第一話
《2月》
久野 啓子・27歳は、レッドモバイル戸園店の店長である。
小柄な体格だが、全身から快活なオーラが溢れており、外観以上の存在感がある。円らな丸目とマッシュボブの髪型がボーイッシュな印象を加味していた。
店長暦は3年。同店舗で7年以上の勤務経験を有しており、携帯業界ではベテランと言って差し支えないだろう。
啓子は駐車場に止めた原付のメットを座席下に押しんだ。手探りでブルゾンのポケットをまさぐり、キーホルダーを探り当てる。休日明けの軽い足取りで店の入口に駆け寄り、鍵を開ける。自動扉は作動しておらず、手動で扉を開く。
まだ誰も出社しておらず明かりもついていない。バックヤードに荷物を置くと、まずパソコンの電源を立ち上げた。
接客用のカウンターに3台、バックヤードに1台。それぞれ店舗IDとスタッフ用のパスワードを入力し、さらに指紋認証をクリアしなければ動作しない。個人情報を扱う端末なので、セキュリティーが厳重になっているのだ。
タイムカードに印字すると、9:12と表示された。さすがに出社が早すぎたかな、と小首を傾げる。だがそう思ったのも束の間、作動させたばかりの自動扉が摩擦音で軋む音が聞える。
「ごめんくださ~い。もう開いているかしら?」
バックヤードと店頭を遮るカーテンの隙間から覗き見ると、杖を持った老婆が自動扉の前で首を左右に振っている。
「どうぞ~。大丈夫ですよ」
開店は10時からなのだが応対する事にした。右手で空調のスイッチを入れながら、左手で赤色のスカーフを調整しつつ店頭に出る。その時、老婆の後ろからスーツ姿の青年が現れた。
「久野さん、僕が対応します」
声をかけてきたのは副店長の鮫島だ。抱えたコートの裾を踏みそうになりながら入店してくる。
「あらあら、この前の人じゃない。朝早くから助かるわぁ~」
ひいきのスタッフを捕まえて、老婆の機嫌は上々だ。鮫島が数日前に新規獲得した顧客だったのだ。
「どうぞ、おかけくださいませ」
来客をカウンターへ案内すると、啓子は店外の清掃を始めた。2月の朝の外気は容赦なかった。啓子はとめどなく沸きあがる鳥肌を片手で揉み潰しながら箒を動かす。
店内の様子が気になったのでそっと覗くと、どうやら鮫島がメールの使い方を説明しているようだ。老婆の手には年配者向けのカンタン携帯があった。
店内へ戻ると、老婆が椅子から立ち上がろうとしていた。
「最後に一つだけご案内したいことがあります」
鮫島が立ち上がり、再度老婆へ着座を促す。
「有害サイトへのアクセスを無料で規制できるサービスがあります。加入をお勧めしたいのですが、いかがでしょうか」
「でもねえ、私インターネットなんか見ないから。やり方も解んないし……」
「使いやすい公式サイトにしか接続できなくなるので、今後安心できます。完全に無料ですしね」
「そうねえ、そこまで言ってくれるのなら。申し込んじゃおうかしら」
やや強引な勧誘だったが、結局サービス加入の手続きへ移行したようだ。
料金プラン変更などの〔情報変更〕は、代理店の貴重な収入源の1つだ。1件につき数百円の収益が委託元のキャリア『レッドモバイル』から入ってくる。
来客者にメールの使い方だけ教えて返すのと、1件でも変更を行なうのでは、雲泥の差が出る。鮫島の収益へのこだわりは社内随一だった。
「おはようございます。今朝も早いですね」
客を見送った鮫島が啓子に向き直った。
副店長の鮫島 遼一・34歳は、中途入社で在社歴は1年ほど。前職は保険の営業マンだったらしいが、社長の意向で最近副店長への抜擢となった。
いかにも酷薄そうな面立ち。切れ長の眼は常に左右に睨みを利かせているような威圧感がある。その目元にマッチした、スクエア型の眼鏡が彼のトレードマークなのだ。
七三分けの頭髪は、整髪料で丁寧に撫で付けており、青年らしい若々しさを感じさせない。冷徹な彼は、スタッフの引き締め役となっていた。
「私、昨日休みだったんだけど、鳥飼さんの様子はどうだった?」
「割と普通だったような。少なくとも以前みたく落ち込んではいないです」
店舗スタッフの鳥飼 摩梨がおかした大失態は、スタッフ間で目下語り草となっている。
啓子の4歳年下の鳥飼の在社歴は約3年。病弱な体質でなければ今頃副店長の座におさまっていただろう。
座学に秀で、豊富な知識を活かしてあらゆる業務をそつなくこなす。普段はケアレスミスも少なかったのだが、今回は運悪く多額の損失を出してしまった。
