第十九話
残務を終えた御国は、そのままバックヤードのソファーに深く身を沈めていた。時刻は21時を越えており、店内には誰もいない。妻子が待つ家に帰るべきだが、今は無性に一人になりたかったのだ。
手元の携帯電話のテンキーを何気なく撫で回していると、ふと、ひらめいたことがあった。スーツの胸ポケットに手を突っ込み、しわくちゃになったメモ紙を引っ張り出す。
携帯電話の説明書の、レッド国際電話サービスの欄を開く。記載がある国番号に、メモ紙の数字と一致するものがないか見比べた。すると、マレーシアの国番号と一致したのだ。
その番号を付加して鶴田へ発信する。呼び出しのコール音は10回前後で止んだ。御国は耳たぶに携帯を押し付けて、スピーカー先の様子を窺う。
「気が付いたようだな。さすがに代理店1つ背負っているだけのことはある」
鶴田の第一声を聞くと、堰を切ったように質問が飛び出す。
「戸園地区で起こっているシルバーの電波障害。仕掛け人はお前だな」
御国の口内に生唾がジワリとにじんだ。
「ご明察。番号の意味に気が付いたら、教えてやろうと決めていたんだ」
鶴田が吹っ切れたように明快に答える。
「自分が何をしているかわかっているのか。妨害電波と爆弾騒ぎで戸園の街は大混乱だ。一体どう責任をとるつもりだ」
取り乱した御国が矢継ぎ早に言葉を繰り出す。
「もし俺とお前の繋がりが明らかになったら、あらぬ疑いをかけられるかもしれんな。せいぜい気をつけることだ」
「そんなことはどうでもいい。何故戸園を標的にしたんだ? 他にもターゲットになる地域はいくらでもあったはずだ」
しばしの沈黙が落ちた。
「どうせ連中に仕返しするなら、ついでに誰かの助けになりたかったのさ。そこでお前の事が思い浮かんだ。正直、経営苦しかっただろう?」
「余計なお世話だ! 俺がそんな汚い助力を喜ぶと思うか? 見損なうなよ」
「くっくっく、その性格は良く分かっているよ。まあそう興奮するな。お前の鼻息がノイズになって、話が良く聞えない」
鶴田は御国を窮状から救おうなどと考えて行動に及んだ訳ではなく、言うとおり、“ついで”だったのだろう。
「妨害装置を撤去したら基地局を爆破すると言っているが、あれは本気なのか」
「ああ、もちろんあれはブラフだよ。なんの仕込みもしていないしな」
鶴田はあっさりとそう答えた。気楽な論調なので、御国には真偽を推し量ることができない。
「なら何故あんな脅しをかけるんだ。自分の立場がますます危うくなるだけだろうが」
「ある筋から、シルバーから金を抜こうという相談があったのさ。株が絡むので、時間稼ぎが必要だったわけだ」
得々と持論をぶちまける鶴田の声色には、陰欝な響きがあった。
「誰も俺を裁くことはできない。正当な復讐を粛々と行っただけだからな」
「逃げ切れないぞ。お前に安住の地はない。それに、逃げ切ったところでなんになる。 自分の人生に対して後悔はないのか」
「ギャンブルの掛け金を他人に出させておいて、負けたら知らん顔という厚顔無恥な真似は金輪際やめろと言いたかったのさ。これは何もシルバーモバイルに限ったことではなく、多くの代理店を統べる大企業全てに当てはまる論理だと思うぜ」
昔の口調に戻った鶴田が粛々と語る。
「今回の事件でキャリアの体質が露になり、世論のプレッシャーが強まるだろう。今でも飼い殺しにされている店舗のオーナーたちに少しでも救いの手が差し伸べられれば、と真剣に願うよ」
御国は無言を通した。事件で被害を受けた者の立場を思いやると、一部でも肯定の言葉は述べたくない心境だった。
「俺は日本のことが好きだった。もう一度だけ、桜を拝む事ができれば御の字さ」
御国は今の通話を、携帯電話の機能を利用して一部始終録音していた。この内容は警察に聞かせることになるだろう。
“友を売る”という罪悪感はほとんどない。鶴田は相応の事をしているし、御国は自分の身と、なによりも会社を守らねばならぬ身だ。
