第3話 淡いゴールドの光
「ジョウくんは、素敵な鍵をお持ちですね?」
穏やかな声だった。獲物はもう逃げきれないと、とうに知っている者の声だ。
追われているのは自分なのに、男は笑っている。その事に、ジョウは違和感を覚えた。
「……鍵?」
「ええ。先程、少し光りましたよね?貴方の喉のあたりが」
心臓がドクンと跳ねた。光っていた?逃げるのに必死で、何も気づかなかった。
反射的に喉元へ手を当てるジョウを見て、男は口元をニタリと歪め、ジョウの顔をじっと覗き込んだ。
「ずっと、誰にも聞いてもらえなかったのでしょう?……違いますか?」
心臓が嫌な音を立てた。喉を押さえた指が、わずかに強張る。けれど何故それをこの男が知っているのか。
「なるほど、なるほど……これは辛い」
男はそれ以上慰めの言葉を続けなかった。ジョウの沈黙を味わうかのように、静かに待っている気がした。無音の世界で、自分の鼓動だけがうるさい。
「貴方が悪いのではありません。周りが本当の価値に気付いていないだけ」
(価値……って?)
困惑するジョウを見て、仮面男の瞳の奥が妖しく変わった。
笑顔は穏やかなままだ。しかし仮面に隠されていない右目だけが、獲物を見つけた別の生き物のようにギラついている。
「少し、見せてもらえませんか?」
声の調子が変わった。丁寧さは崩さない。だがその底には、拒絶を許さない響きがあった。交渉ではなく、既に結論を出している人間の声だ。
「……誰だ、お前!」
「名乗る程の者ではありません。ただ、私は珍しいものが好きなだけです」
男がじりじりと距離を詰める。
「特に……宝石のような美しい声で作られた鍵は、何よりも魅力がある」
「逃げな――」
ジョウが再び駆け出そうとするより早く、男は吊り上がった自らの口角へと指先を滑らせた。
「――リュール」
男が囁くように呟くと同時に、ジョウの足元のアスファルトに何かの紋様が浮かび上がり、直後、ジョウは足をもつれさせて激しく転倒した。足が動かない。足首まで沈められたかのような重圧が襲う。
「なんだこれ、動けな――っ」
膝から足首にかけて、目に見えない鎖が巻き付き、地に縫い付けられているようだった。抗って動こうとする度に鋭い痛みが走る。
「そんなに慌てなくても。少々、足止めの術を掛けさせて頂きましたから」
「術……って何だよ?お前は何者なんだ!」
ジョウが困惑している間にも、男は近づいてくる。ゆっくりと、丁寧に。まるで価値ある壊れ物を回収するかのように。
「大したお願いではございません。ほんの少し、喉の奥のものをこちらへ譲って頂くだけで結構。ええ、たったそれだけで、貴方の悩みは全て解決するのですから」
男の右手に、突然鍵が現れた。色が無い。形はあるのに、輝きが一切ないのだ。
命の気配が消えた抜け殻のようなそれを前に、ジョウは問いかけた。
「……その鍵、なんなんだ」
「これですか?以前、他の方から頂いたものです。綺麗でしょう?」
男は恍惚とした表情で鍵を傾け、愛おしげに自らの頬を寄せた。光のない鍵が、光のない空間の中で、ただ不気味に存在している。
「頂いた……?奪ったんじゃないのか!」
「奪うだなんて、そんな乱暴な」
男がくすくすと笑った。
「丁重にお願いしたのです。断られましたけど……ですから頂きました」
凍り付くような笑みを前に、ジョウは必死に喉元を押さえた。喉に触れていた方が、この異常な空間でも自我を保っていられる気がした。
その時、喉の奥から暖かい感覚が伝わってくる事に気付いた。同時にその温もりを何かが強引に押し止めている感覚もある。経験した事のない感覚に気分が悪くなる。
「おや。喉にも、何か掛かっていますね。ここまで綺麗に閉ざされた鍵は初めて見ます。素晴らしい……!」
男の足音が、いよいよ目の前まで迫る。何を言っているのか分からなかった。だが、触らせてはいけない何かがある、ともジョウは感じていた。
早く逃げたい。この場から逃げなければ――
「痛くはありませんからね。少し、じっとしていて下さい」
気持ちと身体が噛み合わない。危険を知らせる信号が、全身へ響き渡り、震えとなって伝わってくる。
ジョウは身動きが取れないまま、それでも喉の奥だけは鳴らし続けていた。誰かに届けと祈るように、激しく、必死に振動を刻む。
男の手が、喉の奥に眠る淡い金色の先へ伸びてくる。
指先が、触れる――その直前。
「そいつから離れろ!」
低く、腹に響く声だった。右腕を振り向いた姿勢のまま、小柄な青年が低く身を沈めて駆け込んでくる。




