第43話 欲に溺れた「ネズミ」と英雄の罠
世子であるレイモンドが、これほど頻繁に辺境のバルクレイ領を訪れているとは夢にも思わない役人たちがいた。彼らが持ち込んできたのは、驚くべきことに「税率五割」を要求する一方的な書状だった。
黄ばんだ羊皮紙に記された、高圧的な文言。そこには精巧に偽造された大公の印が押されていたが、ヴァンたちはそれを咎めることもなく、半年もの間、言われるがままの税を納め続けていた。
バルクレイ領の生活は、完全なる自給自足だ。
自分たちで狩り、耕し、醸す。必要なものは自分たちの手で作り出してしまう。貨幣を必要としない彼らにとって、税率が三割だろうが五割だろうが、生活の質には何ら影響がなかったのだ。……少なくとも、表向きは。
「ヴァン……! 流石に税率五十パーセントはおかしいと、君なら分かっていただろう!?」
事態を知り、顔を青くして駆け込んできたレイモンドに、ヴァンは焚き火に薪を放り込みながら「くくっ」と喉を鳴らした。爆ぜた火の粉が、ヴァンの不敵な笑みを照らし出す。
「ああ、最初から分かっていたさ。だがレイ、俺たちが金を使わずに暮らしているのは知っているだろ。それに前にお前が零していただろう? 『公国のネズミを捕らえるのに手こずっている』ってな」
「なっ――! まさか、確信犯だというのか!? 自ら罠に掛かり、奴らを泳がせていたというのか!?」
「くくっ、ちょっとした恩返しだよ。自給自足の俺たちが公国にできるのは、税を払うことと、欲に目が眩んで尻尾を出したネズミを炙り出してやることぐらいだからな」
バルクレイ領が栄え、魔物の肉や最高級の革製品、そして黄金の麦が飛ぶように売れれば売れるほど、その莫大な税収に目が眩んだネズミたちは、どんどん深い泥沼に足を踏み入れていった。一度得た蜜の味を忘れられず、捏造した帳簿は日に日に厚くなっていく。
「……だが、ネズミを捕らえたとしても、着服された金が全額戻るとは限らないんだ。君たちが血の滲むような思いで開拓し、稼いだ富なのに!」
「そこら辺は気にしなくていい。両親や領民も、全員が承知の上での芝居だ。皆、お前には命を繋いだ恩義を感じているからな。……そんなことよりレイ、騒動が落ち着いたら一つ頼みたいことがあるんだ」
ヴァンの真剣な眼差しに、レイモンドは一瞬気圧された。友として、そして英雄として信頼する男の頼みだ。
「ヴァンから頼み事か。……ふむ、分かった。ならば一刻も早くネズミどもを檻にぶち込んでくるとしよう」
「ああ、そっちは頼んだぞ。俺たちはここで、静かに収穫を祝っているさ」
★★★
それから数カ月。公国の「ネズミ」たちには冷酷なまでの判決が下った。
彼らは長年公国を蝕んできた癌そのものであり、その一掃を影で助けたバルクレイの一家は、公国の中心地にある大公城へと、大公直々の招待を受けることとなった。
高くそびえ立つ白亜の尖塔。歴史を感じさせる重厚な石造りの廊下を通り、一家は最奥の謁見の間へと導かれた。
「面を上げてくだされ。英雄ヴァレント=バルクレイ殿、そしてご両親。聖女殿も。この度は公国の膿を出すために多大なる協力をいただき、心より感謝いたす」
公国の最高権力者である大公が、玉座から立ち上がり、臣下を前にして深々と頭を下げる。その異例の光景に、周囲の貴族たちは息を呑んだ。
「恐れ入ります。我らバルクレイはすでに公国の民。大公閣下やレイモンド世子の力添えをするのは、臣下として当然の務めにございます」
ヴァンの父――かつての辺境伯としての風格を取り戻した落ち着いた声が、静まり返った広間に響く。大公は大きく頷き、すぐに「くくっ」と表情を和らげた。
「ヴァレント殿、楽にされよ。我が息子がお主を『唯一無二の友』と呼んでいるのだ。形式張った敬語など不要であるぞ」
「ありがたき幸せ。……それで、俺たちに用件というのは?」
ヴァンのあけすけな問いに、大公は愉快そうに目を細めた。
「レイモンドから聞いていた通りだ。正直でよろしい。……さて、そなたたちに伝えるべき話は三つある。多く収め過ぎた税の返還について、旧バルクレイ領の今後について、そして……隣国、王国の現状についてだ。どれから聞きたい?」
「元バルクレイ領の話以外には、あまり興味が持てませんね……」
「こら、ヴァン! 礼を失するな!」
辺境伯が慌てて諌めるが、本人はどこ吹く風だ。その飾らない態度に、大公は一層声を弾ませた。
「ははは! 実に面白い男だ。レイモンドが惹かれる理由もよく分かる」
大公は一転、真剣な眼差しを一家に向け、語気を強めた。
「旧バルクレイ領については、王国の第二王子が君たちの味方であることを確認した。彼が次期国王に選出された時点で、あの地を正式に譲渡するという密約も相違ないな。王国内では、君たちはすでに『戦死』したことになっている」
「お、兵士たちも約束を守ってくれたんだな。あいつらには生きていてほしかったんだ。俺たちの死を隠れ蓑にして、真っ当な道を歩んでくれればいい」
「その点では安心して良さそうだ。……だが、問題はその後だ。君たちが亡くなったという報せを受けた王国の民が、各地で激しい暴動を起こしているらしい」
「……え? なぜそんなことに?」
ヴァンの問いに、大公は重々しく首を振った。
「『英雄と聖女に命を救われたから俺たちは生きている。それなのに、国は彼らを見殺しにしたのか!』とな。戦場から帰った兵士たちの怒りが火種となり、今や王国の民の過半数が、王族に対して強烈な抗議の声を上げているという。『伝説』となったお主たちの噂は、皮肉にも君たちが去った後に、国を揺るがすほどの熱を帯びてしまったようだ」
「なんてこと……」
傍らで聞いていたイリスが、青い顔で唇を噛んだ。
争いから逃れ、穏やかな地を求めて去ったはずの故郷。自分たちが望んだ平和の代わりに、自分たちの「死」が新たな争いの火種になっているという事実に、彼女の肩が小さく震えていた。




