第4話 泥にまみれた英雄のマント
名ばかりの慰労会では、酒とそれなりの料理が振る舞われた。自分たちは手を汚すこともなかっただろうに、労う気持ちなど微塵もないらしい。あくまでも、体裁のために開かれた茶番のように見えた。食事終えると、城から追い出されるように、一刻も早く立ち去れと促された。
共に戦った同郷の者たちと、一旦は街の宿に向かう。歩きながら、前線で戦っていた光景を思い出す。……やっぱり、諦めきれない、彼女はエクリシア侯爵家の令嬢だと言っていた。俺の勘は、こういう時だけはよく当たる。今行くべきだという衝動が、全身を駆け巡っていた。
「明日中に俺が戻らなかったら、先に辺境へ帰っていてくれ」
仲間にそれだけ言い残し、俺は雨上がりの夜の街を、エクリシア侯爵家へと走った。しかし、そこに彼女の姿はなかった。
エクリシア現侯爵は悪びれることもなく、「ああ、あの不孝者なら出て行ったが? 行き先? 私が知る必要もなかろう?」と鼻で笑った。苛立ち、カッとなって詰め寄るが、暖簾に腕押しだ。時間が惜しくて踵を返し、門を出ようとしたところで、目を赤くした老いた男が慌てて追いかけてきた。
「イリスお嬢様は何も持たずに行かれました。思い出の品一つ、着替えの袋一つ持たせてもらえませんでした。どうか、どうか、お嬢様をお助けください」
エクリシア現侯爵に悟られぬように小声で話す男――ジョセフの苦しげな表情に、彼こそがイリスの唯一の味方だったのだと感じた。
「探してみる。彼女のゆく宛に心当たりは?」
「いいえ……。恐らく、侯爵様に行く先々を潰されているかと……」
「くっ……! 情報、感謝する。必ず見つけ出す」
ここから遠くへ移動するとなれば、乗合馬車を使うはずだ。馬車乗り場に向かいながら、視線を忙しく動かして彼女を探す。
俺は華やかなマントの裾を雨上がりの泥で汚し、必死に走り続けた。かつて王から授けられたこの豪奢な布切れが、今はただ、走るのに邪魔な重荷でしかなかった。
息を切らし、必死に聞き込みを続けた。だが、返ってくる言葉は酷いものばかりだった。
「 ああ、あの汚れた格好の女だろ。さっきあっちへ歩いていったよ」
「見たけれど……。雨に打たれて不気味だったから、適当に話を切り上げたわ。どこに行ったかなんて知らないわよ」
拳を握りしめ、唇を噛む。
命懸けでこの国を守ってきた彼女が、誰にも気づかれず、誰にも感謝されずに去ろうとしている。誰のおかげでお前たちがのうのうと生きていられるのかを分かっていない。つい睨みそうになるのを、相手は守るべき民草だと言い聞かせ、必死に呑み込んだ。
俺の脳裏には、戦場で泥にまみれながらも皆を鼓舞し続けた、あの美しい笑顔があった。あんな慈愛に満ちた人が、こんな理不尽に晒されて良いはずがない。
必死に聞き回っていると、ようやく、有力な情報を得られた。
「手持ちが心許ないらしくて、歩いて向かうって言ってたわよ。まあ、あの姿では、馬車にも乗せてもらえなかっただろうけど……」
「い、行き先は! どこへ行ったか分かるか!?」
「お母様の実家の、確か『ルブラン伯爵家』に向かうって。まさか、貴族のご令嬢とは思わなかったから、驚いたのよね」
「恩に着る!」
俺はさらに足を速めた。歩いてルブラン領に行くだって? そんなの無謀だ。領地は王都から百キロほど南。俺の故郷へ向かう通り道だから知っているが、森を二つ越え、さらには魔物の多く存在する草原を抜けなければならないのだ。
「女一人で、あんな場所を!」
そして気づく。彼女は家から追い出され、何一つ持っていないのだ。
「くっ! 彼女こそが『三年戦争』の功労者だと言うのに!」
そして、あの彼女の叔父が伯爵家に手を回していないとも限らない。
「間に合ってくれ……! 俺の足がもげようとも、地の果てまで追いかけてやる。覚悟しておけよ、イリス!」
誰もいない街の外れで、俺は雄叫びを上げるように声を上げ、勢いよく走り出したのだった。