彼女の犯したミスは〈ムービークリップ〉と呼ばれる定額の動画見放題サービスの付け忘れである。機種変更と同時に同サービスを受け付けたのだが、この際、申込用紙の〔当月適用〕のチェック欄を見逃したのが原因だった。
ほんの数週間で利用されたパケット通信費は、なんと100万円以上に上った。端末を購入した高校生男子が、映像コンテンツを多数ダウンロードし、通信費が膨れ上がったのだ。
定額になっていると思い込んでいた彼は、翌月の請求書を見て顔面蒼白となった。そのまま請求書片手に店舗に乗り込んできた際に、店舗側のミスが発覚した。
請求金額が莫大な金額に上ったこともあり、委託元のキャリア『レッドモバイル』と、販売代理店『有限会社ライズレイ』の間では幾度も話し合いが行なわれた。
結局全額『ライズレイ』が負担することとなったのだが、社長は今でもこの件に納得していない。交渉中は「せめて折半にしたい」と漏らしていたが、キャリア側は全く折れなかった。
ほんの1箇所、入力し損ねただけで100万円以上の損失が出てしまう。利用料金をコントロールする事の危うさをスタッフ全員が再認識した出来事だった。
被害総額を鳥飼に請求せず全額会社が受け持った事は、店舗スタッフの社長に対する忠誠心を喚起した。啓子としても、より強固になった団結心を武器にこれから迎える繁忙期を乗り切る心づもりだ。
清掃を終えて身なりを整えた啓子の元に、鮫島が1枚の履歴書を持ってきた。
「この子ですか、最終面談まで進んだ子は。今日ですよね」
「ええ」と、短く頷いた啓子が、受け取った履歴書を再チェックする。
履歴書には若い女性の証明写真が添付されており、氏名欄には児玉 裕子・22歳】と記載がある。やや丸みがある字体だが、丁寧にまとめられている。
「現在『コミックだらけ』でアルバイト中、ですか。本屋務めのようですが、携帯業界の経験は問わなかったんですか」
「あなたのときもそうだったでしょう? 接客に向いてそうだから、私は採用に前向きだけど。後は社長次第ね」
写真で見るかぎり、朗らかな笑顔は好感が持てる。しかし、ひょうたん型の輪郭はひょうきんな印象が先立つ。
レッドモバイル戸園店は、現在社長を含めて5名のスタッフで運営されている。社長の御国は、土日祝日のみのヘルプ要員である。今回3,4月の繁忙期を睨み、増員という運びになった。
このショップがある戸園のという街は、やや独特な立地条件にある。イメージとしては、台形の中央にある平地に、住宅街が密集している感じだ。
市街地から戸園に出入りするためには、勾配が急な坂道を必ず越えねばならない。交通の便も悪く、他の地域から孤立している感があるのだ。
店舗周囲を団地やマンション等の集合住宅で囲まれており、来客には恵まれている。ショップにとってさらに好都合だったのが、ライバルとなりうる家電量販店が存在しないことだった。
「そろそろ、外の旗立てましょうか」
腕時計が10時近くを指しているのを見て、啓子が鮫島にオープンの準備を促す。平日午前は来客が少ない事が多く、今日は繁忙期に向けて申込書の社判押しに励むつもりだった――。
――同日午後1時50分。ガラス張りの自動扉を律儀にノックしようとしているスーツ姿の女性を鮫島が見つけた。感度が悪い自動扉がディレイをかけて左右へ開くと、女性のゲンコツがむなしく空を舞う。
「こんにちは。面接の方ですよね?」
「はいっ、児玉浩美と申します。お仕事中に失礼しますぅ」
彼女は姿勢を正して挨拶した。ポッチャリした胴体がゼリーのようにプルンと震える。
「社長がまだ来ていないんですよ。こちらでお待ちいただけますか」
ボコボコになったソファーを手の平でなめしながら、鮫島が案内する。丁度その時、駐車場に車が止まる音が聞こえた。社長の白いセルシオを視界の端に捉えると、鮫島はバックヤードに向かう。
「久野さん。面接の方と社長がセットで到着です」
鮫島が目隠しのカーテン越しに報告する。啓子は野菜炒め弁当をかきこんでいる最中だった。
「うがいだけさせて。面接、私も同席するから」
接客中の久野を後回しにして、先に鮫島が昼食をとったのが響いたようだ。
「分かりました。表は僕に任せて下さい」
鮫島が売り場に戻ると、スーツ姿の社長が入店してくる。
「ご苦労様。今、そんなに寒くないじゃん。少し空気の入れ替えをしよう」
挨拶を返した鮫島が自動ドアのスイッチを切る。
社長の御国は輪郭が濃い強面な風貌だが、優し気な目元がマイルドに中和している。齢40がらみだが、前髪を長めに残したソフトモヒカンが若々しい。
