第五章(1)
部屋にライズはいなかった。それどころか、寮には誰もいなかった。現在時刻は九時ちょっと過ぎ、授業が始まる時間だったから、みんな教室に行ってしまったのだ。
ノギスさんが持ってきてくれた遅めの朝食をとりながら、僕はぼんやりと考え事をした。この三日間に起きた出来事を、自分の中で整理しなくちゃ、頭がおかしくなりそうだったからだ。
どうやら僕は入学早々にして、踏み込んではいけない領域に踏み込んでしまったらしい。
僕が平民で、物を知らない子供だったから、ロイドさんの背後に渦巻く何かの陰謀に体よく利用されてしまったのだ。
先ほどの会合では、ほとんどの教授が出席していた。彼らは誰も、"不敬行為"と表現された出来事に疑問を挟まなかった。
"不敬行為"……それは、"神子に対する不敬行為"を示しているのは明白だ。つまり、先生たちはみんな、『神の子の棺』が学内にあることを知っている。
七不思議なんてホラ話だと笑っていたサファー先生も、神子の存在を知っている。みんな知っているのに、知らない振りをしていたということだ。
どうして? 知っているのに教えないと言うことは、知られたくないということだ。でも知られたくないなら、普通はもっと厳重に隠すだろう。噂話を野放しにせずに禁句にしたりとか、学内に鍵をかけまくったりするとか。キュービット先生も、やんわりと脅したりなんかしてないで、もっと厳しく叱れば良かったのだ。
それをしていなかったということは、知られたくないわけではない。"知られたくない"わけじゃなくて、"知らせたくない"だけ? まさか、生徒に自分で"探らせたい"と思っていた? 誰か勇敢な生徒が、謎を解明することを望んでいた?
事実、七不思議を探ろうとした僕とマーガレットは大して罰を与えられず、不敬行為をしようとしたロイドさんと、背後にいると考えられる黒幕には厳罰を与えようとしている。
先生たちにとって、"七不思議を探ること"と"不敬行為"はイコールではないらしい。
しかし、わからない。
生徒が一人亡くなっているのに、先生たちは淡白すぎやしないか?
何が不敬行為で何が不敬行為じゃないかなんて、僕にはわからない。僕だってあの時、一歩間違えていたら死んでいたかもしれない。
もし僕が死んでいたとしても、先生たちは「不敬行為をしたから当然だ」と言って、次の日には忘れてしまっていたのだろうか。
七不思議を探ろうとする生徒は可愛い子供だけど、不敬行為に及ぶ生徒は『人間ではない』とでも思っているのだろうか。
……寒気がする。
僕はともかく、ここは大切な貴族の子息を預かっている学校なんだぞ。七不思議なんかに興味を持ったばっかりに、万が一にも命の危険にさらされる可能性があるのなら、先生たちはちゃんと講堂に鍵をかけて、生徒たちを近寄らせない努力をすべきだったんじゃないのか?
先生たちは一体何がしたいんだ?
そもそも、『不敬行為』って一体何なんだよ……。
考えがまとまらないうちに、お昼になってしまった。手の中でパサパサになったサンドイッチに気が付いて、今更ながらかじりつく。
そうこうしてる間に、ライズが帰ってきた。いつものように無愛想な顔を見て、僕はなんだかホッとしてしまう。
「お帰り、ライズ」
「ああ……いたの」
彼はそっけなくそう呟いて、まっすぐ机に向かっていった。
「今日の授業はどうだった?」
「別に。いつもと同じだよ」
朱陽日の講義は錬石学基礎Ⅰだ。教壇に立ったのはサファー先生だったのか、アイビー先生だったのか、どっちだったのだろう。
一週間も授業に出られないのは、思った以上につらい罰なのかもしれない。だって、講義は一度しか聞けないのだ。
該当の教科書部分を読んでも、内容が難しすぎてちんぷんかんぷんだ。先生の解説がないと、僕には理解するのが難しい。
喉に絡み付く乾いたパンを水で流し込んでいると、目の前の長椅子にライズが座った。彼から僕のほうに寄ってくるなんて珍しいと思っていると、彼は一冊のノートを僕に向けて突き出した。
「どうしたの?」
「どうしたの、じゃないよ。今日の授業の内容だよ」
「えっ? 見せてくれるの……?」
僕は目を丸くした。おずおずとそれを開くと、几帳面な文字がびっしりと並んでいる。普段の彼の投げやりなイメージとは似つかわしくない、丁寧で洗練されたノートだった。
「写させてもらってもいい?」
「好きにしなよ」
許可がもらえたので、あわてて自分の机にノートを取りに行く。ちょうどその時、ドアが乱暴にノックされる音が響いた。
「フリーック! いるの? 開けてちょうだい!」
直後に聞こえてきた元気な声はマーガレットだ。筆記用具とノートを抱えて扉に向かうと、すでにライズが接客を始めていた。
「なんだよ、きみ。なにしにきたの」
「お見舞いに来たのよ! それと、今日のノート! 写させてあげようと思って」
「いらないよ。別に病気じゃないし。それにきみのノートってきっと汚いでしょ。絶対いらないよ」
「なんですってー?! ちょっと、フリック! なによこの失礼なやつ、追っ払ってよ!」
あー……。喧嘩を始めてしまったふたりに面食らう僕。でも、名指しで呼ばれてしまっているから仕方がない。僕は苦笑いを浮かべながらふたりに近付く。
「えっと、ありがとうマーガレット。ちょうど今からノートを写そうと思っていて……」
「そう、良かった! ついでに課題も一緒にやりましょ! お部屋に入っていい?」
え……? 他部屋の生徒を中に入れても良いんだっけ。しかも女の子を……。
