第六話
九州国際会館の多目的ホールで、大々的な新商品発表会、及び、これから迎える春商戦の販売戦略の周知が本日行なわれる。
プレゼンテーション開始までまだ15分ほど間があるが、会場前の広場には数十人の人だかりができていた。市内の代理店関係者が参集していたのだ。
女性スタッフは店頭用の制服で来ている者も多く、ここまで大人数が一同に会するのは新鮮な光景だ。
「久野さん、久しぶりね」
スーツ姿の女性が啓子の後方から声をかけてきた。
「あら、樋口さん。どうもご無沙汰しています」
啓子の顔が自然とほころぶ。
樋口は啓子より5歳ほど年長。ややエラが張った平板な顔だが、微笑を絶やさぬ癒し系キャラなのだ。
レッドモバイルの社員である樋口は、以前戸園店を担当していたSVである。担当店舗はローテーションしていくので、今は彼女も別の店を受け持っている。販売員として勤務経験がある樋口は、スタッフ目線で寄り添ってくれる、良き相談相手だった。
「この子が入ったばかりの新人です。よろしくしたって下さい」
啓子の後ろに隠れていた児玉がちょこんと飛び出して挨拶する。
「戸園店に配属されました、児玉浩美と申します。よろしくお願いしますぅ」
「そんなに改まらなくていいのよ。私はもう担当でもないし」
両手で恐縮の意を示した樋口が二人に問いかける。
「頑張ってね、と、わざわざ言わなくても頑張る子かな?」
「その通りです。どこかの誰かさんと違って」
豪快にくしゃみをする的野の姿を連想して、児玉が頬を緩めた。
「今日もお店に寄ってきたみたいね」
「店は鮫島に任せてきました。そこまで忙しくなかったので」
啓子が胸元のスカーフの位置を直しながら言った。
児玉はシフト上休みだったが、啓子が誘ってみると二つ返事で飛びついてきた。もちろん日給も出る。
「会場、先に入ってどうぞ。春モデル触れるわよ」
樋口が二人の背中を押して会場内へ促す。
「発売前の新商品が見れるなんて、感激ですぅ」
「しっかり勉強して、他のスタッフにも伝えてね」
啓子が児玉を先導する。
広々としたレセプションルームの出入り口付近に、長机が数本並べてある。机にはそれぞれ端末のメーカーが陣取り、実機を使ったデモンストレーションを行なっている。
児玉はいつの間にか姿を消していた。
「あ、やばい。単カタ回収しないと」
啓子が自分のすべきことを思い出す。新機種の実機に後ろ髪を引かれつつ、什器に備えられた単品カタログをビニール袋に仕舞いこむ。集め終えた時点で、今まで暗かった正面壇上に照明が灯った。
「そろそろ説明会始まるみたい、座りましょう」
メーカー広報の説明に聞き入る児玉の袖を引っ張る。
「すみません。興奮しちゃって、周りがぜんぜん見えてなかったです」
「別にいいわよ。でも説明会は落ち着いて聞きましょう」
中央正面付近の席に陣取った二人が談笑を交わす。その間にも、備え付けの席が参加者で埋まっていく。
席上に置いてあった資料に目を通していると、壇上にスーツ姿の男性司会者が現れた。
「皆さんこんにちは。只今より新商品説明会を開始いたします」
長机の周囲にいた数名がこそこそ着座する。その様子を見守った司会が、タイミングを見計らって話を始める。
「本日は販売業務でお忙しい中、当説明会にご参加いただきまして誠にありがとうございます。さっそくですが、お席に用意した資料をご覧ください」
静かな会場内に、資料をまさぐるカサカサという乾いた音が響く。
「そちらに記載があるように、報道発表前の新商品に関する情報は、関係者以外への告知は厳に謹んで頂くよう、お願い申し上げます」
《関係者外秘》という透かし文字が印字されている。児玉は無言で頷いていた。
「当説明会を通して、弊社と皆様のグリップ強化を実現したいと考えております。では、端末メーカーのソリッド様に、最新春モデルの紹介をお願いいたします」
流れるような動作で身を引いた進行役が居た場所に、紹介を受けたソリッドの青年広報マンが登壇した。
「販売店のスタッフ様及び代理店関係者様には、弊社製品をご拡販いただきありがとうございます。私、株式会社ソリッドの商品企画部、併世 三楚と申します。宜しくお願いいたします」
軽く頭を下げた併世が話を続ける。
「では、正面投影をご覧下さい」
大型プロジェクターに新端末の映像が映し出される。ソリッドお得意のサイドスタイルの液晶画面から、スポーツカーを運転する有名女優の立体映像が飛び出してきた。会場中にはどよめきが巻き起こる。
「ご覧の通り、こちらの端末、4・2インチフルワイドVGA液晶の裸眼立体視に対応しております。今回はなんと、レッドモバイル様が得意とするナビ機能にも対応しました」
ユーザーからも非常に評価が高い〈レッド助手席ナビ〉の画面が立体感抜群のホログラム映像で表示される。
「このように、建物奥行きもリアルに体感できます。実用レベルに達したと自負しております」
十字路が立体表示され、参列者たちからも感嘆のため息がもれた。
