第4話 光のない鍵、光る鍵
仮面の男は寸前で気配を察し、軸足を後ろへ滑らせて上体を反らした。拳の風圧が仮面の縁を掠めて通り過ぎる。
「おやぁ……残念」
薄い笑みは崩れない。ただ一瞬だけ、口元が引きつったのをジョウは見た。
間髪入れず、横合いからもう一つの人影が肉薄する。男はかわしきらず、大きく後ろに飛び退いてジョウから距離を取った。
そのお陰で足を縛っていた術が解けるように、立ち上がれた。
男に慌てた様子はない。むしろ、目の前の二人を値踏みするように、静かに目を細めている。
ジョウの喉が、小さく鳴った。
聞き覚えのある声。駆け込んで来た青年の、ミルクティー色の髪に見覚えがあった。
廊下でぶつかったあの人だ。
その隣に、もう一人。ジョウと同じくらいな背丈の、白シャツに癖毛の青年が立っている。
二人は示し合わせたように、ジョウを背に庇って男の前に立ちはだかった。
「行くぞ、よっさん。アイツだ。今回は油断できない。やっぱりこいつを狙ってる」
「仕方ない。やりますかー」
飄々とした口調だった。けれど、白シャツの青年の目は、一切笑っていなかった。
二人は同時に右手を口元へ運ぶ。
白シャツの青年は人差し指を唇に添え、小柄な青年は手の甲に唇を当てて、それぞれ声を放った。
高く澄んだ声と、低く地を這う声。二つの音が空気を震わせ、風が巻き起こる。
小柄な青年の周りに青い光が弾け、その右手に大剣のような群青色の「鍵」が現れた。
白シャツの青年の手には、白銀の光の中から、細く長い杖のような「鍵」が握られている。
(これが……法鍵士)
動画でみた淡い光とは、比べものにならなかった。
自分はこの二人を知らない。それなのに、二人は迷わず自分の前に立った。
(どうして、ワシなんかのために)
「おや、二人とも登録済みの法鍵士でしたか」
仮面男の視線が、二人を越えて、再びジョウへ戻る。
「そして……あなたは、まだ誰のものでもない。なるほど」
「何がだ」
群青の鍵を構えた小柄な青年が、鋭く問い返した。
「いえ。ただの独り言です」
(誰のものでもない……?)
ジョウが問い返す間はなかった。白シャツの青年が、既に前へ出ていた。
白銀の鍵が一直線に伸び、男は光のない鍵を掲げてそれを受け止める。
光と光がぶつかったが音がしない。
火花も、軋みも、風を切る音さえも。鍵と鍵が確かに打ち合っているのに、そこにはただ静寂だけが残る。
「光のない鍵は、音も鳴らないのか……」
白シャツの青年が低く呟く。さっきまでの軽さは消えていた。
「厄介だね」
「お褒めにあずかり光栄です」
男は本心から、嬉しそうに見えた。
そこへ小柄な青年が踏み込む。群青の大剣が弧を描いて振り下ろされるが、
男は難なく鍵で受け流した。
「取り敢えず、今回は俺達がいる。鍵を奪うのは諦めるんだな!」
「ふふ……やはりお強い。お二人の連携は見事です。ですが――」
斬撃を捌きながら、男の目が白シャツの青年を捉える。
小柄な青年の脇腹に蹴りが入った。体勢が崩れたその隙に、男の動きが一段速くなった。
黒い影が、白シャツの青年の懐へ滑り込む。
「よっさん!」
白銀の鍵が受け止めた――筈だった。
男の鍵は、白銀の光の「内側」をすり抜けるように食い込み、切っ先が青年の左腕を裂いた。
青年の身体が弾かれ、ジョウの目の前の地面を転がる。
白いシャツの袖がじわりと赤く染まっていく。
「……っ!」
赤。
ジョウの胸の奥で、何かがひどく静かに軋んだ。
知っている、この赤を、自分は知っている。
扉の前。誰かが、自分を庇って――。
そこで思考が途切れた。
足が動かない。
ただの大学生が、見た事も無い武器を持った人間たちの戦いの中に立っている。
逃げなきゃ。そう思うのに身体が硬直して動けないでいた。
自分のせいだ。自分が狙われたから、この人は血を流している。
喉の奥だけが、場違いなほど熱かった。
「君、動かないで――!」
鼓膜を裂くような叫びだった。
傷を負った身体のまま、白シャツの青年が立ち上がり、ジョウの前に出る。
その声は、血を流しているとは思えないほど、芯が通っていた。
「な……んで。なんで、こっちに」
「動くなって言ったんだけどなー」
穏やかな声だった。怒ってはいない。
青年は鍵を構え直し、ジョウを背中で庇ったまま、仮面の男と向き合う。
その背中越しに、ジョウは何かが弾かれるのを見た。
「ごーさんっ!」
白シャツの青年が叫ぶ。
ジョウが振り向くと、小柄な青年が男の一撃を受けて壁際まで吹き飛ばされ、背中を打ち付けたところだった。
「油断してると、死にますよ?」
男の囁きが、無音の世界に鮮明に響く。
群青の鍵はまだ光っていたが、それを支える両手は、微かに震えている。
ジョウは、この光景から目を逸らせなかった。
目の前には血を流して立つ人。向こうは膝をつきかけた人。
頭は真っ白で、何一つ追いつかない。
白シャツの袖から、赤が一滴、灰色の地面に落ちた。色のない世界で、そこだけ鮮やかだった。
喉を押さえた指の関節が、白くなっている。封印はもう解けているのに足は動かない。
(動け)
膝が震える。爪先が勝手に後ろへ退こうとする。
喉の奥の鳴りが、脈ではなく、音の形を取ろうとしている。
ノイズじゃない。これは、音だ。
(届け)
ジョウは喉にあった手を口元に持って行き、覆うとゆっくりと手を下ろした。
声が、出た。
言葉になる前の、高くも低くもない、芯の通った声。
喉の奥から、淡い金色の光が溢れだす。
光は空気の中で渦を巻き、細く伸び、形を結んで――
気づけば、ジョウはその「鍵」を握りしめていた。
半透明のシルエットが、音波のように揺らめいている。
長さは五十センチほど。短剣の「鍵」だった。
なのに掌の収まりが、不思議なほど手に馴染んだ。ずっと前から、そこにあったかのように。
「……っ」
壁際で、小柄な青年が息を呑んだ。
振り返った白シャツの青年は、ジョウの掌をみた瞬間、動きを止めた。
ほんの一瞬、笑みが消え、すぐに元の穏やかな顔に戻る。見間違いだったかと思うほど、自然に。
小柄な青年もその横顔をみていた。何も言わず、ただ、わずかに目を伏せていた。
周囲の闇が蠢いた。
灰色の地面から、影のようなものが次々と這い出してくる。異形たちが、金色の光に引き寄せられるように、一斉にこちらへ向かってきた。
「待――」
白シャツの青年の制止は、間に合わなかった。
ジョウは影たちの前へ踏みだしていた。
意識した記憶はない。ただ、二人を助けたい。その一心だった。
掌の中で、淡い金色の光が揺れている。
その時。
ジョウの脳裏に何かが流れ込んで来た。




