る気にはならない。
僕はその気持ちに納得し、こくりと頷いた。
「わかりました。僕にできるかどうかはわかりませんが……挑戦してみます」




