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死地を駆け抜けた者たちのスローライフ〜用済みと捨てられた聖女と英雄。辺境で隠居のはずが、隣国王子に国賓スカウトされました〜  作者: 月城 蓮桜音


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第5話 呑気な主と、必死な英雄

 オイラは主と共に、さくさくと……いや、爆走と言ってもいい速さで街道を進んでいた。

 前線で三年間も活動していた主は、見かけによらず凄まじい「体力オバケ」だったのだ。

 ふわふわと浮いているオイラが、何度も『少し休んだらどうだ?』と耳元で声をかけているのに、主は疑問符の浮かんだ顔で「え? 大丈夫よ? 少し体が軽いくらいだわ」とケロリと返してくる。


 主を休ませることを諦めたオイラは、もう何も言わず、主の肩辺りでふて寝を決め込んでいた。長閑な平野を歩いていたかと思えば、湿り気のある薄暗い森を抜け……。あっという間に五キロほど進んだところだった。


「あら? どこからか子どもの泣き声が聞こえるわね」


 主がピタリと足を止めた。森の奥、鳥のさえずりに混じって、確かにか細い泣き声が響いている。


『おいおい、自ら突っ込んで行くなよ? 賊の罠かも知れないぞ』


「わたくしなんかに罠を仕掛けて、誰が得をするのよ」


『いやいや、世の中には「若い女」ってだけで狙う悪い奴がいるだろう!』


「あ、そうね? 普通のご令嬢なら拐われる可能性があるのかしら……?」


『なんで自分のことなのに他人事なんだよ……』


 オイラの主は、昔から少し……いや、かなり感覚がおかしいんだ。常識人な両親から生まれ、厳しい貴族の教育も受けてきたはずなのに、その「令嬢の常識」が自分にだけは当てはまらないと思っている節がある。なぜなんだ。


「怪我をしているようなら、ちゃっちゃと治してあげましょうね」


『いや、だから! 不用心に近づくなって……あー、もおー!』


 オイラのことは主以外には見えない。もちろんこの小声も誰の耳にも届かない。仕方ないから、オイラは少し離れた樹の上から、主が飛び込んでいった現場を監視することにした。


「まあ、痛そうね。お嬢さん、膝を見せてくれる?」


「うっ、うっ、い、痛く、しない……?」


「ええ、もちろんよ。まずは綺麗にしましょうね。痛いの、飛んでいけー」


「ちょ、ちょっと! あなたのような身なりの者に、お嬢様の治療なんてできるわけ……なっ!」


 そばに控えていた侍女らしき女の制止を、主は流れるような動作でスルーした。

 そして細く美しい指先から出した、清らかな「聖なる水」を少女の傷口に注ぐ。そのままそっと手をかざせば、キラキラと眩い光の粒が降り注いだ。


 夕闇が迫りつつある森の中で、そこだけが神話の一場面のように輝く。

 次の瞬間、少女の膝を覆っていた真っ赤な擦り傷は、まるで最初からなかったかのように消え去っていた。


「わあー、綺麗な魔法! お姉さんは魔法使い? それとも、本物の聖女様なの?」


「あ……ええ。さあ、もう大丈夫よ。暗くなる前に、気をつけて帰ってくださいね」


 主は小さな女の子に手を振られ、少し照れくさそうに頬を染めていた。相変わらず、面と向かって感謝されることに慣れていないらしい。戦場ではお礼を言われる暇もなく、次の治療へと走り回っていただろうからな。


 そんなことを考えながら、また旅路を急ぐ。いや、主の歩みが速すぎて、オイラが置いていかれそうになっているだけなんだが。


「あら? なんだか聞き慣れた声がするわね」


『またかい? そんなに寄り道ばかりしていたら、日が暮れてしまうぞ』


「いいえ、違うわ。この声は……」


「イリス! 待ってくれ、イリス!」


 背後から響いたのは、叫び声に近い、必死な咆哮だった。

 現れた男は、もはや「英雄」の面影もないほど、息も絶え絶えだった。王から賜ったはずの豪華なマントは泥にまみれ、額からは滝のような汗が流れている。

 けれど、主の姿を捉えた瞬間、男の顔が劇的に緩んだ。

 

「……良かった。ああ、本当に……間に合った」

 

 その呟きは、心の底からの安堵に満ちていた。

 なるほど、こいつは味方らしいな。主の両親が産気づいたとき、エクリシア侯爵家の男たちが見せていたあの「大慌て」と同じ匂いがする。


「まあ、ヴァレント様! なぜこのような場所に?」


「イリス、無事で良かった……! 怪我はないか?」


 感動の再会に、思わずといった様子で主を抱きしめようとする英雄。


『シャーッ!!』


 オイラは即座に主の前に躍り出て、毛を逆立てて威嚇してやった。


「こら、シャドー。英雄様に失礼でしょう」


「……この、猫……シャドーと言うのか? えっと、よろしくな……?」


『ふんっ。オイラの主にいかがわしい真似をしたら、幽霊猫の恐ろしさを教えてやるからな』


「あ、ああ、分かった。だからそんなに睨まないでくれ……」


 オイラは、聖女である主にしか見えていないはずだが、この「英雄」とやらは、どういうわけかオイラの存在を認識できるらしい。

 それに全く驚かない主も大概だが、空中に浮いている猫と真面目に会話しようとするこの男も、かなりの変人だ。

 

