第四章(4)
サファー先生に連れられて、僕は反省室から別の部屋へ移動した。
そこは小さな講堂のような部屋で、中央に人がひとり立てるほどの空間があり、僕はそこへ立たされた。
周囲は肘ほどの高さの柵で囲まれていて、許可なく外へ出られそうにない。
僕の立つ場所を中心に、階段状に座席が配置されており、正面の高い位置には、荘厳な意匠の机が設置されていた。
すでに席は多くの人で埋まっており、見知った顔ばかりがずらりと並んでいる。
最下層の左側には、アイビー先生、キュービット先生、為政学基礎Ⅱの担当であるビクトール・オルフ先生、そして見知らぬ先生がひとり。
右側には、コリウス先生、メイ先生、ヘルムート先生、サファー先生が並んでいる。
そして正面の机には、ジータ学長が座っていた。
「定刻になりましたので、始めます」
口火を切ったのは、左側の見知らぬ先生だった。くすんだ緑色の短髪に眼鏡をかけた、いかにも厳しそうな人物だ。
「懲罰対象生徒、フリック・ラーベスが関与した事件について、経緯を確認します」
先生は手元の書類を淡々と読み上げる。
「フリック・ラーベスは四月二十七日の夜、消灯時間を過ぎて寮を抜け出した。その姿は寮母によって確認されている。彼は他寮の生徒、ロイド・ラビオリと共に講堂最上階へ向かい、そこで極めて不敬な行為に及んだと見られる」
……え?
僕はその内容に言葉を失った。
僕が、ロイドさんと一緒に?
マーガレットじゃなくて?
「不敬な行為そのものへの詳細な言及は避けますが、結果については報告します。ロイド・ラビオリは、神の粛清を受けて消滅しました。現場には、彼が持ち込んだと推定される短剣が残されていました。それがこれです」
先生は、見覚えのある短剣を掲げた。
場内の視線が一斉に集まる中、僕は戦慄に身を震わせる。
ロイドさんが……消滅した?
消滅って、つまり――死んだ、ということなのか?
「ロイド・ラビオリの不敬行為は明白です。神罰が下った以上、それに異論はありません。問題はフリック・ラーベスです。彼には神の罰が下されていない。我々は、彼をどのように裁くべきか、慎重に検討せねばなりません」
一拍置いて、先生は続けた。
「……私見を述べれば、ほとんど同罪と見なすべきです。然るべき処分が必要です」
とんでもないことを言っている。
どこが“大丈夫”なんだ。
冷や汗をかきながら、僕はサファー先生を見る。
彼女はいつも通りの柔らかな笑顔で、静かに口を開いた。
「わたしからも、意見を述べさせてください。わたしの調査によれば、事実は少し異なるようです。まずは、フリックくん本人から話を聞きましょう」
こちらへ視線が向けられる。
「フリックくん。先ほどのハックフォード先生の説明で、おかしいと感じた点はなかったかな?」
「えっと……おかしい点、ですか……?」
あるにはあった。だが、どう言葉にすればいいのかわからない。
戸惑っていると、サファー先生が静かに助言してくれる。
「あなたは、ロイドくんと共謀していたわけではないでしょう? 本来は、別の生徒と一緒に行動する約束をしていたんじゃない?」
……ああ、そういうことか。
先生の意図は理解できたけれど、それでも僕は口を開くのをためらった。
僕が話せば、マーガレットたちを巻き込む。
彼女たちはまだ、この件の“当事者”として扱われていないはずだ。
躊躇していると、サファー先生は小さく首を振った。
「フリックくん。この場では、真実を話さなければいけないの。神に誓って、あなたが知っている通りのことを」
彼女は、学長の頭上にある大樹の彫刻を見上げた。
……神に誓って。
ゼリー事件を目撃してしまった僕には、それはあまりにも重たい言葉だった。
「えっと……僕は、その日、マーガレットと約束をしていて……その夜は、ずっとマーガレットと一緒に行動していた……つもりでした……」
「マーガレットとは、同級生のマーガレット・アレクサンドラですか?」
「はい、そうです」
その瞬間、左側の先生たちが一斉に眉をひそめた。
「証人がいます。フリックくんの話が正しいと証言できます」
サファー先生は即座にそう言い、背後に控えていたノギスさんへ視線を送る。
彼女は静かにその場を離れ、少ししてひとりの生徒を連れて戻ってきた。
証言台に立った生徒は、無愛想な表情で言った。
「ぼくは、フリックと同室です。その晩はもう寝ていましたが、彼が部屋を出ようとしたとき、たまたま目が覚めました。誰かがフリックを訪ねてきたようで、フリックはその人のことを『マーガレット』と呼んでいました」
「訪ねてきた人物の顔は確認しましたか」
「いいえ。見ていません。でも、確かに『マーガレット』と呼んでいました」
「ありがとうございます」
ライズは一礼して立ち去っていく。
一瞬だけ目が合い、ひどく顔をしかめられた気がした。
……迷惑かけてごめん。
謝罪の念を視線に込めながら、僕は彼の背中を見送った。
「もうひとり、証人がいます。あなたもお願いします、ノギス」
「かしこまりました」
次に証言台へ立ったのはノギスさんだった。
「私はその晩、定例の見回りをしておりました。その際、フリックさんが他寮の男子生徒とロビーを歩いているのを確認し、注意をしました」
「その『他寮の生徒』とは誰ですか」
「はっきりとは分かりませんが、金色の髪の男子生徒でした。三年生か、四年生と思われます」
「ロイド・ラビオリは四年生で、金色の髪をしていますね。フリックくんを迎えに来た人物は、ロイドくんだったと見て間違いないでしょう」
サファー先生がそうまとめ、ノギスさんに下がるよう促す。
「つまり、その夜フリックくんはマーガレットさんと会う約束をしていた。しかし迎えに来たのはロイドくんだった」
「なぜ、フリック・ラーベスは、ロイド・ラビオリをマーガレット・アレクサンドラと誤認したのか」
「断定はできませんが、錬石の使用を考えれば説明はつきます」
サファー先生は、小さな緑色の石を取り出した。
波紋のような模様が浮かんでいる。
「これはクラフティティフォン。他人に幻想を見せる効果を持つ錬石です」
教師たちは頷く。
この程度のことは、彼らにとって常識なのだろう。
「扱いは難しいですが、フリックくんは『マーガレットさんが来る』と強く信じていました。その条件下であれば、四年生レベルの技術があれば、ロイドくんがマーガレットさんに化けることは十分に可能です」
その説明を受け、左側の先生たちは納得した様子だった。
……幻想を見せる効果。
じゃあ、ノギスさんや、白い犬の見え方がおかしかったのも――?
