第23話 疼きだす古傷
「あれー、随分と物騒なことになってるねぇ」
呑気な声が、路地の入り口から響いた。
一人の男が立っていた。
五十代ほど。背が高く、白髪交じりの髪が夜風に揺れている。和服姿で、ただそこに立っているだけなのに、路地の空気が変わっていた。
倒れていた者たちが、よろよろと身を起こす。 封印派の男は、拘束の解けた腕を押さえ、眉をひそめただけだった。
解放派の二人は、砕けた鍵を握ったまま顔を見合わせる。
「……誰だ、あれは」
「知らねぇ。上の連中の話に、こんな顔は出てこなかった」
だが、ヨシの身体が強張った。
白銀の鍵を構えたまま、視線だけが男から動かなくなる。
隣のトウゴも、群青の光を一瞬揺らして動きを止めた。
ヨシの唇が、声にならない形で動いた。らいえん、と読めた。
「ワシもお邪魔……していいかなぁ?」
男――来縁が、誰にともなく言った。
ジョウの喉が、小さく鳴った。聞き慣れた一人称だった。自分の口癖と、同じ響きだった。
封印派の男が舌打ちし、鍵を構え直す。
「部外者は下がっていろ。これは我々の――」
「部外者、ねぇ」
来縁は特に気分を害した様子もなく、軽く肩をすくめた。
歩みは止めない。ゆっくりと。
しかし迷いのない足取りで 包囲の中央へと入っていく。
トウゴが一歩踏み出しかけて、止まった。止める言葉を探しているように見えた。
言葉にする前に、来縁はすでに双方の間合いの内側にいた。
封印派の男が、痺れを切らしたように鍵を振るい、漆黒の一閃が来縁の首筋を狙って走った。
来縁は避けなかった。
ただ、右手の指先を軽く弾いただけで、鍵の軌道が、まるで見えない壁に当たったかのように弾かれる。
男の腕が痺れたように大きく跳ね上がり、体勢が崩れた。
「うわ、危ないなぁ。もう少し丁寧に振ってくれない?」
軽い口調で答える言葉はまるで冗談を言っているようにしか聞こえない。
だが、指一つで防がれたという事実だけが、その場の空気を凍らせた。
解放派の若い二人が、明らかに顔色を変えた。
「な……今の、術式も使わずに……」
解放派の一人が呻いた
『ただの人間じゃない……』と、封印派の男も、掠れた息を漏らした
それでも、名前までは辿り着かない。 封印派も解放派も、ただ「異様に強い何か」としてしか 来縁を認識していなかった。
ジョウはその光景を見ながら、隣のヨシへと視線を走らせた。
「よっさん……知り合いか?」
ヨシは答えなかった。答える余裕がなかった。
その顔から、いつもの飄々とした色が完全に抜け落ちている。
かわりに浮かんでいたのは、警戒でも敵意でもない――
もっと個人的な、古い痛みに触れたときの顔になっていた。
トウゴが目の前の来縁を見て……小さく、ジョウにだけ聞こえる声で言った。
「……知っている」
「誰なんだよ」
「今は言えない。だが――味方だ、おそらくは」
「おそらく」という言葉の重さに、ジョウは何かを察した。 トウゴ自身も、確信を持って言っているわけではない。
来縁は、封印派と解放派の間に立ったまま、 穏やかな声で続けた。
「今夜はここまでにしないかい? 双方とも、これ以上は消耗するだけだ」
「貴様に指図される謂れはない」
封印派の男が吐き捨てる。
だが、その声にはさっきまでの 自信が明らかに欠けていた。
目の前の男の実力を、 身体で理解してしまったからだ。
「指図じゃないよ。提案。……でも、聞いてくれないなら」
来縁の声のトーンが、わずかに低くなった。
「もう少し、痛い目を見てもらうことになるけど」
その一言で、空気が変わった。誰も、それ以上動けなかった。
理由は分からないまま、この男に逆らってはいけない、という直感だけが、その場の全員を縛っていた。
封印派も解放派も、静かに鍵を収める。
やがて、双方が無言のまま踵を返し、それぞれの闇へと消えていった。
静けさが戻った路地に、四人だけが残された。
来縁が、ゆっくりとこちらを振り返る。
「やあ、B-ブロード」
その呼び名に、ジョウは目を丸くした。
「……ワシたちのこと、知ってるのか」
「そりゃあね。申し遅れたね。ワシは来縁。まぁ……解放派のモノだよ」
(この声、ワシは何処かで……)
来縁は軽く笑ったがジョウは何処かその声に懐かしさを感じていた。
だが、その視線がヨシに向いた瞬間――
笑みの質が、ほんの少しだけ変わった。
「大きくなったね、ヨシ」




