第九話
《3月》
3月1日の朝9時20分。レッドモバイル戸園店で、恒例の朝礼が始まろうとしている。的野を含めた全員が集合しており、寝ぼけ眼の者もいない。
「皆さん、おはようございます」
啓子の挨拶に対して、皆が背筋を伸ばして復唱する。
「本日より、年間でもっとも来客が多い3月に突入します。お客様にはしっかりと案内して、新規、機種変更の成約に結び付けましょう。また、1日に2台以上の同時契約で、こちらの携帯ゲーム機を進呈します」
ゲーム機の箱を持ってスタッフに周知する。連鎖獲得には持って来いのネタである。
「いいなあ。俺も携帯買おっかな」
的野が戯言を抜かすと、啓子が横目で睨みすえる。
「今月から売価、施策等変更点が多いので、きちんと把握してください。先ほど送ったメールに、目標台数等の詳細が載っています。これから忙しくなるので、誤案内がないよう各自確認を徹底してください」
的野以外のスタッフは、緊張感が2割増しになっているようだ。よけいな台詞や仕草は一切なしで、啓子の話に聞き入っている。スタッフたちの無言の連帯感に満足感を覚えた啓子が話を紡ぐ。
「児玉さんは、新規、機種変更、プラン変更、料金収納は受付できます。できる仕事はどんどん振って、経験を積ませてください」
児玉は充分に計算できる戦力となっていた。案内のスピードがやや遅いが、その分確実性を重視する性格のようだ。
「早いですよね。まだ入って一月足らずでしょう」
鮫島が児玉の成長を讃える。
「分からないところもまだまだあるので、フォローをお願いしますぅ」
児玉が照れ隠しの台詞をこぼす。
「では接客の体制を整えましょう。本日も1日宜しくお願いします」
朝礼を終えて皆が所定の位置につく。啓子もバックヤードのパソコン前に腰掛け、今月の販売目標を見直した。
携帯デビューを迎える学生客が多い3、4月は、MNP以外で純新規獲得を見込める最重要期となっている。また、当然2年契約の更新月を迎える者も多く、他社利用者の乗り換えも見込める。
テレビでは、学割を中心とした携帯各社のCMがひっきりなしに流れている。画面上では、有名俳優が若者の関心を引くために、歌に踊りに大忙しだ。
「店チョ~。『激オチ君』がいらっしゃいました」
カーテンの合間から唇を出した的野が報告する。ふざけた態度に眉をひそめながらも、啓子は表に出る。
「店長、おはようございます。早すぎましたかねぇ」
まぶしい朝日を後光に現れたのは、レッドモバイル九州支社の営業、大久保だ。『激オチ君』とは的野が付けたあだ名で、太く吊り上がった眉毛と力強い目元が某メラミンスポンジのパッケージにそっくりだからである。顔と体のパーツはほぼ四角形で、あだ名は特徴をとらえていた。
啓子は挨拶を返しつつ、散らかったバックヤードを急いで片付けようとした。
「ああ、いいですよ。そのままで」
大久保が狭い出入り口からバックヤードへ寸胴をねじ込む。ソファーにドッカと腰を下ろすと、先回りした児玉が缶コーヒーを差し出した。
「おおっ、児玉ちゃん。仕事が早いねぇ」
「すみません。缶コーヒーなんですけどぉ、許してください」
「うふふ」と、くだけた笑みを浮かべた児玉が退散する。支店の研修で面識があったようだ。
「今日は支店も1時間早く開きました。朝礼終わって、車をすっ飛ばして来ました」
大久保は複数の店舗を担当している身だが、その中でも戸園店は数字を見込める方だ。支店詣の初っ端に乗り込んできたのは、期待の表れである。
「新規目標300台ですか。ぶち上げましたね」
大久保が手にした書類には、啓子が提出した今月の目標値が記されてある。通常100台前後のぺースなので、2倍以上の実績が必要だ。
「250必達と考えています。在庫もたくさん用意してもらったから、これぐらいはやらないと」
啓子が販売用の端末が並んでいる棚を指し示す。
「繁忙期は元々専門店の比重が増す時期です。子供に初めて携帯を持たせようとする親が、腰を据えて説明を聞きたいという表われでしょう」
常にバーゲンセールのような家電量販店では、叩き売りされてしまうという懸念があるかもしれない。
「新規1円機種、継続いただきありがとうございます。弾はあるだけ用意しますんで、バンバン売ってください!」
1括1円機種はキャリアの利益になりにくいので縮小する方針となったが、繁忙期も重なったこともあり、代理店の裁量で継続する運びになった。
ただし、定価から値引きしているので、当然その負担は代理店にかかる。そうまでして新規契約にこだわるのは、その後のアフターケア、例えば機種変更やプランの変更で戻りがあると踏んでのことである。契約住所が店舗と近い客に〔地元割〕という特典をつける案が検討されたこともある。
また、印象点を稼ぐという名目もある。結局キャリアは新規契約を取れる店舗を重視する。現在進行中の代理店生き残り戦争において、優位性を保つには背に腹を変えられないのだ。
「1円機種は台数限定で用意します。今年は手ごわい競争相手もいますから、負けられません」
売り場へ歩を進めていた二人の目が、自然とライバル店のレッドモバイルショップへ向く。その店内は多数の来客で賑わっていた。
「シルバー何とかなんて、ド~ンとぶっ飛ばしちゃってください」
大久保が競合店へバズーカ砲を打つ仕草をすると、側で見ていた的野が笑いながら両手を叩く。
「おや、的野君。まだ社員になってないの?」
「そうなんですよ! ちょっと、言ってやってくださいよ」
指さされた啓子が、腕を腰に当てて反論する。
「繁忙期に活躍してくれたら、社長に言ってあげてもいいわよ。そうね、一人で新規100台くらいは売ってくれないとね」
「それぁあないよ。あんまりだ」
店内にスタッフたちの笑顔が弾ける。大久保は二本指で敬礼しつつ去っていった。
その入れ替わりで、車が1台駐車場に乗り付けた。中からは、セーラー服姿の女子学生と両親らしき人物が降り立ち、店舗へ向かってくる。
「お、1発目か」
無駄口叩く的野に対して、啓子がゲーム機の箱を指し示して接客を煽る。連鎖獲得の格好の的であり、スタートダッシュのチャンス到来だ。スタッフ全員が背を伸ばし、完璧な先言後礼で来客者を出迎えた。




