第十一話
新製品発表会と合わせて代理店への戦略周知が終わり、レッドモバイルの社長である沖田は、やきもきした気持ちで社長室に座っていた。繁忙期の間中こんな浮ついた気分が続くのかと思うと、先が思いやられる。
冷めたコーヒーにチビリと口をつけると、内線が鳴った。
「社長、シルバーが動きました。そちらへ向かいますのでサイトの確認をお願いします」
受話器越しにサービス企画課井上の興奮気味の声が聞えてくる。沖田は受話器を置くと、秘書にカフェオレを2つ頼んだ。
「ご覧のとおり、買収したPHSで対抗してきました」
井上が勢い良く社長室に乗り込んでくる。非礼だが、沖田もいちいち咎めない。
「早いよ。まだ開き中だ」
答えた沖田はマウスを操作中だった。レッドモバイルのホームページにアクセスすると、件の新サービスの詳細を確認する。サービス名〈コンビプラン〉と表示されていた。
サービスの内容はこうだ。
【PHSを月額980円で持てて、さらにシルバーモバイルとPHS間の国内通話が24時間無料となる】
「そうきたか。やはり一筋縄ではいかんようだな」
椅子の背にもたれかかった沖田が苦々しげに歯ぎしりする。
沖田の脳裏に佐田松の顔が一瞬浮かんでは消えた。この対抗策を考案したのは、あの古狸だろうと察したからだ。
「レッドに乗り換えられるぐらいなら、子飼いのPHSの純増を手助けしようという魂胆です。サービス対抗に便乗して一石二鳥を狙うらしいやり口です」
自身の解釈を述べた井上が、秘書が運んできたカフェオレに口をつける。味を楽しむというより、単なる水分補給のためだろう。
「2台持ちだと解約抑止にも繋がると踏んでいるのだろう」
沖田の鋭い分析に井上が頷く。解約時に2台分の契約解除料が掛かるのは痛いはずだ。
「これだけの対抗施策を24時間足らずで実行に移すとは。相変わらずスピーディーで抜け目がない」沖田が口元を歪めてうつむいた。即断即決で、他社に主導権を与えないというスタンスは、敵ながらあっぱれである。
「ピッチの独立性は極めて希薄なものとなりつつあります。今後はシルバー内の一ブランドという形で存続していくでしょう」
井上の言う通り、〈コンビプラン〉の登場でその流れはより顕著になるだろう。
沖田はPHSのホームページを確認しつつ井上に問いかける。
「カイザーの動きはどうだ」
「ないですね。同社間通話無料、という言葉は彼らの辞書に記載がないようです」
井上が簡潔に答える。
他のサービスに対してはチョコチョコ追随してくるカイザーモバイルだったが、同社間通話無料に対しては頑として不動を貫いている。
「シェア5割を維持している間は動くつもりがないでしょう。しかし、今回は少しばかり痛い目にあわせたいですね。MNP開始時のように」
「殿様商売がいつまでも続くと思うなよ。一泡吹かせてやろう」
二人の意識はカイザー狩りに向いており、それを共有していることを確認すると、話を切り上げた。
***
レッドモバイル戸園店では、繁忙期に向けて売り場作りが行われていた。新商品のモックが届き、鳥飼がそれを丁寧に什器にセットしている。
「前々から思っていたけど、どんな機種でも一目見ただけでレッドの端末だってわかるから不思議よねぇ」
鳥飼のつぶやきに児玉が反応する。
「レッドは少し玩具っぽいけど、可愛いから好きですよぉ。カイザーの携帯は大人っぽくて偉そうな感じがします」
それと合わせて「シルバーは安っぽい外観の割に高機能」という評価が一般的なのだ。
来客者がいないカウンターでは、児玉がカラフルな手書きのポップを描いている。それを見た鳥飼が手を止めて声をかける。
「ふ~ん、上手ね。普段から描いているの?」
「あたし漫画とかアニメとか好きなんですよぉ。前の店でもPOP作りしていたから、こういう仕事はお任せください」
児玉が嬉しそうにマジックで宙をなぞった。
