↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
お飾り聖女は、三行で消えるはずの花嫁でした ~生贄として嫁いだ氷の辺境伯は、前世の最推しです~  作者: 真白のあ
終章 我は、汝の隣に、坐す

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
108/111

番外編4 家令は、椅子に座らない



◆ ギルバート


 執務室の暖炉の前には、椅子が二脚ある。


 暖炉にいちばん近いほうは、奥様の席だ。毎晩、スープが冷めるまでそこに座っておられる。冷めてからも座っておられる。閣下がそう決めたので、問題はない。


 もう一脚は、私の席ということになっている。


 ことになっている、と書くのは、私が座ったことがないからだ。


 置かれてから、三百十日になる。帳簿の余白に、毎晩、正の字を足している。誰に頼まれたわけでもない。


 座らない理由は簡単だ。


 家令は、主の後ろに立つ。座れば、後ろが空く。空いた後ろに何が来るかはわからない。刺客かもしれないし、すきま風かもしれない。どちらも私の仕事の範囲だ。


 この理屈を、私は三度説明した。


 一度目は奥様に。奥様は「はい」とおっしゃって、翌日、私の椅子に膝掛けを載せた。灰色の、厚手のやつだ。


 私は膝掛けを四つに畳んで、椅子の背に掛けた。座る理由にはならない。


 二度目はマルタさんに。マルタさんは黙って、私の椅子の座面に湯気の立つ椀を置いた。


「座らないなら、それは棚だよ」


 私は椀を取り上げて、立ったまま飲んだ。大麦と蕪。塩は、いつもより多かった。


 三度目は閣下に。


「座れ」

「業務上、立っております」

「命令だ」

「その命令は、帳簿のどの欄に記入いたしましょう」


 閣下は、しばらく私を見ていた。それから書類に目を戻した。


「……好きにしろ」


 勝った。勝ったはずなのに、その夜の正の字は、いつもより筆圧が強かった。


 四日目。私の椅子に、グラウが座っていた。


 前足を揃え、背筋を伸ばして、暖炉の火を見ている。私よりずっと家令らしい座り方だった。


「……記録します。グラウ、着席」


 グラウがこちらを見た。ふん、と鼻を鳴らした。


◆ セラ


 グラウが椅子を取ってから、三日がたった。


 ギルバートさまはその三日、グラウの後ろに立っている。閣下の後ろではなく。


(立ち位置が、ずれています。……ずれていますけど、ご本人は気づいていません)


 閣下は気づいている。書類の向こうから、ときどきグラウとギルバートさまを見比べて、何も言わない。口の端だけが、毎回わずかに動く。


 私も、作戦を立てた。


「ギルバートさま。この椅子、脚がぐらつく気がするんです。確かめていただけますか」


 ギルバートさまはグラウを抱き上げて床に下ろし、椅子の座面を両手で押した。右、左、前、後ろ。それから脚を一本ずつ握って揺すった。


「ぐらつきは、ございません」

「座ってみないと、わからないかもしれません」

「押して、わかりました」


 グラウが、すぐに椅子へ戻った。


(作戦、失敗です。……グラウ、それは味方の動きではありません)


 五日目の夜、手紙が届いた。


 帝都からだった。封蝋は帝国の紫。差出人の欄に名前はない。角ばった字で「峠の、勘定の男より」とだけ書いてある。


 閣下が封を切って、二枚目をめくって、眉を寄せた。


「……長い」


 手紙が、ギルバートさまのほうへ差し出される。


「読め。……座って読め」


 ギルバートさまは、手紙を受け取ったまま動かなかった。


 グラウが、椅子から下りた。


 誰にも言われていないのに。のそのそと私の足もとまで来て、伏せる。椅子が空いた。


 ギルバートさまは、空いた椅子を見た。眼鏡を押し上げかけて、手を止めた。


 それから、座った。


 椅子が、きしりと鳴った。三百十七日目に、初めて。


(……ギルバートさまが、座りました)


 声に出しそうになって、スープの椀で口を隠した。


 ギルバートさまは背筋を伸ばしたまま、手紙を読み上げた。


「北の辺境伯殿。帝都は冬が早い。皇帝陛下は、この冬を越せないかもしれないと医者が言っている。医者がそう言うのを、俺は初めて聞いた」


「ひと月前、東から使節が来た。砂の国だそうだ。帝都の広場の金の像を見て、笑いもせず、拝みもせず、像の足もとの石を手で撫でていた」


「その使節が、帝都じゅうで訊いて回っている。北の峠で、兵が兜を脱いだというのは本当か。名前を忘れない神とやらは、どこにいるのか」


「俺は、知らんと言った。嘘ではない。俺はまだ、その神の名を知らん」


 ギルバートさまの声が、そこで止まった。眼鏡の奥で、目が手紙の上を二度、行き来した。


「……追伸。麦の穂亭では、雨の日になると、まだ峠の話をしている。雪で通れなかったことになっている峠の話だ」


「追伸の二。同封のものは、使節が帰りぎわに置いていった。北に渡せ、と」


 封筒の底から、銀貨が一枚、机の上に転がり出た。


 見たことのない銀貨だった。帝国の銀貨より薄くて、縁がわずかに欠けている。表に、男の横顔。


 男は、冠をかぶっていない。


 冠は、男の手の中にあった。胸の前に、持っている。


 閣下が銀貨をつまんで、燭台の火にかざした。指の先で、縁の欠けたところをなぞる。


「……冠を、手に持っている」


 低い声だった。


 鉱山の奥の、低い戸口を思い出していた。あそこは、冠をかぶったままではくぐれない。


 ギルバートさまが手紙を畳んだ。


「閣下。返書は」

「明日だ」

「では、今夜のうちに下書きを」

「明日だ」


 閣下は銀貨を机に置いて、立ち上がった。暖炉の前まで来る。


 そして、ギルバートさまの椅子の後ろに立った。


 ギルバートさまの背中が、ぴんと固まった。


「……閣下。そこは」

「何だ」

「私の、立つ場所でございます」

「今夜は、私が立つ」


(主従が、逆です。……解釈が、追いつきません)


 ギルバートさまは何か言いかけて、閉じた。眼鏡を外して、拭いた。かけ直して、暖炉の火を見た。


 閣下は、そこに立っていた。


 薪が、ぱちん、と鳴った。


 ギルバートさまは、手紙を読み終えても、立たなかった。


――――


読んでくださって、ありがとうございます。


「読め。……座って読め」


ブックマーク・☆での応援も、お待ちしています。


――――


読んでくださって、ありがとうございます。


「読め。……座って読め」


ブックマーク・☆での応援も、お待ちしています。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。