プロローグ
携帯業界で勤務経験のある方は懐かしく読めると思います。過去の携帯業界に興味がある方も、是非お読み下さい☆
《平成19年1月》
細長く幅の狭い、うなぎの寝床のような一室だった。一組の男女がソファーに腰掛けて向き合っている。男女の年の差は一回りほどだろうか。二人とも俯いたまま微動だにしない。
先に沈黙を破ったのは、年下の20代半ばらしき女性だった。
「社長、金額は幾らだったのですか?」
緊張のあまり粘着質になった生唾を嚥下する音が、狭い室内に響く。それをかき消すように、男がワザとらしく咳払いを1、2回。
「彼が先月使った通信費は約102万円。キャリアは我々に全額負担させるつもりだ」
先ほど飲み込んだ生唾が体内で変換されたかのように、女性の見開かれた目蓋から涙がにじみ出る。
「私、全額支払います。だけど今そこまで貯金がないんです。月々のお給料から少しずつ引いて頂ければ……」
社長と呼ばれた男は、泣き濡れる女性に遠慮するように、小窓の隙間から外の景色を眺めた。田舎の幹線道路は片側だけ混雑している。帰宅の途に付く勤め人で賑わう時間帯だった。
男は女性にゆっくりと語りかけた。
「君には1円も払わせない。そして、これまで通り勤めてもらうつもりだ」
男は相手の反応を見ながら頷きかける。
「でも、それじゃあ会社が……」
「心配ない。それぐらいの蓄えはある」
自らに言い聞かせるように唇を噛みしめた。
「新卒でこの会社に入社して約4年、根気良く働いてくれた。ボーナスも毎回寸志程度で、申し訳ないと思っていたんだ」
男は軽く歯軋りしつつ俯いた。
「今後同じようなミスは避けてほしい。ただ俺としては、この会社で働くことが何よりの返済になると考えているよ」
「すみません、本当に申し訳ありませんでした!」
彼女の瞳の上に涙の第2幕が形成されていく。男はうなだれる女性の肩にそっと手を添えると、カーテンで目隠ししてある出口から部屋を出た。
部屋を出ると、約10メートル平米のスペースが眼前に広がっている。その周囲はガラス張りの壁で覆われており、白茶けた床が夕日を照り返して、こんがりとしたオレンジ色に染まっていた。
接客用のパソコン前に、スーツ姿の青年が不安気な面持ちで座っている。座礼を寄越してきた彼に会釈を返すと、ガラス扉の前に立つ。年代物の自動扉が床との摩擦音を奏でながら渋々左右に開く。狭い隙間から室外に出ると、電動式看板のスイッチを入れた。
腰の高さほどの看板は派手な赤色の光を発した。その中央には白抜きで『レッドモバイル』と印字してある。携帯3大キャリアである事を示す看板が、夕日とのツートーンカラーを成して燦然と光り輝いていた。




