第三話
東京赤坂の上品な路地裏にある料亭の一室で、還暦を越えて久しい大物二人が旧交を温めていた。目と鼻の先に永田町の国会議事堂や首相官邸があり、耳をすませば隣室から国政談義が聞えてきそうだ。
「いいかげん、他人の褌で相撲とるのはやめてほしいもんだ。連中は昔から、全く進歩が見られない」
揃えた箸で斜め前の空中を突きながら愚痴ったのは、カイザーモバイル株式会社の代表取締役、堤 秀文だ。
頭が異様に大きく、台形の頭頂部をホームベースと揶揄されている。常識的な人物として知られるが、酒が回った今は地が見え隠れしている。
「シルバーさんは、キャッシュを事業拡大のための先行投資に充てたいのでしょう。手前勝手に商売がやれるのは、うらやましい限りですな」
堤に招かれた総務副大臣の原田 正邦が分析めいた持論をかます。わずかに残った白い前髪を律義に分けており、几帳面さが窺い知れる。
昔からインフラ整備に金をかけず、その度にカイザーモバイルの設備をうまいこと利用しようとするライバル会社に対し、堤は苛立ちを隠せない。
「まあそのあたりは厳重に注意しておきましたよ。きちんと事前協議をするように、とね」
原田が厳かに喉を鳴らすと、すかさず堤が原田の杯に酒を注ぐ。
「なんだ、酒がぬるいな。熱いやつを持ってこさせよう」
「堤さん、私はぬる燗でも結構ですよ。それにあなたとの会話で、充分火照っています」
堤たちが本日2回目の乾杯をする。
「ところで原田君。例のSIMロック解除の件、実施の見通しはたったかい」
「ええ。閉鎖的な日本の市場をオープンにするために、必要なことでしょう。端末メーカーもより存在感を増すことになる」
現在、携帯電話端末は各キャリアと紐付けされており、電話番号が入ったSIMカードを他キャリアの端末に入れ替えて使用することはできない。そのロックを解除可能にすれば、ユーザーは自キャリア以外の端末を自由に利用できる。
「元々SIMカードの存在意義は、端末を選ばずに電話番号を利用するためにあるのだから、あるべき姿に戻すべきだろう」
堤が刺身をひっくり返して両面に醤油を染み込ませる。
「海外ではSIMロックは限定的に設定されているケースが多い。日本もグローバルスタンダードに見習うべきですよねぇ」
原田が酒をすすりながら同意を示した。
カイザーモバイルの最大の狙いは、シルバーモバイルが独占的に販売予定のスマートフォンのSIMロック解除である。高速、大容量が売りのスマートフォンだが、脆弱なシルバーモバイルのインフラでは接続の安定性に懸念がある。
競合他社としては、スマホ販売権はなくとも利用通信料は欲しい。その好都合をかなえてくれるのが〔SIMロック解除〕なのだ。先ほど“他人の褌で云々”の批判を展開したばかりだが、二枚舌を非難されようと合法的にやり遂げれば問題ない。堤はそう踏んでいた。
「うちでは来年の春モデルから、全機種SIMロック解除に対応しようと考えている。総務省の意向に沿って、ね」
堤が太い眉を怒らせて原田に睨みを利かせる。
「堤さんにはかないませんなぁ。別に凄まなくとも、総務省の公式見解として発表しとるでしょうが。まあ解除と言っても、レッドさんは電波方式が違うからどうしてもその恩恵を受けられない。このあたりの公平性が課題ですな」
レッドは蚊帳の外、シルバーは端末だけ提供して利用料金は搾取される。カイザーの一人勝ちだからいいんじゃあないかと、堤は心中で本音をぶちまける。
だが、総務省に露骨な援護射撃を求める訳にはいかない。今日はあくまでも旧友との親睦を深めているだけであり、ダーティーなスタンドプレーに走るつもりは毛頭ない。王者は清廉潔白であるべきなのだ。
「この前、部下がレッドのイベントに参加したとき『赤色が銀色に乗っ取られるかも』という仮説を展開したらしい。話を聞いた佐田松さんは、満更でもない様子だったらしい。ありえる話だと思うかい?」
「そんなことになったら大変だ。御社はなんとしてもシェア5割を維持しなければなりませんな。でないと、ねじれ国会になってしまう」
「人聞き悪いこといいなさんな。ルールを決めるのはあんた方だろうが」
堤がすぼめた口から日本酒交じりの唾を撒き散らす。
「心配無用です。いざとなれば〈同社間通話無料〉という切り札が残っているじゃないですか。そのためにカードを切っていないんでしょう?」
「同社間通話無料だぁ? ネズミ講みたいな戦略は不要だ。皇帝はどっしりと玉座に腰を下ろしておけばいいんだ!」
酔いが回った堤は呂律が回っていない。
「レッドさんも、これで目の上のたんこぶのうざったさが少しはわかっただろう」
「今にして思えば、彼らの方がはるかに“フェアなライバル”というイメージがありますね」
箸を置いて姿勢を楽にした原田が堤の言に同調する。
「シルバーモバイルが非常識に見えるのは、社長の佐田松さんが破天荒だからでしょう。凡人には思いもよらぬ策謀を巡らす方ですからねぇ」
原田が中立の立場を貫くため、詭弁じみた意見を述べる。
「最近はこういった純和風の料亭も少なくなってきていると聞くよ。若い政治家先生の料亭離れが進んでいるらしい」
さすがに言い過ぎたと思った堤が、今さらながらに話題を変える。
「日本の伝統文化を守るためにも、年一ぐらいは飯を食いに来るのも悪くないですな。そろそろお開きにしましょうか」
窓から見える道路沿いには黒塗りの高級車が並んでいる。皆、団塊の世代の重鎮たちの帰りを待っているのだろうか……。
「原田さん。便所に行って来るから、悪いが少し待っていてくれ」
堤はアルコールでふらつく足に力を込めると、二人分の勘定を済ませるために席を立った。