 オイラが威嚇を解いて主の肩に戻ると、英雄はホッとしたように、だが熱い視線で主を見つめた。のほほんとした主と、言葉を選んで口ごもっている英雄。見ていてまどろっこしいので、オイラがさっさと話を促すことにした。


『お前、何でここまで追ってきたんだ。主を連れ戻す気か?』


「あー、その、えっと……。いや、連れ戻すというか、頼みがあってな?」


 鼻をひくつかせれば、男から嘘の匂いはしない。ただ、激しい「焦り」の匂いがする。こいつは知っているのだな。主が実家を追われ、頼るべき場所を失っていることを。そして、その先の伯爵家ですら、主を拒む可能性があることを。

 主が傷つかないよう、言葉を選んでいる……。ふん、そこまで考えているなら、少しはマシな奴か。


「あら、頼み事? わたくしにできることでしたら、喜んでお手伝いしますわ」


「おお、ありがたい! では、この先に小さな街がある。そこでゆっくり話を……お茶でもどうだろうか?」


「喜んで。あっ――」


「どうした?」


「わたくし……お恥ずかしい話ですが、今、手持ちがなくて……」


「ああ、それなら心配いらない! 俺が全部持っているから、気にするな。……今朝の拝謁式を見ていたが、王国が出した報酬では、茶代にも事欠くだろうからな」

 

「本来なら、家にあるはずの資金をある程度は自由に使えるはずなのですが……実は、わたくし、エクリシア侯爵家を……実家を追い出されてしまいましたの」


 この男はすべてを知っているはずなのに、主が自分の口から話すまで、知らないふりをしてくれている。オイラの鼻は誤魔化せないが、その気遣いは認めよう。


「何だって? エクリシア侯爵家を……?」


「ええ。わたくしが三年間、戦場に出ている間に、両親は亡くなったそうです。叔父様が家を継ぎ、わたくしのような不孝者は不要だと……。まだ、実感が湧かないのですが」

 

「な、なんてことだ……! 国はなぜ、もっと早く教えなかったんだ! 最期に一目でも会わせてやるのが、人の道だろう!」

 

 英雄は、自分のことのように顔を真っ赤にして憤った。


「…………ふふっ」


「ん? 何かおかしなことを言ったか?」


「いいえ。……わたくしの代わりに、そんなに怒ってくださって、ありがとうございます。なんだか、少し救われましたわ」

 

 主の柔らかな微笑みに、英雄は一瞬、魂を抜かれたような顔をした。

 

「イリス……。その、もし行く宛がないのなら、俺の領地に来ないか?」

 

「ヴァレント様の領地へ?」

 

「ああ。うちは辺境伯領で、今回の戦争に出した人数も多い。戦いの前半に後方へ送られた、手足を失った者や、今も傷が癒えずに苦しんでいる兵が山ほどいるんだ。……君の力が、どうしても必要なんだ」

 

 この男、プロポーズのつもりか? 必死さが透けて見えて鬱陶しい。

 だが、帰る場所のない主に「仕事」という役割を与えて、自然に居場所を作ろうとしている。焦って仕損じないよう、慎重に、けれど頷かせなければ二度と会えないと分かっていて、必死に言葉を絞り出している。

 

 オイラは「ふぅーん」という顔で、反対もしなかった。

 邪魔者もいない辺境か。主が安心して過ごせる場所があるなら、悪くない提案だ。無理強いしたら、寝ている間に顔面を引っ掻いてやるつもりだがな。

 

「そんなにたくさん、怪我をされた方が……」

 

 主の瞳が、悲しみと使命感で揺れた。ほら、もう一息だぞ、英雄。

 

「そ、そうなんだ。俺の父親も、戦いで片足を失い、剣を握っていた指も……今では満足に動かない。どうか、力を貸してくれないか」

 

「まあ……それは大変ですわよね。分かりました。わたくしで良ければ、是非お父様や兵士の方々を治療させてください」

 

「あ、ありがとう……! 恩に着る! 来てくれるからには、食事や住む場所も、あとは着る物も……すべて俺に任せてくれ。絶対に不自由はさせない。約束する!」

 

 英雄から頼りにされ、満面の笑みで頷く主。

 オイラは少しからかってやるかと思い、英雄の耳元へ音もなく近づいた。

 

『おい、英雄殿。お前の渾身のプロポーズ、我が主には一ミリも届いてないぞ?』

 

「くっ……分かっている。今はこれでいいんだ。……頼むから、あんまりニヤニヤしないでくれ」

 

 顔を真っ赤にして小声で返してくる『英雄』殿。

 

 ――こうして、一匹と二人の、奇妙で少し騒がしい旅路が始まったのだった。

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