第十話
カウンターには先ほど来店した親子が陣取り、結局啓子が対応している。3月最初の客なので、確実に獲得しようと決めたのだ。
「通信費は毎月4500円を上限に設定できますが、いかがでしょうか」
「ああ、その通信費の定額は要らないです。というか、ネットは使えないようにして下さい」
隣に座る娘が、目を見開いて抗議の意を示す。
「ちょっとちょっと、何でなの! 酷いじゃん」
「なんでもクソも無い。毎月5000円近くも通信費に使うなんて贅沢だ。お父さんが学生の頃なんて、一月の小遣い500円だったぞ。公立の高校に行くまで我慢しなさい」
高校の前にわざわざ「公立の」と付ける父親は抜け目がない。目前の啓子はお構いなしに親子喧嘩が続く。
「だって、皆使ってるよ。うちだけ使えんかったら恥ずかしいやん」
「大体、何でわざわざ携帯の小っさい画面でネットをする必要があるの? 家のパソコンでしなさい」
携帯デビュー前に立ちふさがる父親に、娘も四苦八苦だ。噛み合わない二人に、温厚そうな母親が助け船を出す。
「だったら、機種を1円で買えるものにして、その分通信費を使えるようにしたらどうかしら」
それを聞いた父娘が揃って渋顔になる。
「ええ~、このピンクの前から狙ってたのにぃ……」
母親の台詞に便乗して、接客中の啓子が提案をする。
「こちら当店のみの特価なのですが、分割金なしの1円でお出しできます。同じスライド型でお色もピンクです。いかがでしょうか」
娘と父の間に差し出された商品見本に、家族3人が注目する。
「う。これ可愛いかも」
彼女の本命は機種代金約3万円するが、こちらは1円だ。しかし、カメラの画素数をはじめスペックは落ちる。
「画素数が少し落ちますが、それでも300万画素はあります。写真を携帯電話本体で見る分には充分な性能です」
「それでも毎月5000円かかる方が高い」
「レッド学割に加入いただければ、1年間は2000円引きでご利用いただけます」
難色を見せる父親に、啓子がさらなる提案をかぶせた。
「う~ん。どうする?」
父親が妻に問いかける。
「私、これにする」
娘が父に先ほどのモックを差し出す。強面の父親が降参顔になり、渋々頷いた。
「じゃあ、その学割でお願いします」
「いやった~!」という嬌声と共に、娘が母とハイタッチを交わす。
「通話料はきちんと抑えなさいよ。話し過ぎたら、小遣いカットしちゃうわよ」
母が父を立てるように、やんわりと注意する。
やっとこ成約という運びになりそうだが、ここまでですでに20分近く浪費している。今後の説明も遅々として進まないだろう。
「家族連れは時間がかかるわ……」
バックヤードに端末を取りにきた啓子が鮫島に愚痴る。
「しかし、店長が口火を切ってこそ、皆のやる気も盛り上がります」
鮫島にしてはおどけた口調で啓子を焚き付けた。
注文された端末を持って売場に戻ると、多数の来客で皆が対応に追われていた。バックヤードの鮫島も売り場に飛び出てくる。
活況を呈する店内を見るとやる気が込み上げて来る。今日は社長に良い報告ができるだろう。啓子は親子連れの前に戻ると接客を再開した。
***
「店長、念のために書類のチェックをお願いします」
「了解よ。本確のコピーは?」
接客中の啓子の隣の席で、児玉が新規契約を受けつけていた。それとなく聞き耳を立てていたのだが、特に不自然な点は無い。
「家族割の住所は確認しました?」
保険証と住民票のコピーを持って来た児玉が相槌を打つ。
「じゃあFAXするだけね。後は審査に時間がかかることを伝えてください」
いそいそと動き出した児玉を背に、啓子もレッドプランの加入手続きを終える。
登録待ちの客がいったん店を離れたところで、児玉が啓子に問いかける。
「ところで前から思ってたんですが、この賞状はいったい何ですか」
児玉が頭上の壁に飾られている賞状を指差す。
「これは《プロフェッショナルスタッフ》と言って、キャリアが主催する社内資格の合格賞状よ。児玉さんにも受けてもらうから、頑張って勉強してね」
「試験って、どんな問題が出るんですか?」
「総合カタログの内容が主だけど、他社の問題も出る。しっかり勉強しないと受からないよ」
明確な他社比較をできるスタッフを育成することが、キャリアの狙いだ。知識さえあれば、他キャリアの弱点をピンポイントで突けることがある。
「しかもこれに受かると、なんと手当てが月1万5千円もついてくるのよっ。頑張ってね」
「これは凄いです! 俄然やる気になりますぅ」
両拳を握った児玉が太めの体を振るわせる。賞賛の眼差しで再度頭上を仰ぎ見ると、3人分しかないことに気が付いた。
「的野さんは受かってないんですか」
「彼、総得点は足りていたけど、カイザーが駄目で足切りになっちゃったの。さすがに少し気の毒だったわ」
たとえ総得点が足りていても、分野ごとの点数が一定に達していないと不合格になってしまうのだ。特に他社の問題は鬼門である。
「あいつにとって資格手当は死活問題ですからね。次は死に物狂いで取りにくるでしょう」
鮫島も啓子の意見に同感のようだ。
「僕も前回はギリギリだったから、次回は早めに勉強しようかな……」
ブツブツとぼやきながら、鮫島は定位置のバックヤードに戻っていく。
一度受かっても年一の更新試験に受からなければ資格が剥奪される。携帯電話のアップデートのように、脳内の情報を更新し続ける必要があるのだ。
その時、書類の束と固定電話の子機を持った鮫島が売り場に駆け込んできた。
「児玉さん受付の方、審査で引っ掛かりました。お客様名義のカイザーモバイル携帯で未納が見つかったようです」
鮫島の報告に児玉が肩を落とす。
「電話でお伝えしてきますぅ……」
鮫島が電話の子機を手渡す。
「こればかりはしょうがない。また次があるわよ」
啓子の励ましに対して、微苦笑を浮かべた児玉がバックヤードへ移動する。
「児玉さんはいけますよ。接客も座学も筋がいい」
辛口の鮫島がめずらしく太鼓判を押す。
「長く続けてくれればいいけどね……」
啓子が冷ややかに答える。
携帯販売は好き嫌いが分かれる仕事だ。児玉も覚えたての今ぐらいが1番楽しい時期かもしれない。だが、勤続期間1年ほどで辞めるスタッフが多く、長期就業者が少ないのが現状だ。深刻なクレームを一度受けただけで辞めていくスタッフもいる。
この仕事は“合う者”にとっては、奥が深くやりがいのある仕事なのだ。啓子はもちろんフィットしているし、天職に近いとの実感がある。その感覚をスタッフとも共有したかった。
啓子は売場へ出ると、児玉を昼食に誘った。




