第13話 橋渡しの鍵
* * *
数日後。ジョウがバイトに出ている間、薄暗い地下拠点には二人だけがいた。
トウゴとヨシは、無言で向かい合って立っている。
それぞれが口元へ手を運び、声を放つ。群青と白銀、二つの鍵が現れた。
地上へ続く小型換気扇の羽音だけが、やけに大きく響いている。
「久しぶりじゃない? 二人だけでやるの」
ヨシが薄く笑った。
「そうか?」
「ジョウが来てから、なんだかんだ三人でしか動いてなかったからさ」
「……そうだな」
トウゴが右足を軽く後ろへ引き、腰を深く落とす。
群青の鍵を握る右手は、正面ではなく、やや低い位置。先に仕掛けさせて、後の先を取るつもりだ。
ヨシは短く息を吐き、両足を肩幅よりわずかに広く開いた。
それが、開戦の合図だった。
先手はヨシ。白銀の一閃が、トウゴの喉元へ走る。
トウゴは退かない。沈めた腰のまま、群青の鍵で斜め下から掬い上げた。
重い低音が床を這い、二人の腕を伝って、部屋の空気を震わせる。
弾かれた勢いを、ヨシは殺さなかった。壁を蹴って宙で身を捻り、死角へ回り込む。
――だが、トウゴは半歩上回っていた。足音と肌の気配だけで反転し、群青の鍵が突撃のルートごと薙ぎ払う。
「速いね」
右へ左へ足を運びながらの台詞だった。それでも、ヨシの呼吸は少しも乱れていない。
「お前が遅い」
「そう?」
ヨシが笑う。
直後、両足の間隔を狭め、重心を落とした。白銀の光が、鋭く研ぎ澄まされていく。
広げていた両手を、内側へ絞り込む。ゆっくりと息を吐きながら、両足を肩幅より狭く引き寄せた。
白銀の光が生き物のようにねじれ、外へ広がっていた力がトウゴの一点へ収束する。
空間の重みが跳ね上がり、踏み込もうとしていたトウゴの両足が、床に縫い止められた。
「……っ」
「封印のほうが、ごーさんには効くんだよね」
笑みを含んだ声だった。だが、瞳だけは笑っていない。
白銀の光がトウゴの足を縫い止めた。その内側で、群青が軋むように反発する。
ヨシの指先が、小さく震えた。
「……その使い方は、やめろと言ったはずだ」
「そうだっけ?」
ヨシはとぼけてみせた。けれど、震えは止まっていなかった。
「バスとトレブルの封印は、互いに干渉し合う。知ってるでしょ?」
「知っている。……それはお前の術ではない」
「うん。だから、半端なんだけどね」
軽く言い捨て、ヨシが右手首を三度、鋭くひねった。
白銀の光が三方向へ同時に分かれる。左から脇腹、右から膝裏、正面から喉元。三連の同時突きだった。
足を固められたトウゴは、上体だけで応じるしかない。
群青の鍵を短く振って正面を受け、首を一皮分ひねって左の軌道を躱す。
だが、右膝裏への一撃だけは、ほんのコンマ数秒、対処が遅れた。
「チェック……メイト」
ヨシが告げる。
白銀の切っ先が、トウゴの頸動脈に触れる寸前で静止していた。
沈黙が落ちる。
トウゴは構えた姿勢のまま、彫刻のように動かない。
一秒。二秒。勝負あり、と思われた、三秒目。
縫い止められていたはずの膝が、さらに数センチ沈み込んだ。
バスの低音は、重いほど地に馴染む。封印の重圧を逆に足場にして、
トウゴは床を踏み抜くように蹴った。
群青の鍵が、下から強烈に跳ね上がる。
白銀の切っ先が内側から弾かれ、軌道が逸れた。
ヨシの体勢がわずかに崩れ、右足が半歩流れる。
その一瞬があれば、十分だった。
固定されていた両足を引き剥がして踏み込み、群青の光を膨れ上がらせて、白銀の鍵を丸ごと包み込む。
逃げ場は、もう残っていなかった。
「……チェックメイト返し、だ」
トウゴが口元をわずかに歪める。
勝敗は決した。ヨシは諦めたように肩の力を抜き、鍵を下ろした。
「あーあ、ごーさんに負けたー」
悔しそうな声だった。
いつも張り付いている飄々とした仮面が剥がれ、子供のように口を尖らせている。滅多に見せない、年相応の素の表情だった。
「当たり前だ」
「いや、でもさ。完璧にチェックメイトまで持っていったのに~」
「持っていったが、詰めが甘い。寸止めした瞬間に隙が生まれる。チェックメイトとは宣言するものではない。完成した瞬間に、すべてが終わっていなければならない」
「……それ、ごーさんが昔、僕に言ったアドバイスじゃん」
「覚えているなら実践しろ」
「ちゃんと覚えてるから、余計に悔しいんだよ」
ヨシは恨めしそうに、自分の白銀の鍵を見つめた。
まだ、群青の光ががっちりと拘束している。
「……ねえ、解いてよ」
「解く前に」
トウゴが低い声で遮った。
「さっきの三方向への分散。いつ覚えた」
「あぁ、これ? 最近だよ。ジョウが来てから、色々と変わった気がしてさ」
「……ジョウの影響か」
「まあね。あの子の声が真ん中にあると、僕のもごーさんのも、よく鳴るんだ」
橋渡し。
その言葉が、トウゴの中で予想以上に重く響いた。
その考えを口には出さないまま、トウゴは群青の光を霧散させ、白銀の鍵を解放した。
「ごーさんはどうなの? 何か変わったこと、ある?」
「ない」
「本当に?」
「……ない」
「僕の見立てだと、ジョウが来てからのごーさん、封印の『重さ』と精度が格段に上がってると思うけどな」
トウゴは答えなかった。
群青の鍵を手の甲へ仕舞い込もうとして、指が、ほんの少しだけ迷った。
「……気のせいだ」
「ふーん、そう?」
ヨシが笑う。今度は、張り付いた笑みではなかった。目元が優しく緩んでいる。
「まあ、いいや。三人でいると、なんかいい感じじゃないかなって思ってさ」
トウゴは鼻で小さく笑い、背中をコンクリートの壁に預けた。
「……どっちつかずだからね、僕は」
ヨシが、冗談めかして付け足した。
トウゴは返事をしなかった。ただ、その横顔から、わずかに目を逸らさなかった。
「……もう一回やるか」
「え?」
「リベンジしたいんだろ」
ヨシが意外そうに目を丸くする。それから、楽しげに口角を吊り上げた。
「する」
「なら、かかってこい」
「次は手加減して止めたりしないよ~?」
「止めなくていい。止めるから、お前は負けるんだ」
ヨシが深く呼吸を整え、両足を肩幅に開き直す。
再び両手をしなやかに広げると、薄暗い地下室の空気が震え、白銀の光が激しく明滅を始めた。