突然バックヤードから的野が売り場へ飛び出してきた。その背中から、太鼓を叩くような鈍い音が断続的に聞えてくる。
「痛たたたっ。暴力反対、背骨が折れるっ」
的野の悲鳴が背中に伝わる振動で痛々しくエコーする。
「こんな漫画みたいなキスマーク初めて見た。ほんっとありえない」
叩き疲れた啓子は呆れ果てていた。
事の発端は、的野が首筋に赤いアザを付けて出社してきたことだった。出会い系サイトをエンジョイした経緯が発覚し、怒り心頭の啓子が折檻を食らわしたのだ。
「そんな非常識な行動をとっていると、いつまでも給料上がらないわよ」
鳥飼が的野を軽蔑の眼差しで突き刺す。
「う~ん、それは困るな。エンゲル係数が高くて経済が破綻しそうだから、店長になってボーナスをたんまりゲットしたい」
ウェットティッシュで首筋をなぞるが、濃厚なキスマークは中々消えない。
「エンゲル係数って、大体食費にいくら使ってるの?」
新製品のモックを磨きながら、鳥飼が問いかける。
「月6万くらいかなぁ……。プラス洋服3万。交際費が4万円。んで、給料が手取り12万だから、親に借りるしかなくなる」
指を折りながら数えていた的野が、悲しげな面持ちになる。
「何じゃそりゃ。携帯代も払えないじゃない」
突っ込みどころ満載の的野の金銭感覚に、周囲は呆れ果てた様子だ。
「まずはいかがわしい交際費を事業仕分けして削ることね」
言い捨てた鳥飼は店作りの作業に戻った。
「そう言えば、児玉さん彼氏はいるの」
唐突に啓子が聞く。
「いないから募集中です。だけど、この店で社内恋愛なんてありえませぇん」
周囲とも打ち解け、気兼ねなく話すようになった児玉が断言した。
「ふ~んだ。そんなこという奴はこうだ」
ふてくされた的野が、児玉が愛用している円座のクッションを頭にかぶって挑発する。円座の中央から的野の長髪が飛び出し、奇天烈な外観になっていた。
「ちょっと~、やめてくださいよ。それ、探してたんですよぉ」
児玉が立ち上がって的野の頭に手を伸ばす。それをひらりとかわした的野は、回転しつつ児玉の周囲にまとわりつく。
「名付けて“シャンプーハット星人”。そう簡単に、地球人につかまるわけにはいかんな」
「子供じみた悪戯はやめなさい。児玉さんは痔持ちなんだから、それが必要なのよ」
余計な一言を添えた啓子を、児玉が横目で睨む。
「お尻の手術は痛いんですよぉ。だから、恥ずかしいとか言ってられませんけどね」
的野から円座をひったくりながら児玉が言う。
「そんな事より、これを見てくださぁい。決定的瞬間の撮影に成功しました」
一転して活気付いた児玉が、携帯のディスプレイを皆にひけらかす。見るとそこには、鮫島が腰に手を当てて瓶牛乳をラッパ飲みしている姿が映し出されていた。背景には市街地の遠景がのぞいている。
「これは傑作だっ! だけど、鮫島さんのキャラを知っている俺らにしか、価値がわからないよな」
「一番の味噌はこのツンと立てた小指でぇす。鮫島さんがいずれオネエへの道を爆走する予兆でしょうか。とても心配ですぅ」
児玉の指摘に写真を確認した的野が爆笑する。
「休日返上でストーキングした甲斐がありましたぁ。お陰でおいしい画が撮れましたよ」
「んな妙なことする暇があったら、とっとと彼氏を作れよ。この写真はナイスショットと言わざるをえないけどな」
にやついた児玉と的野が笑いあう。
場に漂った弛緩した空気を引き締めるべく、啓子が的野に命令する。
「とりあえず今日1日、あなたはバックヤードに籠もってなさい。ちょうど破棄が必要な書類が溜まっているから、シュレッダーよろしく」
「ええええっ! アウトドア派の俺にはあまりにもきつい仕打ち。今から100均でネックウォーマーを買ってくるから許して」
「ネックウォーマーを巻いた携帯ショップの店員なんているかっ! 出入り禁止にしないだけありがたく思いなさい」
的野が啓子にバックヤードへ押し込まれると、他のスタッフから拍手で見送られた。




