第7話 仮面の下の哄笑
* * *
人影は、フェンスに背を凭せたまま端末を耳に当て直した。
先ほどまで三人の様子を窺っていたが、気取られる前に退いている。
「……危険すぎる」
そう呟いた口元が、わずかに緩んでいるのを自覚した。
あの淡い金色の光を見た瞬間、放っておけないと思った。
そして同時に、面白い、とも感じていた。
任務を忘れてそんな思考を抱く自分自身が、一番まずい。
そう分かっていながら、笑みを消せずにいる。
「――封印が、緩んでいます」
通話口の向こうの反応を待つ。
「例の声紋は」
「記録されていません。聞いたこともない声紋です。本部のデータベースにも、まだどこにも」
「……ありえるのか、そんなことが」
問いは、宙に浮いたまま消えた。
あれほどの力を持ちながら、未登録の素質者だという事実が、人影自身にも信じ難かった。
「追跡を続けろ」
それだけを告げて、通話が切れた。
人影は端末をしまい、錆びたフェンスの先へ目をやる。
夕暮れに沈むキャンパスが、遠くに見えた。
街灯が一つ、ポツリと灯る。
「未登録の声紋の力……やはり興味深いですねぇ」
「誰だ!」
人影は鋭く振り返った。
そこにいたのは、顔の半分を覆う仮面と、翻る黒いマント。
クラヴィスだった。
「貴方も今、笑みを零したではありませんか……?」
姿を隠すために、この一帯には隠蔽の封印空間を張っていたはずだ。
一体どうやって侵入したというのか。
周囲を見回しても、他に人影はない。
視線を戻すと、仮面の奥から端正な顔立ちがぬるりと滲み出ていた。
クラヴィスはニタリと笑う。
人影は息を呑み、思わず一歩後退した。
「話は聞かせていただきました。その鍵、私のコレクションに加えたくなりますねぇ……」
「盗み聞きとは、悪趣味な男だな……!」
人影は自身の鍵を紡ぎ出し、即座に間合いを測る。
その鍵を見て、クラヴィスは何かに気付いたようだった。
「おや、あなたは封印派の方でしたか? 異形も扉も、すべて閉じ込めることを正義とお考えの?まぁ、私は組織の陰謀とか、そういったものには一切興味がないのですよ。……ですが、今、興味があるとすれば」
笑みが、さらに深くなる。
「貴方の、その独特な声。くらいでしょうか?」
人影は声紋鍵を構え直し、地を蹴った。
踏み込みは速く、鋭い。これまで幾つもの異形を屠ってきた動きだった。
――届く。そう確信した刹那。
クラヴィスは、動かなかった。
避けるでも、防ぐでもない。ただそこに立ったまま、笑みを崩さない。
振り下ろした切っ先が、その影に触れる――はずだった。
だが、感触がなかった。
まるで最初から、そこに何もなかったかのように。
気づいたときには、視界が反転していた。
抗う間も、声を上げる間もない。痛みすら、追いついてこなかった。
クラヴィスの影が、人影の影を包み込むように重なる。
ふっ、と。
蝋燭の火が吹き消されるように、あまりにも呆気なく、人影の姿が掻き消えた。
静まり返った暗がりに、何かが軽く落ちる音が小さく響く。
「……ふふ。これで、また一人。人間とは、実に都合よくできているものですね」
そこにあったのは、小さな灰色の鍵だった。
人影が持っていた声紋鍵と、よく似た形をしている。
「さて。あの子の鍵は、これからどんな力を見せてくれるのか……今から楽しみですねぇ」
クラヴィスは地面に落ちた鍵を拾い上げ、満足げにそう呟くと、闇に溶けるようにその場を立ち去った。




