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第44話 賑やかな晩餐、静かな決意

 大公のはからいにより、謁見の後には豪華な晩餐に招かれた。

 公国の料理を口にするのは、これが初めてに近い。バルクレイ領での食事といえば、自分たちで森の魔物を狩り、土にまみれて育てた野菜を収穫することから始まる。洗練とは程遠いが、そこには「命をいただく」という力強い匂いがあった。だからこそ、公国の街で着飾って何かを食べてみようなどという余裕は、今日この時まで一度もなかったのだ。

 

 燭台の明かりを反射して眩く光る銀食器が並ぶ中で、ふいに懐かしい匂いが鼻腔をくすぐった。昔、お父様が公務の帰りにお土産として買ってきてくれた、あの温かなパンで包まれた食べ物――香ばしく焼き上げられた小麦と、内側に閉じ込められた甘い肉の脂が混じり合った、あの幸福そのもののような匂いだった。

 

「懐かしい……」

 

『ほお、それは公国の土産だったんだな。匂いと形で、オイラも何となく覚えているぞ』

 

「そうね……」

 

 わたくしは大公を前にした不敬を承知しながらも、溢れ出す記憶の奔流を止めることができなかった。運ばれてくるのは、どれもかつての記憶の扉を叩くような料理ばかりだったのだ。そういえば、侯爵家の料理人には公国出身の者がいたと、幼い頃に耳にした覚えがあった。

 

「きっと、料理長は公国の出身だったのね……」

 

 お腹が減ったと調理場を覗けば、小麦粉で白くなった大きな手で優しく迎えてくれた料理長。「これならご飯前でも食べていいですよ」と、自分用に作っておいたおやつを分けてくれた温かな笑顔。 

 夕食だけはできるだけ家族揃って囲めるようにと、多忙な公務の合間を縫って席に着いてくれた両親。「今日のお夕食も美味しかったわね」「ああ、本当にな」「わたしもこれ好き――!」そんな、立ち上る湯気の向こうで笑顔が絶えなかった、あの温かな食卓。

 

 今、わたくしの目の前にあるのは、当時よりもずっと豪華で、一点の隙もない完璧な晩餐。けれど、わたくしはバルクレイの皆と、不揃いな木の椅子に座って、騒がしく笑いながら食べる夕食の方が、ずっと愛おしいと感じてしまう。

 

 戦争が終わってから、今日を生き延びることに精一杯で、久しく過去を振り返る余裕もなかった。両親のことは、思い出すたびに胸の奥が鋭く疼くから、あえて意識の底へ沈めていたのだ。

 

 わたくしのせいで……。もしわたくしに、もっと力があれば。二人を助けられたかもしれない。そんな後悔の棘が、今も消えることなく心に刺さっている。

 ……けれど、だからこそ。わたくしはこの手を、今度こそ離してはいけないのだわ。バルクレイの皆と、そして、常に隣にいてくれるこの人を。

 

 ふとヴァンを見上げると、無意識に独り言を呟いていたわたくしを深く案じていたようで、目が合うと彼は少しだけ「ほっ」としたように眉の力を抜いた。その瞳には、射抜くような鋭さはなく、ただわたくしを包み込むような静かな慈しみが宿っている。

 

「イリス、少し酒に酔ったか? ここは少し、賑やかすぎるな。俺たちは一足先に御暇(おいとま)して、涼しいバルクレイの風に当たりに行こうか」

 

「……気がつかずにすまなかったね、聖女殿。君には少し、酷な席だったかもしれない」

 

 大公の配慮に満ちた言葉に、わたくしは深く一礼した。

 

「いえ、とても美味しい料理をありがとうございました。……心に、染みましたわ」

 

 わたくしとヴァンは、心配そうに見守ってくれていたヴァンの両親に目配せで静かに別れを告げ、その場を辞したのだった。背後に残された喧騒が遠ざかるにつれ、隣に並んで歩くヴァンの足音だけが、今のわたくしの現実を確かなものにしてくれた。

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