第十八話
数日後
御国は再び繁華街へ足を運んでいた。全く電話がつながらない鶴田に直接会いに行くためである。メールも送っていたが、こちらも返信がない。
強く降りつける雨が原因で人通りは少ない。靴のダメージを最小限に抑えるために、水溜りを避けながら歩く。
目的地である『激屋スクラップ』がある雑居ビルには迷わずに到着した。店内に入ると、都会の雨と汗が混じった饐えた匂いが御国を出迎える。まっすぐカウンターへ向かうと、外国人のレジ番がエプロンをかけて本を読んでいた。
「こんばんは。鶴田さんはいますか」
御国がスローペースで問いかける。彼がカウンター上に広げていた本が、日本語学習用であることに気付いたからである。
「ツルタさん、ヤメられまタ」
外国籍の従業員が、分厚い唇から片言の日本語を発した。これで精密機械の説明を客にできるのだろうか、という素朴な疑問が湧き上がる。
「アなたは、みクニですカ?」
その問いに、御国が無言でうなずく。
「みクニには、これワタす、イわれてマス」
折りたたまれたメモ紙を渡されると、すぐさま開いて内容を確認する。そこには汚い手書きの文字で9桁の数字が記されていた。
「このナンバーの意味は何か聞いていないか? それとも、用紙を渡し間違えたとか」
御国の質問に対し、ドレッドヘアの従業員はかぶりを振り続ける。
「ツルタに渡すように言われた?」
メモ紙を目前でヒラヒラさせながら問いかけると、ドレッドヘアの動きが縦に変わった。徒労感に負けた御国は、店を出る事にした。
御国には鶴田が店を辞めたという事実が、悪い予感的中のフラグが立ったように思えてならない。もし妨害電波を仕掛けた犯人が鶴田だとしたら、彼の破滅は確実だろう。
帰路の途中、渡されたメモ紙に目を通そうとポケットから取り出す。そこに垂れてきた雨水を自分の涙と錯覚した御国は、思わず目元をぬぐった。
***
「ありがとうございますぅ。またお越し下さいませ」
接客を終えた児玉がお客さんを見送る。先言後礼も見違えるように様になっている。
しかし、カウンターには先ほど使用した申込用紙が出しっぱなしにしてあった。見咎めた啓子はそれを勢い良くひっくり返すと、児玉を叱りつける。
「個人情報が載った用紙をカウンターに置きっぱなしにしない! いいですね」
「はいいっ。すみませんでした」
鋭い剣幕で叱られた児玉が居住まいを正す。
「出たよ、久野さんの奥義‘畳返し’が」
店の隅で様子を見守っていた鳥飼が、側にいる鮫島に耳打ちする。
啓子は個人情報が載った用紙が表向きで置いてあると、その場で勢い良くひっくり返す癖がある。その様は、‘畳返し’と命名されていた。
「あんなに勢い良く裏返したらビックリするだろうに」
「私たちはあれで教育されてきたから。意識付けるには効果的よね」
鮫島と鳥飼が小声でひそやかに意見を交わす。
個人情報保護の重要性は年々大きくなっている。万が一大規模な流出を招けば、損害賠償の発生や、営業停止のリスクすらある。
「でもまあ、説明はとても分かりやすかったよ。この調子で頑張ってね」
啓子の称賛を受け、児玉のオタフク顔がパッと輝く。
「私も早く一人前の正社員になりたいですぅ。そして、ここで長く働きます」
児玉の決意表明に鮫島が応える。
「その意気ですよ。あなたなら万年バイトの的野の先を越せます。僕も不況だから転職はしません。久野さんもそうでしょう?」
「社長は好きなだけ居ていいと言うけど、どうだか。最年長の店責は70を超えているらしいけどね」
啓子がそう答えると、周りの3人が興味津々で食いつく。呑気な昼下がり、心休まる束の間のひとときだった。
***
「ぶわ~っくしょい! ういっ」
豪快なくしゃみをもろに浴びた初老の男が、思わず手の平で顔を拭う。手の平についた粘着質な唾液を恨めしげに見た彼は、くしゃみの発生源に罵声を浴びせた。
「源さんそりゃないだろう。たまに店に来てやったのに、ひどい出迎えだな」
「誰か俺の噂話をしてやがる。遠距離口撃を仕掛けるたぁ、卑劣な奴だ」
総白髪の老人が、人刺し指で鼻をこする。
くしゃみをぶっ放した老人は、秋吉源蔵・77歳。レッドモバイル与那国島店の店長である。後期高齢に差し掛かっているが、富士額の生え際からは短髪の白髪がびっしりと生え揃っている。常にへの字に結んである口元は、頑迷な性格の表れだ。
レッドモバイルのショップスタッフでは、ぶっちぎりの最年長であり、キャリアの社員からは‘孤島の最長老’とあだ名されている。携帯ショップが欲しいという住民の強い要望の実現時、販売員がどうしても必要となった。そこで、すでに定年を迎えていた秋吉に白羽の矢が立ったのだ。
販売の経験を買われて抜擢されただけあり、一通りの業務は難なくこなす。気が強すぎてマイペースな点が玉に傷だが……。
「とりあえず座れよ秀次郎。熱茶でも出してやるから飯にしようぜ」
源蔵はそう言うと、唾液にまみれた秀次郎にポケットティッシュを手渡した。秀次郎は、後頭部の白髪をシャリシャリしながらそれを受け取る。彼は源蔵の数少ない友人の一人だった。
「今日は別に昼飯を食いに来た訳じゃない。簡単携帯の調子が悪くってさあ。修理に出してくんねえか」
「修理だあ? んなことやってたら、俺のレト味噌が冷めるだろうが! 飯を食いおわってから出直してきやがれ」
源蔵節の直撃をくらった秀次郎が天を仰ぎ見る。
「毎月500円余計に支払ってるから、ただで修理できるんでないの。ほら、確か紛失時リカバリさポってやつだべ」
「リカちゃんさポ……それって何だったっけか?」
源蔵が大ボケをかます。満足に勉強しない上に物忘れが激しいので、最近脳みそが軽量化していると嘯いていた。
「本州のレッド社員が、交通費を出すから研修に来いってうるさいんだけど、面倒くせえんだよな。俺、勉強は中学で卒業済だから」
中卒で定職に就いた源太が、自嘲気味に吐き捨てる。
「島の若い者は皆本州に行っちまうもんな。ここは源さんに粘ってもらうしかないよ」
カウンターに置かれた沢庵をポリポリやっつけながら秀次郎が言う。
「修理に出してもいいけどよ、本州のメーカー宛に送るから、確実に1ヶ月以上はかかる。それよりも機種変えしないか。最新機種が勢ぞろいよ」
季節は春を迎えているのに、昨年の夏モデルしか展示していない。埃をかぶったプライスを見た秀次郎は、素っ頓狂な声を上げた。
「4万だぁ? ボッタクリもいい加減にしろよ源さん!」
「違うよ、それは分割で払えるんだ。それに、月の電話料金も少しばかり安くなるから安心しな」
弁当をがっつく手を休めて源蔵が解説する。飯を食べながらの接客は、キャリア社員が見たら絶句するだろう。
何やかや言いつつも、源蔵はこの仕事を気に入っていた。定年を越えても役割があることは素晴らしい事だとしみじみ実感する。長く働くには寿命の方も粘り腰が必要だが、今のところその心配もなさそうだ。
源蔵は箸を白飯の上に垂直に突き刺すと、機種変更の申し込み用紙を棚から取り出した。