そう考えていると、ハックフォード先生が次の問いを投げかけてきた。
「フリック・ラーベスが、マーガレット・アレクサンドラと過ごす予定だったことは理解しました。ですが、そんなことは本質ではありません。問題は、彼がマーガレット・アレクサンドラと、どこへ向かう予定だったのか、です。二人の目的は、ロイド・ラビオリと同じだったのではありませんか?」
そう言われると、苦しい。
僕たちの目的も、確かに神の子の棺を探すことだったのだから。
どう弁明するつもりなのだろう。
サファー先生は相変わらずにこやかな表情で、「次の証人を呼んでもいいですか?」と発言した。
ノギスさんに伴われて、証言台に現れたのはマーガレットだった。
僕は彼女の姿を見て、心から安堵した。
――良かった。ゼリーになったのは、マーガレットじゃなかったんだ。
だけど、ほっとしたのも束の間だった。
マーガレットの目は泣き腫らしたように真っ赤で、その様子を見た途端、僕は一転して不安に駆られた。
彼女は真っ直ぐにハックフォード先生を見据え、はっきりと口を開いた。
「わたしが悪いんです……! 先生。フリックは、何も悪くありません!」
「どういうことですか、マーガレット・アレクサンドラ」
先生方が怪訝そうに顔を見合わせる。
マーガレットは、いつものように強い意思を宿した瞳で彼らを見渡し、よく通る声で続けた。
「フリックは、無理矢理付き合わされただけです。ロイドが、『講堂の上に神の子の棺があるらしい』って言い出して……フリックに、確かめに行けって言ったんです。わたしは……自分が一番に神の子の棺を見つけたかったから、同行すると言い張ってしまいました」
「ロイド・ラビオリが言い出した、というのですか?」
「はい。七不思議のことを、わたしたちに教えたのもロイドです。七不思議のひとつ、神の子の棺が講堂の上にある、と」
ハックフォード先生は顎に手を当て、しばし思案する。
「……マーガレット・アレクサンドラ。あなたは、なぜ神の子の棺を見つけたかったのですか?」
マーガレットは一瞬も迷わず答えた。
「同級生を見返すためです! 新入生の間では七不思議の噂が流行っていて……。わたしとフリックは馬鹿にされていました。だから、見返すチャンスだと思ったんです!」
「それだけですか?」
「それだけです!」
「……そうですか。では、なぜその夜、あなたはフリック・ラーベスを迎えに行かなかったのですか」
「それは……」
その問いに、マーガレットは初めて言葉に詰まった。
少し考え込んでから、静かに答える。
「その日は……なぜか眠ってしまったんです。準備は万端で、消灯時間までは覚えているんですが……その後の記憶が、なくて……」
「…………」
ハックフォード先生は再び沈黙し、やがてサファー先生に目配せをした。
サファー先生はマーガレットに礼を述べ、彼女を奥の部屋へ下がらせる。
そこで初めて、学長が動いた。
カン、と木槌を打ち鳴らし、場内の空気を一気に引き締める。
「これで、概ね状況は把握できましたね。フリックくんとマーガレットさんは、不敬行為には無関係と見てよいでしょう。神の粛清を受けていない――それが何よりの証明です」
反論の声は上がらない。
右側の先生たちは、深く頷いていた。
学長は場内を一巡してから、続ける。
「フリックくんは、利用されたのです。不敬行為に及んだ生徒は、その結果の先――つまり、罪を他者になすりつけるところまで考えていた。フリックくんとマーガレットさんを、犯人に仕立て上げようとしたのでしょう」
「……しかし、これは……ロイド・ラビオリ単独の企てとは考えにくいですね」
それまで沈黙を守っていたキュービット先生が、低く呟いた。
「状況から推測するに、複数の錬石が使用されている可能性が高い。生徒の錬石の個人所有は禁止されている――つまり、背後に協力者がいる……」
「それについては、今後の調査に委ねましょう」
学長はきっぱりと言い切った。
「差し当たり、フリックくんは本件については無罪とします。ただし、消灯時間後に寮を抜け出した事実は消えません。一週間の謹慎としたいのですが、異議はありますか」
「異議なし」
「異議ありません」
小さな声が場内に散り、やがて沈黙が満ちた。
学長は満足そうに微笑み、木槌を軽やかに鳴らす。
それが、閉会の合図だった。
僕は部屋に戻る許可をもらい、一週間、寮の外へ出ないようノギスさんから言い渡された。
後で知ったことだけれど、僕は丸二日間も眠り続けていたらしい。
僕が帰寮した日は、五月二日――朱曜日の朝だった。