「すんごい未来的よね。使ってみたくない?」
「私もたまに運転するから、ハンズフリーで使えたら最高ですぅ」
戸園店の新旧コンビが小声で興奮を示す。
その後、細かなスペックの説明やプロモーションムービーが終わると、再び司会がマイクを取った。
「ソリッド様、ありがとうございます。売価は高めになりそうですが、販売員の皆様には割賦購入のご案内を徹底いただきたい。つづきまして、大阪マグネシウム様にご登壇願います」
司会の声に誘われたのは、大柄な女性だった。底抜けに明るい笑顔は、子供向けの番組にでも出てきそうなキャラクターだ。
「皆さんこんにちはっ。大阪マグネシウムの吉塚です。今日は張り切って自社製品をPRしちゃいます」
跳ねる語尾に合わせてマッスルポーズを取る。
「さてさて、今回私どもが用意した端末はこちら。ポケットフレンドです」
吉塚が大げさな身振りで片手に持った小さな端末を指差す。丸みのあるフォルムの折りたたみ携帯の様だ。
「こちらの機種の最大の特徴は……見えますでしょうか? この様に折りたたんでポケットに格納できるところです」
周囲から感心と笑いのざわめきが起こる。折りたたまれた携帯電話がポケットに挟み込まれていた。
「ポケットからはみ出る部分、結構おしゃれに見えるわね。デザイン悪くない」
「しっかり止まるなら、お子様も安心ですぅ」
啓子と児玉が感嘆の声を上げる。
「この様に、ポケットからはみ出る部分の外装デザインには非常にこだわりました。存在感を主張するビビッドなイエロー。こちらがメインカラーとなります」
吉塚が補足説明を差し挟んだ。
「レッドモバイル様だけの強み、といたしまして、ポケットフレンドを連鎖獲得のフックとして、ご家族囲い込みに活用いただきたいです。販売店様には、積極的なご拡販を宜しくお願いいたします」
司会と吉塚が並んで一礼すると、参列者の周囲で見守っていた支社の従業員から小さな拍手が送られる。それにつられて、参列者たちの間にも拍手のさざ波が広がった。
「続きまして、大注目の新料金プランについてご説明いたします、前方投影をご覧下さい」
巨大スクリーンに極太のゴシック体で〈レッドプラン〉という赤文字が映し出される。これが新料金サービスの呼称らしい。
「本サービスの概要を説明いたします。料金設定は月額1000円。レッドプラン同士の国内通話を24時間完全に無料といたします」
サービス内容の大胆さに、本日最大のどよめきが巻き起こる。
「なお本日の16時よりプレスリリースが始まるので、是非お客様にもお伝え下さい。攻めに守りに使えるはずです」
手元資料のページをめくった司会が説明を続ける。
「弊社は6年連続でお客様満足度NO1を獲得し続けてきた実績がございます。電波状況や提供コンテンツなど、後発のシルバーモバイル「より一日の長がある。その点を踏まえ、今拡販期におけるMNP獲得のトリガーとしてご活用ください」
力強く握り締めた右拳を斜め上に突き出した司会の姿は『シルバーから回線を奪い取るぞ』という強烈な意志表示だ。
「今年の拡販期はレッドプランをフックに、MNP獲得の最大化を実現します。今後1、2ヶ月は多忙を極める激戦が待っております。最大の成果を挙げるべく、全社を挙げて戦っていきましょう。以上で説明会を終了させていただきます」
参列者から大きな拍手が送られる。下げた頭頂で拍手を受け止めた司会が、しばし余韻に浸る。
直後に交わされる雑談は自然と熱を帯びた。
「これはびっくりでした。結構前から知っていたんでしょ?」
「やっと言えるって感じ。今まで隠すの大変だったもの」
啓子の問いかけに樋口の表情が弛緩する。
「だけど、通話をどんどん無料にしちゃって大丈夫なんですか? ぜんぜん儲からなくなるんじゃないかな……」
児玉が疑問を差し挟む。
「同キャリア同士であれば、通話時に余計な費用がかからない。他社との通話だとそうはいかない」
「アクセスチャージ、ですね」
樋口の説明を啓子が端的にまとめる。
【アクセスチャージ】とは、事業者同士がネットワークを接続した場合、ユーザーから通話料を徴収する事業者がもう一方の事業者に支払うネットワーク使用料のことである。通称《事業者間精算料金》とも呼ばれている。
例えば、レッドユーザーがカイザーユーザーと通話する場合、着信側のカイザー側の網を利用するため、カイザーモバイルに対してレッドモバイルがアクセスチャージを支払う必要があるのだ。
「だから他の携帯会社とは無料にできないんですねぇ。勉強になりますぅ」
説明を聞き終えた児玉が、樋口に感謝の意を示す。
「それはそうと、お腹がすきました。どこか寄っていきませんか」
児玉が太ましいお腹を抱える。
「とりあえず喫茶店寄ろうか。腹が減ってはなんとやら、よ」
「お店は大丈夫なの?」
樋口が問いかける。
「そのぶんは的野が頑張るから大丈夫。あいつ遅刻ばっかりだから、たまには二人分働かせましょう」
残務がある樋口に別れを告げると、啓子たちは揃って支社を後にした。




