第十三話
午後7時を超えてピークの時間帯を過ぎたにも関わらず、いまだに店内には多くの来客者がたむろしていた。その客たちはカウンターで接客を受けているわけではなく、皆ソファーに腰掛けて雑誌を読んだり、退屈そうに商品模型をいじったりしている。
「今、審査中の新規、何件あるの?」
バックヤードで端末の初期設定をしていた啓子が、鳥飼に問いかける。
「これを合わせて5件ですね。しかも全部シルバーからの乗り換えなんですよ。私、こんなの初めてです」
啓子が審査中の新規申込用紙を確認すると、全ての用紙にばらばらの苗字が記されてある。家族ごとの転出ではなく、別々の個人からの申し込みだということだ。
「不備があると時間制限に引っかかるかもしれない。申込用紙は私が再チェックします」
啓子は申込用紙の束をデスクの上できれいに揃えた。
「あと、今日残業ごめん。かなり遅くなるかも」
両手を合わせて謝る啓子に対し、鳥飼がはにかんだ微笑で応じる。再びバックヤードに戻った啓子は、キーボード上でリズミカルに指を躍らせる。
本日の現時刻までに獲得した新規契約は8件。さらに審査中の5件が成約すれば、合計13件の新規契約が獲得できる計算だ。契約件数もさることながら、もっとも異例な点は、うち10件がシルバーモバイルからの転入だという点だ。
最初に啓子が対応した客が「急に通話ができなくなった」と言い、MNPを申し出たとき、はじめは端末側の問題だと思ったのだが、同様の症状を訴える来客者が複数来店し、電波障害が現実味を帯びてきた。
パソコン横に無造作に横たわっていた業務用携帯端末が着信音を奏でる。ストラップをつかんで引っ張り寄せると、着信ボタンを押して耳を傾けた。
「お疲れ様です。久野です」
「ああ、お疲れ様。今日は売場に出られなくてすまない。調子はどう」
ディスプレイを見ずに電話に出たので、御国の声に安堵する。
「今日は乗り換えの調子がすごくいいんですよ。シルバーの電波の調子が悪いみたいで。なにか聞いていないですか?」
問いかける啓子に対し、意味ありげな沈黙を挟んだ御国が応える。
「本当にそれが原因なのかい。転入が多くなったのは」
「今のところは、ですね。受け付けたスタッフが口々に言っていますから。キャリアから公式の発表があったわけではないから、社長が知っているかなと思って」
尋ねた啓子の耳に車の走行音が聞えてきた。社長は車内でハンズフリー通話をしているようだ。
「今から早急に店に向かう。大体2、30分で着くから。裏処理大変だろう?」
「私、お昼食べてないんですよ~。それに、まだ審査中が5件ぐらいあるから、そっちが上がるかも心配です」
啓子は首を傾げた状態で話しつつ、手のスピードは緩めなかった。
「着いたら裏処理すぐ交代するから。じゃあ切るよ」
今までも一時的に電波状況が悪くなったことはある。しかし、ユーザーの転出を招くほど長期に渡るケースは過去になかったのではないか。啓子は目前の仕事に忙殺されながらも、頭の端で電波障害のことを考えていた――。
――全ての来客者を捌き終えた頃、御国が戻ってきた。
「遅れてごめん。車がけっこう混んでいて、なかなか進まなかった」
社長は乱れた頭髪を片手で整えながら、土産の肉まんを啓子に差し出す。
「で、何台出た?」
「今日は新規12件です。1台時間制限に引っかかったけれど、それは明日、朝一FAXします」
啓子は肉まんに喜びを表しつつ、心なしか得々と答える。
「いや~、大漁大漁! レッドプラン様々ですね」
店内のゴミ拾いをしていた的野が大口を開けて笑う。
「明日以降はその家族の連鎖獲得を見込めるな。念のため、在庫を多めに発注しておこう。キャリアには俺から状況を説明しておくよ」
興奮気味の御国の言に、肉まんを頬張った啓子がうなずく。
「そういえば、肉マンってニンニク入ってなかったっけ」
的野がいやらしい横目で啓子を眇める。
「確かにニンニクは2日残るというけど、大丈夫! 姫は空腹なのじゃ。いちゃもんをつけるでない」
御国が袋から取り出したホカホカの肉まんを差し出す。的野は「へへ~」と言いつつ恭しくそれを受け取った。