僕は狼狽えてライズを見たけど、彼はすでに自分の机に戻ってしまっていた。
「寮の規則では、お昼の一時から夕方の六時までは、他の生徒を部屋に招いても良いのよ。それ以外の時間は駄目だけどね」
「そうなんだ……」
「入っていい?」
それなら拒む理由はない。僕はどうぞと言って、応接机に彼女を通した。
「お見舞いにクッキーを持ってきたのよ! 食べながらやりましょ」
「あ、ありがとう」
「わたしのノートはこれよ! 今日の分は、このページからだからね!」
いつものことながら、パワフルな女の子だ。部屋の空気が一気に明るくなった気がする。
クッキーの香ばしい香りを楽しみながら、僕は彼女のノートに目を通した。
「今日の授業も難しかったわ。全然わからなかった!」
「……そ、そうだね……」
僕は多くを語らず彼女のノートを机に置いて、ライズのノートを隣に並べる。
「何それ? 誰のノート?」
「ライズのノートだよ」
「…………」
彼女はクッキーを頬張りながら、何気なく目の前のノートを見比べている。一分くらい沈黙が流れただろうか。彼女は急にバンとテーブルを叩き、大声を出した。
「なによこれ! 全然違うじゃない!」
彼女はガバッと身を乗り出してライズのノートを掴み、黙読を始める。
「今日の話はそう言うことだったの? これ、すごくわかりやすいわ!」
数分後、数ページに目を通した彼女は、窓際の書斎椅子に偉そうに座っている彼に向けて、こう声をかけた。
「わたしも写させてもらってもいいかしら? あなたのノートは先生の板書よりわかりやすくて素晴らしいわ!」
「……どうぞ」
「ありがとう!」
マーガレットはニコニコしながら僕の隣に座り直し、ライズのノートを真ん中に広げる。僕たちはふたり揃ってペンを動かした。
ライズのノートには、今日の授業の要点がきれいにまとめられている。恐らくサファー先生の講義だったのだろう。"単晶"と呼ばれる錬石の最小構造の形が丁寧に描かれていた。
「この"錘"って形がうまく描けないの。どうやって描くの?」
「定規を使ったほうがいいよ」
「面倒くさいわ」
「でも、それじゃうまく描けないよ?」
僕たちはライズのノートを写したあと、今日の課題も一緒に解いた。各錬石の単晶の形を答えよというもので、七元素のうち二種類からなる全ての錬石、つまりは七かける七、合計四十九の形をレポート用紙に描き込んだ。
とても時間がかかったけど、ライズのお陰で満足行くものが描けた気がする。
僕たちの後ろで、ライズも自分の課題を解いていたらしい。やるべきことが終わった僕たちは、解放感に満たされながらしばらく雑談をした。
「この四十九の錬石は、それぞれ違った能力があるんだよね?」
「そうでしょうね。わたしたちが見たことがあるのは、ランプ石グロウリーグロウと、火力石イグノクラフト、飛行石ティフォニーハルト」
「あと……早朝のあの会合で、サファー先生が言ってたクラフティティフォン。幻想を見せる石……」
僕の呟きに、ふたりは訝しげな顔をした。
そうか。ふたりは奥の部屋にいたから、話を全部は聞いていないんだ。僕はそう気が付いたので、ふたりにその石の話をした。ロイドさんが僕に使ったと予想される"幻想の石"と、それによって引き起こされた事件のことを語って聞かせた。
ふたりは何も聞かされていないらしかった。ロイドさんと僕が校則を破って『神の子の棺』を探しに行って、ロイドさんが退学になったと聞かされただけだと答えた。
「嘘でしょ? ロイド、亡くなってしまったの……?」
「あ、いや、その……本当に亡くなったかどうかは、実はわからなくて。先生たちは亡くなったという感じに言っていたけど……」
マーガレットが怖がるので、僕はそのように言葉を濁した。よく考えてみたら、僕が見たのは『ゼリーのようなブヨブヨの物体に変わってしまった人間らしきもの』、だ。あれが本当にロイドさんだったのか、確証はない。
「きみは本当にロイドをマーガレットに見間違えたの? 髪と目の色しか合っていなかったよね」
「うん。だからさ、幻想の石の効果はすごいんだ。他にも色々違って見えたし。ノギスさんとか、白い犬とか……」
「ノギス? どう違って見えたんだ」
「ノギスさんは、小さな女の子に見えたんだよ。だからその時は妹さんかなと思ったんだけど、どうも本人だったみたいで」
「……犬のほうは?」
「『神の子の棺』があった部屋の前に大きな石像があるってロイドさんは言っていたんだけど、僕には小さな白い犬にしか見えなかったんだ」
ライズは思い切りしかめ面をして、気分が悪そうな様子を見せた。なにかおかしなことを言ってしまったかなと考えたけど、そもそも僕はおかしなことしか言っていないのだから、失言を気にするようなところでもないだろう。
「神の子の棺の部屋の前に、犬がいたの?」
マーガレットに問われたので、僕は頷いた。
「結局それは、石像だったの? 小さな白い犬だったの?」
「えっと……どうだろう。よくわからないや……」
多分あれは、小さな白い犬が石像に化けていたというのが正しいんだろうけど、僕は言葉を濁した。
あまり深く話すと、白い犬が喋っていたということにも言及しないといけなくなる。それは彼女の名誉に関わることのようだから、僕は口を閉ざしておいたほうがいい。
僕は犬との約束を覚えていた。『学長に言わないで』。誰かに話したら、どこかで学長の耳に入るかもしれない。誰にも言わないでおくのが懸命だと考えた。