「ごめんね、遅くなって。店長は?」
御国が鮫島に問いかける。
「どうぞ! 大丈夫です~」
バックヤードから啓子の大声が響き、同時に机を引きずる音も聞えてくる。面接用の即席応接セットをこしらえようと、一人奮闘しているのだ。
「鮫島君は表を見ていて。面接の方、私について来て下さい」
先に社長がバックヤードへ入り、児玉がその後に続く。
「すみません、バタバタしちゃって」
準備を整え終えた啓子が、社長と児玉を交互に見やる。
「私、児玉浩美と申します。本日は宜しくお願いいたします」
引きつり気味の頬に緊張を刻んだ児玉が腰を折る。
「私は『有限会社ライズレイ』の社長、[ruby=みくに まこと]御国 誠[/ruby]と申します。どうぞ、座ってください」
児玉は、カーテン側の下座に一礼して腰を下ろした。社長と啓子がその対面に座る。
「最終面談という形ですが、私は採用に関しては店長の久野に一任している。今日は当社の事をより深く知ってもらったうえで、あなたにここでやっていく意思があるか確認したい」
口角に微笑を湛えて話を紡ぐ。
「ご存知かもしれないが、ほとんどの携帯ショップは各キャリアの直営でなく、我々のような運営代理店が経営している。ようするに、ここにいる久野店長も他のスタッフも、レッドモバイルの社員ではなく『ライズレイ』の社員なのだ」
話を振られた啓子が児玉に目配せする。
「新規獲得すれば1件につき幾ら、また機種変更だと幾らと、手続き毎に販売手数料がキャリアから当社に入る。その収益で代理店は成り立っているわけだ。手数料の金額はスタッフに伏せている会社もあるが、当社は全てオープンにしている。数字を意識して動いて欲しいからね」
無言で頷く児玉の両肩が、耳の近くまでせり上がっている。社長を前にして緊張しているようだ。
社長が茶封筒から2枚の書類を取り出す。
「これが当社の組織図と、就業条件の誓約書だ。まず、組織図に目を通して下さい」
児玉が受け取った組織図はいたってシンプルなものだった。
「店舗スタッフは現在計4名。私も忙しい時にはヘルプに入る。ちなみに経理も営業も全て私がこなしている。経費を浮かす為にね」
この点については啓子も感心している。社長は行動力と実務能力を兼ね備えた、尊敬できる上司だった。
その御国が悪戯っぽい表情で児玉に問いかける。
「ちなみに、今携帯はどこを使っているの?」
「すみません、シルバーモバイルを使っています。採用いただけたら、レッドさんに乗り換えるつもりです」
気まずい沈黙が室内の時を止めた。
「あはは、今流行ってるからねぇ。別にあやまることはない、入社後も特に強制しないから、どこを使っても構わないよ。勉強さえしてもらえればねぇ」
「実際、他キャリア製を使っている者もいますし、問題ないですよ」話を振られた啓子が、明快に受け応える。
くだけた表情を真顔に戻し、御国が話の締めに入る。
「携帯の販売と聞くと、クリーンで煌びやかなイメージが先行する。だけど、実際には泥臭く厳しい業界だ。次々登場する新サービスを覚えねばならないし、客からのクレームも多い。加えて個人情報を取り扱う業務だから、細心の注意を払って業務に携わる必要がある」
このあたりの話は1次面接で啓子から伝えてある。社長もそれを承知で、2本目の釘を刺しているのだ。
「全て踏まえたうえで、この会社でやっていけそうですか」
「はい、是非お願いします」
両肩にせり上がっていた緊張感は、腹の下に押し込んでいた。
「そのシルバーモバイルが、今我々の“最大のライバル”なんだよね?」
「はい。繁忙期は気を引き締めて臨まないと、前年割れどころでは済まないでしょう」
話を振られた啓子が即席の模範解答を返す。
「じゃあそのためにも、児玉さんに活躍してもらわないとね」
店の前の道路を挟んで向かいにあった弁当屋が潰れ、3大キャリアの一画である『シルバーモバイル』のショップができたのはつい最近のことだ。それ以来、新規契約、機種変更の数がジワリと減少している。思わぬ伏兵の出現に、ライズレイの面々の心中は穏やかではない。
「採用の最後の詰めは二人でするから」と社長に言われ、啓子は店舗へ戻った。カウンターでは、鮫島が男子学生二人を相手に接客をしている。
啓子が目と鼻の先のライバル店を見据えると、その店内のスタッフと偶然目が合った。赤色と銀色の見えざる火花が、道路の中央で激しく衝突した。




