↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
お飾り聖女は、三行で消えるはずの花嫁でした ~生贄として嫁いだ氷の辺境伯は、前世の最推しです~  作者: 真白のあ
第六章 峠

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
71/110

第58話 「返済の欄は、ございません」



 峠を発つ前に、眼鏡の男が坂を下りてくる。


 北の城の家令。昨日、数で軍団長を黙らせた男だ。雪の上を帳簿をつけるときと同じ歩幅で、パヴェルのところへ来る。


「パヴェル殿」


 殿、と呼ばれたのは、生まれて初めてだった。


「閣下から、お預かりしたものがございます」


 差し出されたのは、折りたたまれた一枚の紙。端に、侯爵家の赤い封蝋が半分に割れて残っている。見覚えがある。三年前、村の広場で、父の代わりに自分が名前の横に指の跡を押した紙だ。


「貴殿の、年季証文です」


 眼鏡の男は言った。


「三年前の秋、貴殿の村は帝国の年貢を納めきれなかった。不足分の銀貨十八枚を侯爵家が立て替えた。その代わりに、貴殿が侯爵家に入った。立て替えた銀貨を返し終えるまで、という約束で」

「……はい」

「三年、像を担がれて、何枚、減りましたか」


 パヴェルは、答えられなかった。一枚も減っていない。利息というものがあって毎年増えていくのだと、侯爵さまに言われている。


「侯爵の天幕の文箱に、従者たちの証文が束になって入っておりました。人を連れ歩くときは、証文も連れ歩く方だったようです」


 眼鏡の奥の目が冷たくなる。


「侯爵の荷は、昨夜から軍団長殿が預かっておられます。その軍団長殿から、貴殿の一枚を買い戻しました。銀貨十八枚。侯爵家へ確かに届けるそうです。利息の分は払わずともよい、と」


 眼鏡の男は、指で眼鏡を押し上げる。


「貴殿は、もう、侯爵家のものではない。誰のものでも、ございません」


 手の中の紙が、急に重くなった気がした。像のほうが重かった。三年、毎朝担いだ。なのに、この一枚の紙のほうが腕にずしりと来た。


「北の城は、鉱山が枯れたって」

「はい」

「金なんか、ないはずだ」

「閣下ご自身の、今年の取り分から出ております」


 眼鏡の男は、それを、塩の値段でも言うみたいに言った。


「閣下は、こうおっしゃいました。『名乗った者を、売られたままにしておくな』と」


 握った紙の端が、指の下でしわになる。


 三年前、村は彼を出した。出さなければ焼く、と言われたからだ。誰も彼を買い戻しには来なかった。来られるはずもない。そういうものなのだ、と。


 ろくに口をきいたこともない男が、自分の一年分の取り分で、彼を買い戻した。


「俺は、何を、返せば」


 声が、かすれた。眼鏡の男は、首を振る。


「何も。私の帳簿に、返済の欄はございません。……閣下が、作らせてくださらないのです」


 そう言って、眼鏡の男は軽く頭を下げた。従者だった若者に。そして、来たときと同じ歩幅で、坂を上っていく。


 パヴェルは、紙を両手で包んだ。あの坑道で、丸い石を包んだときと同じように。


 あたたかかった。紙が、あたたかいはずはないのに。


    *


 東へ下る道で、パヴェルは一度も振り返らなかった。


 背中に像の重さがない。三年、毎朝担いだものが峠の雪の上に残った。肩は軽い。軽いのに歩きにくい。あの重さで釣り合いを取っていた体だ。


 軍団長が、馬を寄せてくる。


「お前、侯爵家には戻れんぞ」

「はい。もう、戻らなくていいそうです」


 軍団長の目が、パヴェルの懐の折りたたんだ紙のふくらみを見る。それから、何も訊かずに前を向く。


「行くあては」

「ありません」


 軍団長は黙ったまま、馬を十歩ほど歩かせてから、前を向いたまま言った。


「帝都の離宮で、下働きを探している。暖炉に火を入れる係だ。侯爵も、皇帝の裁きが済むまで、そこに置かれる」

「侯爵さまと、同じ屋根の下ですか」

「嫌なら、断れ」


 パヴェルは、少し考える。


「いえ。行きます。薪を持っていく人間が、要ると思います。……今度は、自分で決めて、行きます」


 軍団長は、腹の底から笑った。


「氷竜の妻に、あてられたな」

「妻では、ないそうです。まだ」


 ミハルが隣を歩いている。左腕は、今日も伸びない。


「兄貴は、何て言うかな」

「何が」

「お前が、金の指を雪に置いてきたこと」

「怒るだろ」

「怒らねえよ」


 ミハルは前を向いたまま言う。


「兄貴は、像を支えたんだ。倒れかけた像を両手で。倒れるものを支えただけだ。そういう人だった。お前が置いてきたのは、木だ」


 パヴェルは、峠の光のことを、誰にも言わなかった。


 あの光は、あの娘の髪を通っていた。夜明け前の空の色の髪を、光が通り抜けていく。金の像は光を返すだけ。あの髪は通した。それだけの違いが、なぜあれほど違って見えたのか、彼には分からない。分からないから、言わなかった。


 パヴェルは、自分の右の手のひらを見る。あの部屋で一瞬、白く光ったもの。光ったのは石だったのか手のひらだったのか、今もわからない。ただ、松明を置かなければ見えないものがあることだけは、わかった。


「ミハル。帝都に着いたら、お前は村へ帰れ。結婚するんだろ」

「お前は」

「俺は、薪を運ぶ」


 峠のほうから、鳥が二羽、飛んでくる。灰茶色の丸い鳥。北の城の厨房の窓で、あの娘が麦をやっていた鳥だ。追いかけてくるはずがない。この道には、麦を置く窓がない。


 それでも彼は、その二羽が東の空の高いところでひとまわりして北へ戻っていくまで、ずっと見ていた。


――――


読んでくださって、ありがとうございます。


「何も。私の帳簿に、返済の欄はございません」


次回、峠から戻った城で、ある噂が広まっています。


ブックマーク・☆での応援も、お待ちしています。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。