しばらく無言の携帯電話からは、遠く海外にいる、鶴田の寂寥の想いが伝わってくるようだ。話を続けたいという気持ちを振り切ると、御国は静かに切電ボタンを押した。
***
シルバーモバイル社が管理する掲示板【銀色ちゃんねる】は、電波障害発生直後から事件に関するスレッドが乱立し、悪意に満ちた言葉の炎で炎上していた。
〈相手が愉快犯であれ、付け込まれるような隙がある方に問題がある。日ごろからあくどい商売やってるからだろ〉
<いい加減にしろよ、化け狐が。とっとと復旧しろ>
<だけど、元凶は犯人だろうこれ。迷惑千万なヤローだ>
<CMばかりに金をつぎ込んで、いつまでたっても設備投資をしないからこうなるんだ。自業自得だね>
<所詮、ヤスカロー、ワルカローの駄目キャリじゃん。カイザー使ってる俺勝ち組>
元々シルバーモバイルには、悪名高い金の亡者というイメージが先行している。ネット上の匿名の愉快犯は、その印象に付けこんで掲示板に油を撒き散らしているのだ。週刊誌やワイドショーにも毎日のようにとり上げられ、シルバーはほぼサンドバック状態である。
電波障害の実害は、戸園一帯の3万人弱が被っている。さらに風評被害が広がり、九州全域でレッド離れの兆しが見え始めている。
啓子が掲示板のタブを最小化すると、ディスプレイ上に今月の収益計算表が表示された。まだ月半ばだが、新規契約数は当初の目標の250件を優に超えていた。このままのペースでいけば、収益は着地400万円の大台に達するだろう。戸園店過去最高の実績だ。
啓子は一人バックヤードのパソコン前に佇んでいた。冷えきった弁当の残りを箸でつまむと、ゆっくりと口に運ぶ。味のしない米粒を舌先で転がしていると、ふいに横合いから声をかけられた。
「今日も大漁だったようだね。計算代わろうか」
いつの間にか御国がすぐ側にいた。売場への出入り口付近の壁に、腕を組んで寄りかかっている。
「いえ。もう事務仕事は終わっていますから」
「じゃあ、早く上がったほうがいい。皆は先に帰っているじゃあないか」
店は30分ほど前に閉店している。啓子は昼間の喧騒から解放されてもぬけの殻になっていた。
「上の空だけど、なにかあったの?」
御国の問いに対して、俯き加減の啓子が小声で話を始めた。
「最近の好調に納得がいかないんです。まるで他人の弱みに付け込んでいるようで、気持ち悪いって言うか……。数字が出ている事は、喜ばしいことなんですが」
「レッドモバイルの顧客満足度は今年もナンバーワンだったらしい。各種コンテンツに料金プラン。もちろん通話品質もくわえて、総合的に評価されてのことだ。提供しているサービスにはもっと自信を持っていい」
御国の話はもっともだが、この場合、話のすり替えと言われても仕方がない。啓子は、シルバーモバイルの電波障害で、ユーザーがレッドに流れていることを言及しているのだから。
「もちろん自信は持っています。だけど、今回は自力で作った数字ではない事は、良く分かっています」
あくまでも話を逸らさない啓子に対して、御国があらたまって声をかける。
「正々堂々と戦って勝ちたかったわけだ」
「もっとガップリ四つに組み合って、豪快な上手投げでひねってやりたかったな、と」
中腰になった啓子が相撲取りの真似事を披露する。その目元は笑っていなかった。
「最善を尽くして敗れたのであれば納得がいったと思います。でも、今回は不戦勝のようなものでしょう」
御国が啓子の後ろ姿を見ると、アンバランスに左の肩が下がっていた。啓子が落ち込んだときに見せる、昔からの癖だった。
「これだけ忙しい中できっちり店が回っているのは、君たちの日々の積み重ねが活きた結果じゃないか」
慰めの言葉を啓子に向けた御国が、決意を秘めた厳しい表情になった。
「悪いけど、今後しばらく店に入れないかもしれない。その間は皆で力を合わせて頑張ってほしい」
啓子が物問いたげな眼差しを御国に向ける。
「必ず、戻ってくるから……」
そう言い置いた御国は、沈痛な面持ちで静かに立ち去っていった。




